いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ナチスと福祉」について


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 こういうやりとりを第三者的にみていると、「文脈」を把握せずに、発言内容の一部だけを切り取って批判されがちなSNSって怖いなあ、と思うんですよ。
 文脈を追っていくと、「ナチスは福祉」というのは、アイロニーであって、発言者はナチスやその政策に賛同しているわけではない、というのは明らかです。
 僕もこういう言及のされかたをすることがあるので、「ちゃんと読めよ」と揚げ足をとっている人たちに言いたくなります。
 ただ、僕自身も、すべてのTwitter上の発言に対して、「文脈」を理解できている自信はなく、それを他者に求めるのが酷であることも理解しているつもりです。
 基本的に、他者のツイートに対して批判的に言及するときには、なるべく慎重を期するようにしています。
 ツイッターそのものが、インパクトがある140字をぶつけて、フォロワーを扇動するツール、という性格をもっていて、賞賛と批判は紙一重、ってところがあるんですよね。
「うまいことを短く言う競争」は、僕には向いていない。


(ちなみに、これは揚げ足をとっている人たちも、少なくとも途中からは「わかっている」のだと思うんですよ。でも、ネットでの議論って、「謝ったら負け」だとムキになりやすい。そこで、こういう不毛な揚げ足取りを「議論の技術」のつもりでやっちゃう人が少なからずいるのです)


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 さて、今回ここで書こうと思っているのは、「ナチスと福祉」の話です。
 ナチス=悪、というイメージを持っている人がほとんどでしょうし、僕もナチスが良いことをした、と思っているわけではありません。
 ただ、当時のドイツの状況などについての本を読んでみると、大部分の人々は「ナチスが悪だと思いながらも、やむなく支持していた」わけでも、「全く情報がなく、騙されていた」わけでもないことがわかります。
強制収容所でのユダヤ人虐殺については、ドイツ国内でも伏せられていました)


 「ナチスと福祉」についての2つのエピソードをご紹介します。


ヒトラーとナチ・ドイツ』(石田勇治著/講談社現代新書)より。
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 著者は、ナチ党が勢いを増していった理由のひとつを、次のように述べています。

 共通していたのは、どんな場所でもユダヤ人が引き合いにだされ、不満とユダヤ人に向ける扇動が行われたことだ。そしてどの地域でも、現下の苦境の原因はヴァイマル共和国の議会政治家にあるという批判を展開し、議会制民主主義の打破を訴えた。
 ナチ党は徹底した抗議政党であり、責任政党でないがゆえに厳しい批判と要求を住民の気持ちにそって政府につきつけることができた。
 結果的に、ナチ党はおよそすべての社会階層に支持された。既成の保守・中道政党が、それぞれの支持勢力の個別利益を優先するあまり、相互対立が深まり、分裂を繰り返した結果、大衆にそっぽを向かれてしまったことも、ナチ党に有利に働いた。ナチ党に流れた票の多くは、それらの陣営からだった。
 ナチ党が国民にあらゆる層で支持を得たもうひとつの理由は、この党が「民族の栄誉」を前面に押し出したからである。その一例が、戦没兵士の追悼式典の挙行だ。
 ヴァイマル共和国政府はこの点で積極的ではなく、戦争賛美の印象につながる行事を避けていた。

 これを読むと、いまの日本にとっては「他人事じゃないな」という気もしてくるんですよね。
 経済的な停滞も含め、「土壌」としては、似ているのです。


 ドイツの民衆は、必ずしもヒトラーやナチ党を「盲信」していたわけではありませんでした。
 「こんな極右政党が政権をとったら、ドイツは孤立してしまう」と危惧していた人も多かったのです。
 でも、「駒」として政権についたはずのヒトラーの政治に慣れてくると、案外、快適になってしまった。

 それにしても、ナチ時代の前半は激動のドイツ現代史のなかでとくに評価の難しい時期だ。
 戦後初期の西ドイツで実施された住民意識調査(1951年)によると、「20世紀の中でドイツが最もうまくいったのはいつですか。あなたの気持ちにしたがって答えてください」という問いに、回答者の40パーセントがナチ時代の前半を挙げている。女性の回答者に限れば、41パーセントだ。これは帝政期(45パーセント)に次ぐ高さで、ヴァイマル期(7パーセント)、ナチ時代の後半(2パーセント)、1945年以降(2パーセント)を大きく引き離している。
 たしかにホロコーストユダヤ人大量殺害)のような国家的メガ犯罪が本格化したのはナチ時代の後半だ。しかしナチ時代の前半にすでに、政府の政治弾圧や人権侵害は公然と行われていたし、反ユダヤ主義が国家の原理となったことも明らかだった。
 そのような時期を生きた人びとの中から、戦後、「あの頃ドイツはうまくいっていた」「比較的よい時代だった」という声があったとすれば、それはいったいなぜだろうか。


 著者は、この本のなかで、その「謎」に迫っています。
 僕は「ナチ党政権下のドイツは、ずっと、息苦しい、暗黒時代だった」と思い込んでいたので、これを読んで、驚いたのです。
 でも、当時の様子を知ると、たしかに、「戦争が始まる前までは、多くのドイツ人にとって、『良い時代』と感じられていたのかもしれないな」という気がしてきます。
 それは、太平洋戦争前の日本にも言えることなのだけれども。


 いくらなんでも、ナチ党のユダヤ人(や障害者、ロマたちへの)絶滅政策は酷すぎるだろう、とは思う。
 なぜ、反対の機運が盛り上がらなかったのか? やはり、ナチ党が怖かったのか?
(それでも、強制収容所での「虐殺」については、ドイツ国民に隠されていたそうです。さすがに反発を招くだろう、ということで)
 ナチ党政権下のドイツ国民が、あからさまな人種差別政策を受け入れてしまった理由のひとつを、著者はこのように説明しています。

 国民が抗議の声をあげなかった理由に関連して、ナチ時代特有の「受益の構造」にふれておこう。それはいったいどんなものだったのだろうか。
 先にも雇用についてふれたように、ヒトラー政権下の国民は、あからさまな反ユダヤ主義者でなくても、あるいはユダヤ人に特別な感情を抱いていなくても、ほとんどの場合、日常生活でユダヤ人迫害、とくにユダヤ人財産の「アーリア化」から何らかの実利を得ていた。
 たとえば同僚のユダヤ人がいなくなった職場で出世をした役人、近所のユダヤ人が残した立派な家屋に住むことになった家族、ユダヤ人の家財道具や装飾品、楽器などを競売で安く手に入れた主婦、ユダヤ人が経営するライバル企業を安値で買い取って自分の会社を大きくした事業主、ユダヤ教ゲマインデ(信仰共同体)の動産・不動産を「アーリア化」と称して強奪した自治体の住民たち。無数の庶民が大小の利益を得た。


(中略)


 ユダヤ人財産の没収と競売、所有権の移転は、細部にいたるまで反ユダヤ法の規定にしたがって粛々と行われ、これに携わった国税庁・市役所などさまざまな部署の役人も良心の呵責を感じることなく仕事を全うできるシステムができあがっていたのだ。ユダヤ人の排斥を支える国民的合意が形成されていたとはいえないにせよ、ユダヤ人の排斥を阻む民意は見られなかった。


 多数派にとって、自分に「ちょっとした利益」と「法律という後ろ盾」があれば、少数派を排斥する、あるいは、排斥しなくても、「見捨てる」ことは、そんなにハードルが高いことではなかったのです。
 それは、いまの世の中でも、同じなのだと思います。


 その原資が、マイノリティから収奪していたものであっても、多くのドイツ人は、「ナチスの福祉」を受け容れてしまっていたのです。
 人間は、自分が差別されることには強い怒りを感じるけれど、「自分がちょっと得をする不公平や差別」に関しては、寛容になってしまう。
 自分が得できる、というメリットがあれば、「だって、あいつらは〇〇だから」という「理由」に流されてしまう。
 


『闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか』(NHKフランケンシュタインの誘惑」制作班著/NHK出版)には、こんな話が出てきます。
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 ドイツの人類遺伝学者、オトマール・フォン・フェアシュナーの回より。

 ヨーゼフ・メンゲレの師としてアウシュビッツにおける収容者虐殺に関与しながら罰せられることはなく、戦後も大学教授として要職を歴任し、死ぬまでドイツ医学界のトップに君臨し続けた人物である。
 彼は第二次世界大戦以前から、遺伝学的な改良によって人類の肉体的・精神的な進歩を促そうとする「優生学」の推進者であった。「断種法」(遺伝性の病気の患者や障害者などを、国家に経済的な負担をかける劣等者と見なして強制的に不妊手術を施すための法律)の制定や、ホロコーストへとつながるナチスの人種差別的な政策を、科学者の立場から後押しした。
 戦後のフェアシュアーは、多くの学生や研究者から穏やかな人柄の教授として慕われていたという。もし時代の支配的な潮流にのみ込まれることがなければ、彼をはじめ十分に理性的だったはずの科学者たちの多くは、あのような罪科を引き起こすことはなかったのかもしれない。だが、ゆがんだ社会思想や国家体制と結びついたとき、科学は、担い手たち個々人の人間性や倫理観の如何を問わず、狂気と野蛮に覆われた大量虐殺の道具となることを証明してしまった。

 1000件以上残されている裁判記録のなかに、フェアシュアーが直接関わったケースも見つかっている。精神医学史の研究家であるモニカ・ダウムは、その”審理”がどのようなものであったかを調査している。
「たとえば、養護学校を出たばかりの15歳の少年。フェアシュアーは彼を通常よりも思考スピードが遅いと診断し、『少年は明確に能力が欠けている』と記しています。彼には『精神遅滞』が確認されたのです。先天性の知的障害でした。診断の結果、優生裁判所に断種が申請されました。あるいは、結婚の申請に来て裁判所へ送られた30歳の女性のケース。彼女は『ドイツの首都はどこか? フランスの首都は?』という質問に答えられず、さらに字を読むこともできないとフェアシュアーは書いています。彼女は妊娠6か月で、お腹の子の父親と結婚するつもりでしたが、フェアシュアーは彼女を知的障害と診断し、早急に中絶して断種を行うべきだと記しています」
 歴史家のハンス=ヴァルター・シュムールは解説する。
「病気や障害のない社会を作ることができるならば、断種は素晴らしいことだとフェアシュアーは考えていました。つまり、自分たちが行ったことは人道的だと信じていたのです」
 1945年までにおよそ40万人が強制的に断種された。犠牲者は、当時のドイツ国民の200人に1人にのぼった。


 人類遺伝学者の松原洋一さんは、「断種法はアメリカのインディアナ州で先行していたように、当時の世界的な潮流で、必ずしも『非倫理的』とは見なされていなかった」とも仰っています。だから、フェアシュアーやナチスの「特殊な事例」だと考えるべきではないのだ、とも。
 日本でも戦前から戦後にかけて、「国民優生法」「優生保護法」にもとづいて、断種手術が行われてきたのです。


 この項では、出生前診断や遺伝病に対する遺伝子治療は、どこまで許されるのか?という問題提起もなされています。
 それも、生命や人間の多様性に対する「選別」ではないのか?


 科学は、人を幸せにするために利用されるべきだと、僕も思います。
 でも、フェアシュアーだって「プロセスはさておき、病気や障害のない社会をつくれば、人は幸せになる」と考えていたのだろうし、ウォルター・フリーマンも「精神疾患に苦しむ患者と周囲の人を救う」ためにロボトミー手術をはじめたのです。


 病気や障害のない社会をつくる、というのは「社会福祉に貢献する」ことではありますよね。
 フェアシュアーは、「(彼にとっての)正しいことを成し遂げる」ために、こんなことをやっていたのです。
 そのプロセスは、いまの僕の感覚では、決定的に間違っていた、としか言いようがないのだけれども。


 あらためて考えてみると、現代の遺伝子治療出生前診断についても、「人間の多様性を阻害している」可能性はあるわけです。
 生まれたときから障害を抱えていたり、難病にかかりやすい、という遺伝子を「排除」することは「正義」なのか?
 その一方で、「当事者(本人やその家族)の立場であれば、そんな病気や障害は避けられるのなら避けたいに決まっている」というのも理解はできる。

 では、何が「正解」なのか?
 人間は、ナチスの時代のドイツでだけ問われていたのではなく、ずっと、問われ続けているのです。


 ナチスは、あの時代、ユダヤ人差別や優生学を「社会福祉」だと位置づけていて、多くのドイツの人たちも、そう思っていたのです。
 いまの時代の日本を生きている僕は、歴史の経緯を知っていることもあり、「そんなのは福祉ではないし、ナチスは異常だ」と断罪することができるのだけれど、科学技術の進歩にくらべて、個々の人間の思考力や洞察力の発達は、微々たるものでしょう。
 われわれは、きっとまた、「ナチス的なもの」に騙される。あるいは、信じ込んでしまう。
 これは、差別ではなくて、「正しい世の中のため」であり、「社会福祉」なのだと。


論破力 (朝日新書)

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ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

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