いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ビートたけしに独立された男」の話


headlines.yahoo.co.jp


 たけしさんの独立に関しては、「自分の会社」のはずの『オフィス北野』から独立って、どういうこと?と僕も思ったのです。
 たけしさんの71際という年齢のこともあるし、いまの大所帯の屋台骨を背負っている状況もきつくなってきたので、身軽になって、自分でやりたいことに仕事を絞ってやっていく、ということなのだろうな、と理解していました。
 報道ではずっと支えてきてくれた女性の個人事務所に移る、ということではあったのですが、独立に関しても、お金のことや下準備もかなりきっちりされていたようで、悪い話はほとんど報道されていません。まあ、それも芸能界の超大物への「忖度」ではないか、という気もするけれど、本人たちも納得しているところをわざわざ揉め事にする必要もないですよね。
 ただ、冒頭の記事を読んでいると、これまで通りに仕事をする、ということなので、ちょっと意外ではありました。
 考えてみれば、たけしさんが「もうちょっと自分の時間がほしい」と言えば、オフィス北野の森昌行社長は、それなりに配慮してくれたのではないか、とも思うんですよね。


 今回の独立劇に関していえば、僕は、たけしさんよりも、『オフィス北野』の森昌行社長がずっと気になっていたのです。


森昌行 - Wikipedia


 以前、『映画監督、北野武』という本で、森さんへのインタビューを読みました。
fujipon.hatenadiary.com

森昌行海外でたけしさんはよく「映画監督なのになんでテレビに出ているんだ」と聞かれるんですね。それに対する答えは簡単で「映画なんかで飯は食えない」と言われる。ビジネスの話を正直にすると、『座頭市』以降『TAKESHIS'』まではそれなりの海外市場があった。海外でのセールスには映画祭への参加を含めたプロモーションをするだけでも十分だと、そううそぶくくらいの勢いがあった時代だったんです。しかしそれ以降、『アウトレイジ』も含めて、海外市場はまったく期待のできないものになってしまいました。ヨーロッパ市場は特に壊滅的で、これは北野さんの作品に限らずアジア映画自体の市場性がほとんどないと言い得るほど悲惨な状況です。劇場公開さえ約束されなくなってきていて、たとえ契約ができたとしても多くはインターネット配信で、ことアジア映画に関しては配信がメインというほどの状況なんです。
 このままでは北野武が映画を撮れなくなる、海外セールスに期待している場合でもない。そう考えて『TAKESHIS'』以降、あえて国内市場を意識した宣伝展開を重視し始めました。もちろんこれはあくまでプロデューサー的な立場であって、監督にとってやはり映画祭は重要なものです。映画祭で発見され、映画祭で育ってきた監督ですから、そうした視点を一切なくすなどということはありえませんし、そこに対する感謝は忘れません。しかし、いまやそこでのビジネスは期待できません。もちろんセールスエージェントを通した海外への展開は続けていきますが、『龍三と七人の子分たち』をつくったときには「こんな映画が海外の映画祭で受けるとあなた方は思っているのか」という返事が来たんです。そのとき私は「海外の映画祭で受け入れられるかどうかは結果論であって、いま我々が目指しているのは国内的な興行成績です。この作品はもちろんエンターテイメントで、おっしゃる通りローカルコンテンツではありますが、しかし映画祭で上映される映画というのは、そもそもが究極のローカルコンテンツでなかったでしょうか?」と、はっきり開き直って言いました。


 北野武さんは映画の世界でも才能を開花させ、世界に名だたる名監督として知られるようになったわけですが、映画監督・北野武が「商業的とはいえない」映画を撮り続けられたのは、森さんの力が大きいのです。


Wikipediaには、森さんの映画プロデューサーとしての功績にも触れられています。

当初は監督のマネージャー的な役割であったが、制作費や興行収入の管理と映画興行へのプロデューサーとしての責任を自らに課し、北野と意見が対立することもあるようになる。その制作方針は「監督・北野武の作家性を重視し、その世界を映像化することを最優先に、次回作の制作費が回収できればいい」との明快で確固たるものであり、たけしが映画監督として世界に飛躍できた第一の功労者と言っても過言ではない。


 一部の人に天才だともてはやされたとしても、経済的に成り立たなければ映画を撮り続けることは難しい。
 アート路線を突き進もうとする北野作品を「それが金銭的に成り立つのか」という面で検証し、ときには北野監督の意に染まない方針を余儀なくされることはあっても、映画を撮り続けられるように支えてきたのが森さんだったのです。
 宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーの関係を思い浮かべていただければ、わかりやすいのではないでしょうか。
 どんなにすぐれた映画監督でも、いや、すぐれた映画監督だからこそ、妥協してくれないことも多いなかで、時代の趨勢をみながら「どんな作品をつくるか」という戦略を立てたり、お金の管理や宣伝をしてくれる参謀の存在は重要なんですよね。
 多くの場合、彼らは、鈴木敏夫さんほど表に出てくることはないけれど。
 森さんの場合は、映画に関しての「大きく儲からなくても、北野武が撮り続けられるくらい稼げればいい」という姿勢は一貫していました。
 とはいえ、たけしさんにとっては、あまり積極的になれないような提案をすることも多かったのではなかろうか。
 そもそも、「撮り続けられるくらい稼ぐ」のが、大変なのですよね。
 『アウトレイジ最終章』とか、たけしさんは、そんなに撮りたい映画じゃなかったような気がするんですよ(映画を観ての、僕の個人的な感想です)。


 今回の独立劇に関しては、もうたけしさんは71歳、森さんは65歳だし、残りの人生は、お互いにやりたいことをやろうか、という発展的解消なのかな、と思うのと同時に、これまであの『フライデー事件』などの難局を共に乗り切ってきた盟友なのに、いまさらこんな形で袂を分かってしまうのか、という寂しさもあるのです。
 他人は「これまで」を考えるけれど、本人たちは「これから」を考えている。ただ、それだけのことなのかもしれないけれど。
 たけしさんは、個々の事例で反発することはあっても、森さんのことを信頼してきたし、恩義も感じているからこそ、『オフィス北野』の今後についてもできる限りのことをしているようにみえるし、周囲からも「独立騒動」にありがちな不協和音は聞こえてきていません。
 森さんだからこそ、あとのことも任せられる。
 それでも、この年齢になって、これまで二人三脚で支えあってきた、たけしさんと森さんが離れてしまうことに、「そういうものなのかなあ……」というような、なんともいえない気持ちになるのです。
 これって、熟年離婚みたいなものなのだろうか。


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