いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

SNSという、「そんな意志も覚悟もない人が、他者を致命的に傷つけてしまう可能性がある道具」


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 もしかしたら、これはフィクションなのかもしれない。
 それを確かめる手段を僕は持たない。
 だが、これに類似したことは、いまの社会のあちこちで起こっている、たぶん。

 思ったことをとりとめなく書いてみる。
 彼女の死は「ツイッターのせい」ではない。多くの人がトラックバックやブックマークコメントで指摘しているように、ツイッターはあくまでも「伝達するためのツール」でしかないし、ツイッター自身がいやがらせを自動生成しているわけではないのだ。
 だが、僕は思う。
 もし、ツイッターがなければ、誹謗中傷や嫌がらせが彼女に届くことはなかったのではないか、と。
 

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 また、この話になってしまうのですが、この時点では、『TwitterFacebookはセーフで、『はてなブックマーク』は、これらのSNSに比べてメリットよりデメリットが目立つ」と考えていたのです。
 でも、いまは、「SNSも『はてなブックマーク』に負けず劣らず、けっこうリスクが高いよなあ」と感じています。
 Facebookは食事と旅行のことしか書かれていないから面白くない、と言われがちなのだけれど、処世術としては、それが「正解」なんだよね。
 Twitterにしても、トラブルを避けようと思えば、業務連絡と前澤社長の100万円プレゼントへの応募にしか使わないほうが無難です。
 僕は『はてなブックマーク憎し』という感情に、縛られすぎていた。
 SNSと呼ばれているものはみんな、同じようなリスクを抱えているのです。


 そもそも、ネットでの関係というのは、当事者にとっては1対1であるけれど、全体像としては、大勢の人が1人に罵詈雑言を浴びせている、という状況が起こりやすいのです。
 僕がこれまで生きてきて痛感しているのは、人の心を変えるのは、とても難しい、ということなんですよ。寄ってたかって罵詈雑言を浴びせるとか、もうやめましょうよ、といくら言っても、「いや、別にみんなで相談しているわけじゃないし、何を書くのも自由だろう。噓や脅迫でもないし」という答えが返ってきます。
 ネットで炎上したことが原因で、誰かが命を絶つと、叩いていた人が「死ぬことはなかったのに」「そんなつもりで批判したわけではないのに」と言ったり、黙り込んでしまったりするのです。


 単なる自分自身のストレス発散だったり、憤りだったりをぶつけただけだった。
 それでも、バッシングの声の集積があまりに大きなものになったり、相手の急所に当たったりすれば、人を殺してしまうこともある。
 死なせるつもりなんて毛頭なかった、ちょっとした「遊び」のつもりだったはずなのに。
 殺そうなんて考えてもいなかった人が、死ぬはずではなかった人を殺してしまう。
 これは、どちら側にとっても、悲劇でしかない。

 
 「見たら負け」という意見は、正しいんですよ、たしかに。
 でも、社会に居場所を見つけづらい人にとって、ネットは、自分に共感してくれる人を見つけやすい「救いの場」でもある。
 だから、「SNSなんてやめてしまえ」「見なければいいことなのに」というのは、正しいけれど、受け入れがたい人もいる、というのは、知っておくべきでしょう。
 いまの日本で、さまざまなマイノリティが置かれている状況が可視化されたのは、ネットやSNSの力でもあるのです。
 罵詈雑言しか吐かない人たちも、多くの人の目にさらされています。
 罵詈雑言を「みんなに見られるところ」に書いて、相手には「お前が見なきゃいい話だろ」とか言う人も多いのだけど。
 そもそも、今の世の中では、TwitterやLINEは、若い人たちにとっての「生活必需品」なんですよね。
 さまざまな社会生活上の連絡に使われることも多く、「見ない」「使わない」という方針を貫くためには、かなりの不利や不便を伴います。


 でもまあ、僕の現時点での実感は、「結局、誰に何を言われても気にしていない(素振りができる)くらいの強さがないと、ネットで発信し続けるのは難しいのだろうな」なんですよ。
 僕は長年のネット生活で、読むと精神的にダメージを受けそうな「読者からのメール」はなるべく早いうちに判別してゴミ箱に放り込むようになりましたし、TwitterのDMもちょっと読んだだけで「これは読まなかったことにしよう……」とスルーすることがよくあります。自分のブログへのブックマークコメントも、「書きたい人が書いて、読みたい人が読めばいい。僕が批判されているコメントが読みたくて何度も来る人だって、全体の1割くらいはいるだろうし……でも僕は基本的に読まない」というのが現在のスタンスです。
 SNSやネットでの反応って、反応する側の勝手な思い込みや現状への不満で増幅されてしまいがちで、言葉が「暴走」してしまう。


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 こういうことの積み重ねの結果、ネットには、金のために自ら炎上をプロデュースして涼しい顔をしている「炎上芸人」や、やたらと攻撃力が高く、自らを省みることがない強メンタルの人たちが生み出すコンテンツばかりが溢れるようになってきました。
 テレビやマスコミよりもネットが信頼できる、なんていうのは幻想でしかなかった。
 むしろ、ネットのコンテンツがテレビや雑誌や新聞みたいになるか、匿名で叩けそうなものを叩くだけの「ストレスの捌け口」になるかの二極化が起こっているのです。
 なんのかんの言っても、ネットの人気コンテンツも、多くは「電通博報堂的なもの」なのだよなあ。


 今ちょうど、『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』という本を読んでいるのですが、そのなかで、新進気鋭の哲学者、マルクス・ガブリエルさんは、こう言っています。

 もう少し、インターネットについて考えてみよう。インターネットの良い利用方法は電話帳の使い方に似ている。誰かの電話番号を知りたい時、ネット上で確認できる。そのような使い方ならいいんだ。コミュニティーを持つため、それ以外の使い方は良いものではない。
 人間の道徳は、他人の身体的な存在についての経験によって左右される。人間の現実は生物学的な現象だ。ある一定の距離に対応したものなんだ。その距離から離れれば、道徳はなくなる。だから法律が必要なんだよ。
 同じ理由で、ボタンを押して誰かを殺すことは簡単で、ナイフを使って殺すのは難しい。一つのボタンやドローンを用いてたくさんの人を殺すことはできるけれど、歩き回ってナイフで人々を殺したりはできないね。同じ人が、前者のことができても、後者のことはできないだろう。インターネットもそうだよね。ただボタンを押すだけで、前者の仲間になってしまう。でもあなたにはそれがわからない。あなたはただ、ある特定の話題についての会話をしているにすぎない、と思っているのだけれども、実際にはそうではないんだ。
 僕はインターネットについて、けっして、悲観しているわけではない。ただ僕は、ソーシャル・ネットワークの存在について悲観的なんだ。それは、軍事を背景として生み出されたものの一つだと言えるから。だから、SNSについては、僕は積極的になれない。
 もちろん、僕もインターネットを使う。フェイスブックツイッターもやっている。しかし、僕はそれらを、「告知」の道具としてのみ使っているんだ。それは、何が起こっているかについて、基本的な情報を、とても迅速にもたらしてくれる。誰が誰なのか、あれはいつなのか、などなど、そうした情報の伝達については、とても役に立つよね。それに、フェイスブックでは友だちのきれいな写真を見ることができるし、ね。しかし、これはただの「情報」の伝達だ。それを超えることについては、法律的にも禁止すべきかもしれない。


 実際のところ「どこまでが『情報』とみなされるのか」というのは大変難しく、法律で禁止する、なんてことは無理でしょう。
 おそらく、ガブリエルさんはそんなことは承知の上で、あえてこう言っているのでしょうし、僕からすれば、「そりゃ、すでに世界から注目されている哲学者であれば、『告知ツール』で十分でしょうけど、ここが自分の存在をアピールする『戦場』だと思っている人もいるから……」とも言いたくなるのです。
 ただ、SNSというのは、「そんな意志も覚悟もない人が、いつのまにか他者を致命的に傷つけてしまう可能性がある道具」であるということは、認識しておくべきでしょう。


 聞く耳を持ってくれない人には何を言っても届かないし、それならば、SNSというツールそのものを廃止するかなんらかの制限を加えるしかないのでは、とも思うし、だけどそれは、どんどんネットを狭く、そして不自由にしていく道なのだろうな、と考えこんでしまうのです。


 冒頭の『はてな匿名ダイアリー』より。

 もちろんこういうトランス差別的なツイートを批判する人もいた。トランスの側に立って、トランス差別に反対する女性やフェミニストも同じくらいいた。でも、半分近くが恐ろしい人たちなら、半分が優しい人たちでも、その恐ろしさや悲しさの大きさは帳消しにはならない。彼女は本当に傷ついていました。

 客観的にみれば、全員が自分に賛同してくれる世界なんて、ありえないことは自明の理です。
 でも、自分がその場に立つと、たとえそれが100人に1人であっても、攻撃的な言葉のほうが、刺さるんですよね。
 僕もネットに向いていない。
 そして、たぶん、人間は、ネットに向いていない。
 にもかかわらず、一度出来上がってしまったこのネットワークという快楽を手放すことは、きわめて難しい。
 いっそのこと、中国の『芝麻信用』みたいに、現実で善行を積むことによって、ネットでの自分のステータスが上がるシステムをもっと発展させて、「ネット上で強いキャラになるために、現実で我慢してレベル上げをする」ような社会のほうが、人間を幸せにするのかもしれませんね。

 
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マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書)

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