いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

あの事件以来、インターネットが、とくにSNSで他者の言葉に触れるのがつらい。

 あの元首相の暗殺事件以来、僕のインターネット熱は急速に冷めているというか、とにかく誰かをうまく責めた者勝ち、みたいなSNSの雰囲気がすごく気になってしまうのだ。それは別に今にはじまったことではないし、僕自身もその雰囲気づくりの一端を担ってきたのはわかっている。だからこそ、うんざりしてもいるのだ。

 一度何かで話題になった人が、自分が舞台に立っているときの灼熱感、みたいなものが刷り込まれてしまい、もう炎上なんて嫌だ、と言いつつ、また新たに燃料を投下せずにはいられなくなっているのを見るのも、僕自身がそうだっただけに、傍観しているのもつらくなる。

 燃えて燃えて燃えて。
 もっとやれやれ、という人と、もういいかげんにやめろ、という人と。

 忘れられたくないから、一度浴びた注目は、すぐに過ぎ去ってしまうから、これまで支持してくれた人たちの期待に応えたいから。

 なんのことはない、ある日、ある瞬間に、「面白いアカウント」「つらい目にあっている人たちの代弁者」だったはずだったのが、神輿から引きずり降ろされる。
 それまでちやほやしていた人たちは、掌を返して叩いてくるか、他の神輿をみつけるか、口説きにくるかのどれかだ(僕は口説かれたことはないが)。

 そもそも、一日中、Twitterで「うまいことを言う」ことばかりを考えている人間や、職場やお客さんや赤の他人を公衆の面前でバカにしてばかりの人間を、誰が信用するというのか。

 



 『フェイスブックの失墜』という本を読んだのだが、フェイスブックは「表現の自由」を旗印にしてきて、デマやフェイクニュースに対しても、「その真偽を判定するくらいの理性は利用者に備わっている(はず)」という前提で、人と人とを繋げてきた。
 その裏には、デマやフェイクニュースや党派性こそが、多くの人をフェイスブックに集め、滞留させるコンテンツで、PV(ページビュー)を稼ぎ、広告収入をあげるのに役立つ、という事情もある。

 いまも、フェイスブックは、「なぜあんなデマやヘイトスピーチを野放しにしているのか」と批判され、「表現の自由」という建前と、「規制をしないことで、陰謀論者や差別者にとっての『釣り堀』になっている」という現実のあいだで揺れ動いている。


 僕のような50歳のオッサンが「SNSの危険性」とか「ネットニュースで人気の記事(『いまトピ』とか『まいじつ』とか)のバカバカしさ」をいくら主張しても、21世紀に入ってから、もう20年以上も経ち、いまの20代くらいの人たちにとっては、Twitterフェイスブックは、すでに「物心ついたときから存在しているインフラのひとつでしかない」ということだ。
 
 フェイスブックが生まれたのは2004年。
japan.cnet.com


 Twitterは2006年。
www.comnico.jp


 いつのまにか、こんなに時間が経ってしまったのだ。

 多くの人が利用するようになってからでも、すでに10年以上経過しているものを、いまさらエイリアンのように扱ってもどうしようもないし、SNSそのものの善悪を語ることに、もう意味はないのかもしれない(これは『はてなブックマーク』についても、たぶんそうなのだろう)。
 それが存在し、多くの人が利用していて、これからもしばらくは使い続けることを前提にして、「どう使うか」を考えていくべきなのだ。
 僕自身が若い頃、自分の親世代が「電話でのやりとり」に「電話で知らせてくるなんて、なんだか味気ない」「ちょっと失礼な気がする」みたいなことを言っていたのを思い出す。
 当時の僕は「電話で何が悪いのだろう。そのほうが効率的なのに」と疑問だった。
 僕自身にとって、SNSが人生の途中から割り込んできたもので、馴染みきれていない、というだけのことで、SNSはもう、多くの人にとって「あるのが当たり前のインフラ」なのだ。


 しかし、正直なところ、今の僕はSNSで誰かの強い言葉の洪水にさらされるのが、けっこうきつい。
 Twitterのタイムラインに関しては、自分でフォローしているのだから「自業自得」ではあるのだけれど、あの元首相の事件と、新型コロナウイルス感染者の激増から、同じ人たちでつくられたタイムラインのはずなのに、以前よりもTwitterを見るのがつらくなっていて、今はタイムラインを追わず、自分が伝えたいことを発信するだけのツール(伝えたいこと、というか「業務連絡」みたいなものです)になっている。

 今はとりあえず、頑張ってSNSを見ないようにしている。
 地雷原という看板が立っているところに自分で踏みこんでいって、「なんでこんなところに地雷が埋まっているんだ!」と怒るのは、あまりにも情けないから。

 疲れているのか、中年うつ、のようなものなのか。
 この2000字を書くのが、いまは一杯一杯だ。
 書かない勇気も余裕もないのが、またさらに救いようがないと自分でも思う。


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