いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「積み」と罰


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僕もすでに50代半ばとなり、あと何年働けるかなあ、なんて思いつつ、これまで「いつか時間ができたらやろう」と、たくさんのゲームや本を積み上げてきました。


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冒頭の増田さん(『はてな匿名ダイアリー』を書いた人)にお伝えしたい。

あなたの「積みゲー」は、たぶん、あなたが死ぬまで、ずっとそのままで、あるいはさらに増えて、没後に「まったくこんなやらないゲームばっかり買ってお金の無駄だよねえ」という家族の愚痴とともに捨てられるかリサイクルショップに引き取られます。

僕は50年近く、「いつかやりたい枠」でたくさんのものを積み重ねてきました。
そのなかには「年を重ねて、ふと手にして読み始めたら、その時の自分に刺さった本」とかもごく少数ですがあるんですよ。
でも、テレビゲームに関しては、正直なところ、その「ごく少数」すらもありません。

メガドライブミニの話が出てきますが、僕も本当にたくさんのレトロゲームのミニ機を買ってきました。
でも、ほとんどやっていません。中に箱にずっと入ったままのものもあります。別にコレクターズアイテムにするつもりではなかったのだけれど、買った時点でもう満足してしまった、というか。

ファミコンミニとかはそれぞれのゲームを1回ずつくらいはプレイしたのですが、よくて数回遊んで、手元にあればもう満足です。
テレビゲームって、基本的に「グラフィックもサウンドも操作性も難易度も進化したものがどんどん出てくるから、わざわざ古いハードのゲームをやらない」のだと思います。

いくら当時は夢中になったからといって、階を移動するごとにテープを1時間くらいロードするシャープX1の『ザナドゥ』をいま遊ぼうとは思わない。惑星メフィウスの砂漠の1ドット探しもやりたくないです。

もう、古いゲームで昔やりたくてできなかったアドベンチャーゲームRPGは、YouTubeとかで観れば良いんじゃないかと自分に言い聞かせています。まだ未練があるので観れんのですが。そう言っているうちに『ブラスティ』の結末を見届けないまま寿命が尽きてしまうんだろうな。
そもそも、昔のハードって、本体だけじゃなくて、つなげるRGB対応のディスプレイが入手困難だったり、ゲームのディスクがあってもそれを動かせるパソコンがなかったりするんですよね。

写真とか思い出の文章とかも、大事にしていたつもりが、ハードや記録媒体の変化とともに、いつのまにかどこに行ったかわからなくなってしまっている。

50年生きてきてひとつ痛感しているのは「本当に大事な写真であれば、プリントして『モノ』として保存しておけ」ということです。
ブログ記事とかもそう。
いやほんと、ネットの世界では、永遠に書いたものが残り続けると思っていたけれど、なんのことはない、お金を払わなくなったり、ブログサービスが終わったりすると、あっというまに無になります。
まあ、どっちにしても、市井の無名の人が書いた文章なんて、早かれ遅かれ消えてしまうものではあるんですけどね。

僕はゲームや本を「積む」タイプの人は、基本的に、コンテンツを消化することよりも「所有する」ことそのものが目的化しているのではないか、と考えるようになりました。僕がそうだから、なんですが。
逆に言えば「買えば、所有すれば満足」で、読まない、遊ばないどころか、Amazonダンボールに入りっぱなしのまま放置してしまう。ゴミ屋敷一直線です。

古いゲームをあらためて遊んでみると、当時はどんなに名作でも、処理が遅かったり、グラフィックがしょぼかったり、操作性が悪かったり、ゲームバランスが悪くて異常な難しさだったりで、正直、「このゲームは面白そうだな」と思いながらプレイするのを楽しみにしていたときのほうが楽しかった、と思うくらいです。

テトリス』とか『スーパーマリオブラザーズ』みたいに、いま遊んでもそれなりに思い出補正込みで楽しいゲームというのもあるにはあるのですが、その日夢中になっても、翌日も『スーパーマリオ』の続きをやる人は、あまりいないはず。

中には、例外的に「レトロゲーム、というジャンルが好き」という人もいるのですが、そういう人は、「積む」前にすぐにプレイしています。

一時的なつもりでも、「積む」という選択をしている時点で、遊ぶゲームとしては、すでに「詰んでいる」のです。

ゲームって、旬みたいなものがあって、やっぱりみんなが話題にしているときに遊ぶほうが面白い。
同じゲームのはずなのに、セール価格になって、「今さら」やると、オンライン協力プレイのゲームとかじゃないのに、なんだか熱意がわいてこない。

実際のところ、僕が子どもだったころは、プレイヤーのゲーム消化スピードに新作の発売ペースが追いついてこなかった。あるいは、金銭的に、積めるほどのゲームを買う余力はなかったのです。

ところが、大人になって、自由に使えるお金が増えて、だけど高級外車やタワーマンションを買えるほど豊かでもない、夜の街で散財するわけでもない大人にとって、テレビゲームを買い集めるのは、快感を得られる手ごろな消費行動になりました。
食べ物は腐るし、紙の本は空間を占拠するけれど、ゲームだったら、「いつか老後にでも遊ぼう」とクラウドのライブラリに入れておける。あるいは、本ほどのスペースは要さない。

僕の場合、Steamのセールやダウンロード版のセールでは「それを実際にやるのか、その時間はあるのか」は考慮せずに「面白そうなゲームがこんなに安くなっている」というだけで買いまくってしまいます。
むしろ「良いゲームを安く買うことそのものが楽しい。実際にそれで遊ばなくてもいい」のです。買い物依存ですね。

なんのためのテレビゲームか、という感じではありますが。

今のゲームって、短時間でできる『スイカゲーム』『8番出口』みたいなやつもあるけれど、フルプライス(定価7000~10000円くらい)だと、ひとつクリアするのに仕事しながらだと最低1か月くらいかかるものが多いのです。クリアに30時間かかるとしたら、1日1時間確実にプレイしたとしても、1か月。でも、「確実に1日1時間ゲームをやる」というのは、かなりハードルが高いことは、社会人であれば理解してもらえるはずです。

いや、フルプライスじゃなくても、ちょっと古くなれば、2000円くらいでも1か月遊べるゲームはたくさんあります。
さらに、本編クリア後の真エンドとかサブクエストとかDLCとか、いやもうお腹いっぱいで、次のゲームをやりたいんですけど……という気分になってきます。


僕が伝えておくべきことがあるとすれば、コンテンツ(ゲームや本や映画)は、とにかく、いま、自分がいちばんやりたい、読みたい、観たいものから消化したほうがいい、ということです。

とはいえ、なんのかんのいっても、人は結局、「本当に自分がやりたいことをやっているのではないか」という実感もあり、ダラダラとYouTubeで関連動画とかを視ているうちに時間が経ってしまうのも「無駄」ではなく「それが自分のやりたかったこと」だっただけ、なのかもしれません。

他人の大迷惑になっていないかぎり、自分がやったことにいちいち後悔するのは効率が悪いし、自分に嘘をついている、とも言える。

おそらく、僕もあなたも、「積みゲー」を積んだままこの世を去ることになります。
結局のところ、「優先順位が低いから積んでいる」のであって、「所有する快感を買った」くらいに自分を甘やかして良いのではないかと思っています。金銭的に困窮するような買い方では問題があるとしても。
酒浸りになったり、家庭を崩壊させたり、ギャンブルで散財するより、悪性度は低い趣味なんじゃないかな「積みゲー」「積み本」って。

本当にみんなが自分がプレイするゲームしか買わない世の中であれば、こんなにたくさんのゲームが発売されるゲーム産業はおそらく成り立ちません。
どうしても心残りなら動画で見ればいい。本当に、昔のゲームの記録って、驚くほど誰かが遺してくれているから。

昔のゲームって、たまに触って1回くらいプレイして、「あー、こんなのだったなー懐かしいなあ」で、十分元は取れています。
なんだったら、箱に入ったままのミニハードを眺めて「いつかやろう」と思うだけでもいい。

ある意味、テレビゲームって、数少ない、「昔と同じものを同じままで次世代に遺せる文化遺産」でもありますし。

小学生や中学生、自分が新しいゲームに飢えていた時代に、この積みゲーたちを送ってやれたらなあ、とか、よく考えるんですけどね。

それでも、「テレビゲーム」というものが、『ブロック崩し』や『インベーダーゲーム」から劇的な進化を遂げるのをリアルタイムで体験できただけでも、僕の人生はそんなに悪くなかったような気もしています。積みまくりだけど。


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