いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

高畑勲監督のこと


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 ある時期まで、僕にとっての高畑勲監督は、「ジブリの二枚看板のうち、そんなにヒットしない、説教くさい映画をつくっているほうの人」でした。
 本当に失礼な話ではあるのですが……
 でも、高畑監督のさまざまなエピソードやアニメーションという表現における功績を知っていき、遺作となった『かぐや姫の物語』を観て、その存在の大きなと、ジブリにとって欠くことのできない人であり、とてつもなく「めんどくさい人」であったのだな、と思うようになったのです。
 そもそも、高畑さんがいなければ、宮崎駿監督もここまでの成功を収められなかったかもしれません。


 ジブリの興行面においても、宮崎駿作品のヒットが桁外れなだけで、高畑作品も素晴らしい成績を残してはいるんですよね。
 『となりの山田くん』とか『かぐや姫の物語』のように、高畑監督が「新しい表現」を追究すると、コストがかかりすぎて、赤字になってしまっただけで。


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 高畑監督の『おもひでぽろぽろ』について。

 結果、配給収入は目標の4倍以上の18億7000万円。その年の日本映画でナンバーワンのヒット作となりました。興業のプロたちの見立てを大幅に裏切ったわけです。逆に、もし思うような宣伝ができずに、興行成績が東宝の予想どおりになっていたら、ジブリはなくなっていたかもしれない。そう思うとぞっとしますね。
 興行関係者の間では、『もののけ姫』が登場するまでの間、『おもひでぽろぽろ』こそジブリ最大のヒット作だと言われ続けました。彼らにとっては、売り上げの額面よりも、期待値をどれだけ上回ったかのほうが重要なんです。その後、地方の劇場をまわるたびに、映画館主から「『おもひでぽろぽろ』はすごかった」とよく感謝されました。


 高畑勲監督は、『もののけ姫』までのジブリを興行的にも支える存在だったのです。
 個人的には、『おもひでぽろぽろ』には「田舎暮らしなんて、そんなに良いもんじゃないよ」としか思えなかった記憶がありますが。
 ジブリが経済的に潤って、「作りたい作品を作れるようになった」後の高畑作品は、すごくクオリティが高くて僕は好きなのですが、前述したように、コストがかかりすぎるという問題も生じていました。


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 高畑・宮崎のコンビはほんとうにおもしろい関係です。
 宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲。これは宮さんの言葉のはしばしに出てきます。


(中略)


 宮さんからくりかえし聞いたエピソードのひとつに、東映動画を辞めるときのことがあります(1971年)。テレビアニメが全盛で、劇場用アニメーションを作る条件が失われつつあるときで、いろいろ引き抜きがあったりして、アニメーションの世界が大荒れに荒れていた。このとき、東映動画労働組合の副委員長だった高畑さんは組合大会で演説をぶったそうです。「いまこそ、みんなで働く場を守らなければならない。この会社を辞めずにがんばることが大事だ」といった趣旨で。宮さんも組合執行委員長だったんですが、この演説を聞きながらハラハラした。「あんなことを言わなきゃいいのに」。というのは、高畑・宮崎の二人は1週間後に辞めることが決まっていた(!)。Aプロというところから誘われていて、そこでリンドグレーンのピッピのアニメーションを作ることになっていたんです。それがわかると、あんなカッコいい演説をした直後だから、みんなに詰め寄られた。「言うこととやることが違うじゃないか!」。ところが高畑さんは一歩もひかない。この詰問にどう答えたか。「副委員長・高畑としてはたしかにそう言った。副委員長として正しいことを言った。しかし、個人・高畑は違う!」
 宮さんは「あれはすごかったよ」と言い、高畑さんをいっそう尊敬したんです。

ナウシカ』というと、ぼくがいつもふれるエピソードが二つあります。
 一つは製作終盤のときの話。当然のように、どんどんどんどん制作期間を食っちゃって、映画がなかなか完成しない。さすがの宮さん(宮崎駿監督)もあせった。じつは宮さんというのは、締切りになんとかして間に合わせたいタイプの人なんです。それで、彼が高畑(勲)さんとかぼくとか、関係する主要な人をみんな集めて訴えた。「このままじゃ映画が間に合わない」と。
 進行に責任を持つプロデューサーは高畑さんです。宮さんはプロデューサーの判断を聞きたいと言う。そこで高畑さんがやおら前に出て言った言葉を、ぼくはいまだによく覚えています。何と言ったと思います?
「間に合わないものはしようがない」
 高畑さんという人は、こういうときよけいな形容詞を挟まない。しかも声がでかい。人間っておもしろいですね。そういうときは誰も声が出ない。ただ、下を向いて黙っている。ぼくもどうしたらいいかわからなくて、そのときはさすがに下を向いていました。
 しばらく沈黙が続いたあと、宮さんは「プロデューサーがそう言っているんだから、これ以上会議をやってもしようがない」。そのあと、宮さんは必死になって徹夜を続けました。それでやっと映画が完成するんです。
 高畑さんの名プロデューサーぶりをいろいろ言いましたけど、最後の最後、高畑さんは監督の立場になっちゃうんです。「間に合わないものはしようがない」、監督・高畑勲のこの言葉に、そのあと何度泣かされたか。
 高畑さんは監督として、そういう時間制限に無頓着といわないまでも、けっこう平気です。『ハイジ』のときにもこんな話があったそうです。毎週放送ですから、とにかくストックを作っておかなければならない。みんなその作業に励んでいたわけですが、ところが来週から放送だぞという、最後の最後の段階でまだ、肝心のオープニングの絵が決まっていなかった。宮さんは絵を描く担当だから、「パクさん(彼は高畑さんをそう呼ぶ)、早くやろうよ」と言うんだけど、高畑さんはなかなか重い腰を上げない。そうこうするうちに、高畑さんがプロデューサーをつかまえて、議論をはじめてしまった。聞くともなしに聞いていたら、「なんで1週間に1本放映しなければいけないのか」。これが1時間で終わらず、2時間たっても3時間たっても、えんえんと続く。スタッフは監督の指示が必要ですから、ただ待つしかない。それで、宮さんはしようがなくて、高畑さんにいっさい相談することなく、あのオープニングを作ったそうです。このエピソードは宮さんから百万回(笑)聞きました。
 そもそも高畑さんのデビュー作『太陽の王子ホルス』のときからそうだったらしい。悠々と急がないから、宮さんが心配する。「パクさん、大丈夫なの? 公開に間に合わないよ」。高畑さんは平気でこう言う、「人質を取ってんだから大丈夫だよ」。「何なの、人質って」「フィルム」だよ。


 もう一つはラストシーンです。王蟲(オーム)が突進してくる前にナウシカが降り立ちます。宮さんは最初、そこでエンドマークというつもりだったんです。あそこで終わっていたら、あの映画はどうだったんだろう? あまりにもカタルシスがないと思いませんか? こういうとき、宮さんはサービス精神が足りないんですよ。
 ラストシーンの絵コンテを見て「これでいいのかなあ」と思っていたら、高畑さんもそう思ったらしい。二人で喫茶店に入って、「これはいかがなものか」という話になった。高畑さん「鈴木さん、どう思う?」、ぼく「終わりとしては、ちょっとあっけないですね。いいんでしょうか?」。高畑さんの疑問は、要するに、これは娯楽映画だ、娯楽映画なのにこの終わり方でいいのか、ということなんです。高畑さんは理屈を考えるの得意でしょう、話が長いんですよ。そしてどんどん話題が広がる。ああでもないこうでもないって、多分、8時間ぐらいしゃべってたんじゃないかなあ。
 で、「鈴木さん、手伝ってください」と言うので、二人でラストシーンの案をいろいろ考えた。案は3つでした。A案は宮さんの案そのまま。王蟲が突進しその前にナウシカが降り立って、いきなりエンド。これはこれで宮さんらしいけどね。B案、これは高畑さんが言い出したもので、王蟲が突進してきてナウシカが吹き飛ばされる、そしてナウシカは永遠の伝説になる。C案、ナウシカはいったん死んで、そして甦る。
「鈴木さん、この3つの案のなかで、どれがいいでしょうかね」
「そりゃ死んで甦ったらいいですね」
「じゃ、それで宮さんを説得しますか」
 それで二人、宮さんのところへ行きました。そういうとき高畑さんはずるいんですよ。みんなぼくにしゃべらせる。どうしてかというと、責任をとりたくない(笑)。自分が決めて、それに宮さんが従ったとしても、もしかしたら宮さんはあとで後悔する、そうすると自分の責任になるでしょう。それが嫌で、ぼくに言わせたいわけ。わかってましたけど、しようがないから、ぼくが案をしゃべる役回りになりました。
「宮さん、このラストなんですけど、ナウシカが降り立ったところで終わっちゃうと、お客さんはなかなかわかりにくいんじゃないですか? いったんバーンと跳ね飛ばされて、死んだのかと思ったところで、じつは甦る、というのはどうでしょう?」
 そのときもう公開間近で、宮さんも焦っていた。宮さんは話を聞いて、「わかりました。じゃ、それでやりますから」と言って、いまのかたちにした。『ナウシカ』のラストシーンに感動された方には申しわけないんですが、現場ではだいたいこんな話をしているんですよ。
 このラストシーンがじつはあとで評判になってしまいます。原作とまるでちがうじゃないかという声もあって、いろいろ論議を呼びました。宮さんはまじめですからね、悩むんです。深刻な顔をして「鈴木さん、ほんとにあのラストでよかったのかな」と言われたときには、ぼくはドキドキしました。いまだに宮さんはあのシーンで悩んでいますね。


 名プロデュサーとして数々の作品を手掛けてきた高畑さん。ものすごく頭が切れる人で、傍目八目、というか、宮崎駿監督を含む他者がつくった作品がウケるかどうか、客観的に評価することができたのだと思います。
 その一方で、自分自身の「クリエイター気質」を捨て去ることもできなくて、土壇場で、「間に合わないものはしようがない」とか言ってしまう。
 そんな高畑さんをみて、宮崎駿監督が頑張って作品を仕上げざるをえなくなった、という話は、今読むと、なんだか微笑ましく感じられます。当時の現場はものすごいことになっていたとしても。
 『ナウシカ』にしても、宮崎駿監督の意図とは(そして、高畑さん自身のアイディアとも)違った結末になったのは、高畑監督の「調整力」ならでは、だったのでしょう。


高畑監督が亡くなられたのは悲しいことではあるけれど、40代半ばの僕としては、人はいつか命を終えるものだから、こうして、多くの人の記憶に残り、これからも新しい観客を獲得しつづけられる作品を残すことができた高畑監督は、幸せな人生だったのではないか、とも思うのです。


ただ、高畑監督自身としては、『かぐや姫の物語』が最後の作品になるかもしれない、という覚悟とともに、生きているかぎり、ずっと作り続けたい、という意欲もあったのではないか、とは思うのです。


前述の『仕事道楽・新版』より。

 ついに完成した日のこと。いかにも高畑さんというエピソードを西村(義明さん、『かぐや姫の物語』のプロデューサー)が川上量生さんにしゃべっています(『Switch』2013年12月号)。

(最後の作業が終わったとき、高畑さんが)僕の方を振り向いて「もう終わりなんですか? 僕が今OKと言ったら映画は終わりですか?」って。「ええ、完成です」と言ったら「まだやってたい」って。……そこから延々、二、三時間、大げさに言うと必要のない直しを続けるんです。終わらせたくないから。


 14年ぶりの新作、そして、70代後半の高畑監督にとっては「最後の長篇アニメーション」になってしまうかもしれない作品……
 あまりに時間がかかってしまって、周囲をヤキモキさせた『かぐや姫の物語』なのですが、高畑さんは「つくることそのものが好き」だったのだなあ、ということがしみじみと伝わってくるエピソードです。
 それでも、自分の適性を考えて、プロデュースに徹することもあったのです。

 
 この『かぐや姫の物語』について、鈴木さんは、こんな話もされています。

 ぼくはこれまで、映画公開にあたってはこのくらいのお客さんが来てくれるだろうと予想し、あまりハズレたことはありません。ただ『かぐや姫』だけはわからなかった。
 映画興行としていうとやはりちょっと厳しかったですね。興収25億。とてもおもしろがってくれた人がいた反面、一般的な広がりがそれほどでもなかった。娯楽映画としてはやはり長すぎるという問題があったと思いますよ。でも公開してしばらくしてから観客が増えてくれるという、不思議な動き方もしていました。この映画のありようと関係しているんでしょう。表現に関心のある人は本当に感心したんですよ。ぼくとしては、何といっても高畑さんが思いの丈をぶつけた映画なんですから、それはそれでいいと思っています。そういう意味では、結果に対してはショックはありません。
 じつはショックだったのは別のこと。若い人に多かった感想です。「何だ、月へ帰っちゃうのか」、こんな感想を言ったのは一人二人じゃない。つまり単にストーリーを追っている。表現を気にしていない。ぼくはいままでずいぶん映画を観てきて、ストーリーなどはおぼろげだが、シーンはいまでもはっきり思い出せるという経験をしてきています。表現の仕方にこそ影響を受けてきた。そういう観方をしないのか。映画に期待しているものがまるで違ってしまっていることにショックを受けたんですよ。現代は、どう表現しているのかがすっとんでしまって、お話の複雑さのほうにだけ関心が向いている、そんな時代なんだなということを、あらためて思い知らされました。


 高畑勲監督は「表現」「どう見せるか」にずっとこだわりぬいていて、アニメーションの「新たな表現」を最後まで模索しつづけた人でもあるのです。
 多くの素晴らしい仕事を成し遂げた人ではあるけれど、本人は、まだまだやりたいことも、あったのだろうなあ。
 そういう尽きない好奇心と貪欲さがあったから、これだけの作品をつくり、仕事を続けてこられたのでしょうね。


 最後に、僕がこれまでに書いた、高畑勲監督作品の感想をまとめておきます。
 高畑監督の仕事というのは、これから、よりいっそう評価されるようになるのではないか、と僕は思っているのです。
 

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