いつか電池がきれるまで

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『大分・別府ミステリー案内 歪んだ竹灯篭』Switch版感想


2022年7月7日に「コマンド選択式旅情ミステリーアドベンチャーゲーム」の第3作『大分・別府ミステリー案内 歪んだ竹灯篭』が発売されました(ダウンロード専売で税込2000円)。クリアしたので感想を遺しておきます。

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 この「コマンド選択式旅情ミステリーアドベンチャーゲーム」シリーズ、第1作が三重を舞台にした『伊勢志摩ミステリー案内 偽りの黒真珠』(PC / PS4 / Switch)、2作目が秋田県を舞台にした『秋田・男鹿ミステリー案内 凍える銀鈴花』(PC / PS4 / Switch)でした。

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 ある意味、このシリーズの原点というか第0作が、パソコンやファミコンで発売された『オホーツクに消ゆ』で、このシリーズは、そのファミコン版の世界観を今によみがえらせたコマンド選択式アドベンチャーゲームなんですよね。新井清和さんのキャラクターに、コマンド選択式のシステム(懐かしい「コマンド総当たり感」も再現(?)されています)、文字のフォントも昔のファミコン風と、オールドアドベンチャーゲームファンにはたまらないのです。

 『伊勢志摩ミステリー案内 偽りの黒真珠』は、まさに「あの懐かしいコマンド選択式アドベンチャーゲームが帰ってきた!」という印象で、懐かしさとともに、『オホーツクに消ゆ』のクライマックスでの堀井雄二さんのシナリオの盛り上げ方というのはやはりすごかったんだなあ!と再確認もさせられました。『黒真珠』がつまらない、というわけではないし、思い出補正があるのも間違いないのですが。

 『秋田・男鹿ミステリー案内 凍える銀鈴花』は、全体的なつくりとしては『黒真珠』と変わりないのですが、ボリュームがかなりあって、「これ、まだ終わらないの?」と驚いた記憶があります。チャチャッと終わらせて、『モンハン』やろう、と思っていたら、「この価格でこんなに遊べるの?」と。

 まあ、いずれにしても、「昔のコマンド選択式アドベンチャーゲーム」に思い入れがなければ「時代錯誤のゲーム」あるいは「かえって新しく感じる」のかもしれません。今のアドベンチャーゲームって、膨大なテキスト量と、豪華なグラフィックにサウンド、プレイヤーが介入する要素が少ない、ビジュアルノベル的なものが多いですし。
 コマンド選択式で、すべてのコマンドを試してフラグを立てないと先に進めない、というのは正直「かったるい」ものではありますが、僕のようなオールドゲーマーにとっては、そのかったるさが懐かしくもあるのです。

 最近のノベル系のアドベンチャーゲームって、「ただ読むだけ」で、プレイヤーは「先へ進む」をクリックするだけだったり、攻略サイトに頼らないと、どこで分岐するのかよくわからないマルチエンディングだったりで、これ、アニメ化されてから観たほうが良いんじゃないか?とも思いますし。

 でも、『シュタインズ・ゲート』は、やっぱりゲームを先にやっていたからこそ、オカリンのあの無力感、絶望感が自分のなかに入ってきて、すごい作品ではありました。
 アニメを後から観たからかもしれませんが(アニメもすごく良いんですけど)、アニメだけで言えば、なんで岡部と牧瀬がああなったのか理解できない気がしたのです。
 だからって、テレビアニメで何度もゲームオーバーにさせるわけにはいかないし。

 この『ミステリー案内』シリーズの第3作は、印象としては、『オホーツク』の再現を目指した『黒真珠』と、ボリュームが増え、シナリオを読ませるゲームに近づいていた『銀鈴花』の中間あたり、なんですよね。

 『黒真珠』よりはプレイ時間は長いけれど、『銀鈴花』ほどのボリューム感はない。
 ゲーム中のミニゲームなどが、単なるオマケではなく、後で「なるほど!」と唸らされるのは面白いし、(ゲーム内のスマートフォンでの)SNSもかなり利用されているのです。

 「けっこう続くなあ、これ、いつ終わるんだろう……」と思わせて、「解決編モード」に入ったらあっという間に話が収束していくという「2時間ドラマ的な展開」はお約束ですし、ストーリー展開や盛り上げ方も、『オホーツク』を踏襲しています。

 この「イベント」が出てきたから、もうそろそろクライマックスだな、と、ニヤニヤしてしまうのも僕が『オホーツク』から追っかけてきたプレイヤーだからなのでしょう。

 正直なところ、ミステリとしては「そのトリック、ちょっと無理すぎというか、そんなにちょうどいいタイミングになるはずないだろ」とか、登場人物の行動が納得できない、とか、これは伏線だろうな、と予想していたキャラクターや事件が、広げた大風呂敷を畳まないまま終わってしまう、という不満もあるのです。

 でも、このゲームでそんなことにこだわるのは野暮というか、毎晩居酒屋でケンと一緒に郷土料理を堪能できれば十分、ではあるんですよね。大分は僕も行ったことがあるので、関サバおいしかったな、などと思いつつ和んでいました。

 こういう、2022年に7000円とかで売ると「高すぎる!」と言われそうなゲームを、売る側にはそれなりに商売になり、買う側も「このくらいの金額なら、思い出に浸れるだけでも満足」と納得できる価格でダウンロード販売できるようになった時代というのは、昔のマイコンパッケージソフトからみてきた僕にとっては、まさに隔世の感があるのです。僕が子どもの頃の夏休みって、「早く新しいゲーム出ないかな……でもゲーム高いな……」と思いながらダラダラ過ごしていたけれど、いまは「ちょっと古いゲームなら、ものすごく安い価格で名作をプレイでき、いくら時間があっても足りない」ですよね。

 『Xenoblade3(ゼノブレイド3)』で遊びたいけれど、『1』も『2』も未プレイだし、『3』だけでも50時間とか100時間とかかかるんだよな……と思うと、途中で投げてしまうのが目に見えていて手が出せない。

 『歪んだ竹灯籠』のような、1日頑張ればクリアできて、価格も映画1本分くらいというのは、今の僕にとっては、本当にありがたい。そして、懐かしさに没頭することができる。
 一生このシステムのゲームしかできないというであれば、さすがにつらいけれど、1年に1作くらいのペースで、この「思わずニヤニヤしてしまうようなマンネリズム」を味わうことができるのを、これからも期待しています。


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