いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

アニメ『死亡遊戯で飯を食う。』に感じた「もどかしさ」と「愛着」

※この文章にはアニメ『死亡遊戯で飯を食う。』のネタバレが含まれています。ちなみに原作小説、漫画は未読です。


shiboyugi-anime.com


夏に映画化されるのか……あまりにも仕事が早くてちょっと驚いた。
TVの1クールの最後を観て、「予想していたほどの反響がなくて、ジャンプの早期打ち切りマンガみたいにまとめちゃったのかな」とも思っていたので。


Netflixで少しずつ観ていた、この『死亡遊戯で飯を食う。』
第1話の『GHOST HOUSE』は良かった。
もちろんこの「とあるいかれた世界の話」は、きわめて悪趣味ではあるのだけれど、悪趣味を悪趣味として楽しめる(と自分では思っている)人間にとっては、どこかで観たことがあるような「重さ」の条件の話とか後味の悪いラストも含めて、「今シーズンはこれが覇権か?」と思ったくらいだ。

僕は基本的に推理ものとか人と人との駆け引きの話(『カイジ』とか『デスノート』みたいなやつです)が好きなので、あまりにもリアリティがない世界のほうが、かえって割り切りやすくもある。
フィクションでも「武装組織が麻薬や暴力で洗脳した少年兵を使って襲ってくる」よりも、『死亡遊戯』くらい、「ゲーム的に振り切っている」ほうが好きだ。そりゃ、オッサンよりも女の子どうしがデスゲームをやったほうが絵的にも映える(子どもたちは、上の子「気持ち悪い。肌に合わない」、下の子「こわい」というのがこのアニメに対する感想で、1話でリタイアしていたけれど)。


2つめのエピソード『SCRAP BUILDING』も良かった。彼女たちは、本当に、自分でゲーム後に告白した人に投票したのか?
ゲームで生き残るには、「目立ちすぎて嫌われてもいけないし、自分が役に立つ人間であることもアピールしなければならない。ただし、圧倒的な力があれば良くも悪くも別だ」。

ゲームには、現実の「本質」が反映される。

観終えたあと、「なぜ、アテネでテミストクレスは陶片追放されたのか?」とか、しばらく考えていた。テミストクレスがあまりにも大きな存在になりすぎたことへの忌避はわかるのだけれど、スパルタとの争いにおいて、トップからは引きずりおろすとしても、テミストクレスというカードは保持しておいたほうが合理的ではなかったのか。いや、引きずりおろすには「追放」しかなかったのか。

御城や幽鬼のような強いやつは「もしあの投票のあとにもう一幕あるとすれば、戦うために必要」だったから投票されなかったのか?あるいは、「恩」とか「申し訳なさ」がああいう状況でも発動するのか?


ツッコミどころも含めて、僕はこの「いかれた世界のデスゲーム」を、けっこう楽しめていたと思う。
でも、3つめのエピソード『GOLDEN BATH』から、なんだか急速に冷めてしまった。
(1クールの)最終回の11話まで観たのだから、「気になる」作品ではあったのだけれど。


『GOLDEN BATH』では、幽鬼を超えるために驚異的なペースでデスゲームをクリアしてきた御城との再会が描かれる。
うわ、ここでいきなり宿命のライバル対決か!

……えっ、そんなキャットファイトみたいなので決着ついちゃうの?
頭脳戦はどこいったんだこのアニメ……

お前ら、生きたいのか死にたいのかはっきりしろよ、そもそも、キャラクターが多くてすぐ退場するし、キャラデザイン的にも似たような人がたくさん出てきて、作画的にあえてなのか顔が書かれていない人までいたりして、人の顔を見分けるのが苦手な僕にはもうわけわかんないよ……

別に積極的に生きたいつもりじゃなかったけれど、死にそうになると生きたくなってくる、というのは、気持ちとしては、わからなくもない。それが「生存本能」とかいうやつなのかもしれない。僕もそんな感じだし。
でも、幽鬼ってそんなキャラじゃないところが良かったような気もする。
御城だって、あんな形で「お返し」をするつもりではなかったはずだ。もっとエレガントに、洗練された方法で「力の差」を見せたかったのではなかろうか。

登場人物の「親ガチャ失敗……」みたいな回想シーンがやたらと出てくるのも毎回だと白けてくる。しかも、詳しい事情が語られるわけでもなく、断片的な「被害者側の記憶」なので、大変モヤモヤする。僕の年齢になると、これはむしろ「子ガチャ失敗」なのでは……とか考えてしまう。

ゲームのルールもよくわからないし、「なぜこんな(温泉という)シチュエーションなのか、もっと早く気付くべきだった」と言われても、アニメで描かれている部分だけでは、観客としては何がなんだか。

「説明的にならない」「観る側の解釈に委ねる」という姿勢で作られたのだろうとは思うけれど、説明過多、読後感スッキリ時代を生き、わからないことはすぐに検索(今ではAIを起動)するわれわれは、もはやエヴァンゲリオンの「解釈合戦」をしていた若者ではない。

だいたい、エヴァは「衒学的」ではあったけれども、キャラクターはかなりわかりやすく描き分けられていたし(キャラデザイン的には似たような感じかもしれないが、主役3人は人数的にも少ないしキャラクターカラーみたいなもので色分けされていた)、今に比べたら、検索する手段も少なく、人々がこなさなければならない情報量も少なかった。

えっ、御城って、あんなに宿命のライバル感満載で出てくるのに、こんなもの、なの?
この「拍子抜け」する感じ、視る側の予想や思い入れを裏切ってくる感じが、『死亡遊戯』の世界なのだろう。
それはそれでわかるのだけれど、わかると受け入れるには、けっこう距離がある。
なんかわけわかんないゴチャゴチャした展開で、納得しているのは制作側と登場キャラクターだけではないか。

僕自身は、このアニメのなかでは、幽鬼に格の違いを見せつけられた御城が、迎えの車のなかでくやしさのあまり大暴れするシーンがいちばん好きだ。運転していたエージェントは大変だろうけど。僕もあれをやりたい、と思うことは生きていて多々ある。

まあ、穏便に生きようとすれば、自制せざるをえない。
僕はギャンブルが好きなのに負けるとめちゃくちゃ悔しがるタイプで、自分でもやめたほうがいいと思うし、それは発達障害的な僕の特性なのだと理解はしているのだが、逆に言えば、ギャンブルであれば、失うのは金だけなので、思いっきり悔しがり、対象に罵声を浴びせられる、という面もある。
人や、仕事で、そんなことは怖くてできない。

寺山修司風にいえば、「競馬には、人生では味わえない敗北の味がある」のだ。
人生って、「負けた、負けてる」と思っても、ファイティングポーズをとりつづけなきゃいけないことが多すぎる。


4つめのエピソードの『CANDLE WOODS』は、さらに萎えた。
おい、これ「デスゲーム」のルールはどこへ行った。舞台設定とか頭脳戦とかはもう投げっぱなしで、登場人物の激鬱エピソードと依存、虚無、死がばらまかれ、「なんでそれで死なないんだ」とか、「時系列的に、このゲームの回想でこのキャラクターが出てくるのはおかしくないか?」とか、ツッコミどころ満載。

もしかして、これは『ダンガンロンパ3』パターンなのか?
「メタ落ち」「ゲームの世界オチ」なのか?

ラストに関しては、「最初はシーズン2をやる気満々でつくっていたけれど、放送後の観客の反応が思わしくなくて、強引に11話(1クール)でまとめてしまった」のか?とちょっと思ったのだけれど、最近のアニメって、たぶん、放送しながら作る、なんてスケジュールではないよね。声優さんは、だいぶ前に収録している、という話だし。

そもそも、7月に映画が公開されるということは、映画もずっと前からつくられていて、テレビアニメの1話の放送以前から製作を開始されていたはず。

僕のなかでは、11話のラストをみながら、うんうん、これは結局、われわれが「日常」と呼んでいる世界と「いかれた世界のデスゲーム」は、似たようなものなんだよ、むしろ、「日常」のほうがデスゲームより殺伐としていると感じる人だっているんだ、という「解釈」で自分を納得させたのだけれど、作品内の時系列では、この『CANDLE WOODS』は、4つのエピソードのなかでいちばん早い時期、幽鬼のデスゲーム経験が浅い時期の話なんだよね。

ここから、幽鬼はさらにゲームにハマり、洗練されていくわけだ。
ということは、幽鬼は、日常に回帰したわけではなく、日常に擬態しながらデスゲームを生きる選択をしたのだ。


個人的には、このゲームの舞台に出てくるアンティークな小物や幽鬼の汚部屋の描写(僕の大学時代の部屋っぽい……)、効果音や劇伴のつかいかた、「静寂」の魅力には抗えなかった。このアニメ、ディテールや間やカウントが進むときの音が好きすぎる。

物語としては極めて不親切だし、それを制作側が「わざと」やっているであろうことにムカつく。
教訓的な話や感動からするりと抜けていくのは好きだけれど、なんかすごい芸術作品をつくろうとして、結局完成させられず、それを途中でぶっ壊して「破壊こそアートだ」と叫んでいるような往生際の悪さも感じる。

でも、抑えて、抑えて、それでもにじみ出てくるものを感じてしまう幽鬼役の三浦千幸さんの演技と声は好き。

極端に好き嫌いが分かれるアニメだと言われているし、僕はたぶん「好き」側の人間なのだと思うし、あまりにも「わかりやすく、後味が良く」あることが求められている表現の世界で、ここまで「間」や「もどかしさ」にこだわったのはすごい。

うーん、なんか納得できないし、ストーリーにも自分の理解力の低さにもイライラするのだが、やっぱり観てしまうくらい好き、なアニメではあった。こうしていろいろ言いたくなるくらいの熱量が自分にあったことにも驚いている。

『グノーシア』とまとめて短めに「ブログ更新のための感想」を書くつもりだったのに、なんかとりとめもなく長くなってしまった。

気になった人は、とりあえず第1話だけでも観てほしい。とはいえ、1話が好きならハマるから、とも言いづらいというか、1話が好きな人は、『GOLDEN BATH』以降は「ちょっと違う」と感じるかもしれないんだよなあ、このアニメ。


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