いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『組曲虐殺』感想(2019年10月31日昼公演・博多座)

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プロレタリア文学の旗手・小林多喜二の生涯を、彼を取り巻く愛すべき登場人物たちとの日々を中心に描いた『組曲虐殺』。
一人の内気な青年が、なぜ29歳4ヶ月で死に至らなくてはならなかったのか。
明るさと笑いと涙に包まれつつ、現代社会を鋭く照射する音楽劇。


 2009年初演の井上ひさしさん最後の戯曲。なんとか時間とチケットが取れたので、博多座での初日の昼公演を観てきました。
 正直、前半は、あんまりピンとこなかったのです。
 僕がこれまで、三谷幸喜さんの作品とか、リリパット・アーミーとか、動きが多い、展開の速い舞台を好んでみてきたこともあって。
 うーむ、なんか地味だな……あんまりたいしたことは起こらないな……お昼ご飯を食べたあとだし、小曽根真さんのピアノは心地よいし、寝落ちしてしまいそう……(小曾根さん本当に生演奏されているんですね。ちょっとびっくりしました)

 でも、後半、とくに最後の30分くらいになって、なんだかすごく、こみ上げてくるものがあったのです。
 『虐殺』なんてタイトルなのに、この舞台で描かれている場面のほとんどは、井上芳雄さんが演じている小林多喜二と、彼の家族、支援者のふじ子、そして、多喜二を追う特高の刑事たちの「日常」なんですよ。
 僕たちは、小林多喜二が、最後にどうなるのかを知っていて、いずれは破綻することがわかっている「平和な日常」を眺めている。

 この舞台での小林多喜二という人は、「どんなに一生懸命働いても、いちばん安いパンさえ買えない人々」のために、「アカ」とされる社会主義思想を広める活動をしています。
 ですが、彼の家族は、思想というより、人柄に惹かれてとか、身内としての情で、彼を応援しているのです。

 そして、多喜二を追い詰めるはずの特高の刑事たちの「背景」も描かれています。
 山本龍二さん、土屋佑壱さんの特高の刑事が、すごく印象的なんですよ。
 彼らは「権力側の人間」ではあるけれども、けっして恵まれた環境で生きてきたわけではなくて、自分たちも食べていかなければならないから「イヌ」として生きている。多喜二に接することによって、感化されていくところもあるのだけれど、自分たちの立場を捨てるなどということは、想像もできない。
 
 結局のところ、同じような貧しい立場にあるもの同士が、現場で「最も安いパン」を得るために争っていて、権力者や資本家にとっては、高みの見物でしかない。
 僕は歴史を学ぶなかで、小林多喜二社会主義者たちが受けた弾圧に対して、「なんてひどいことをする連中がいたのだろう。当時の日本は狂っていたのだ」と思うのと同時に、「なぜ、そんなリスクをおかしてまで、『アカ』として生きようとしたのだろうか」と疑問でもあったのです。
 多くの社会主義者たちはインテリで、比較的恵まれた環境にいて、知らんぷりをしていれば、面白おかしく生きていけたはずなのに、と。
 本人たちにとっては、それでは「面白おかしくなかった」だけなのかもしれないけれど。

 この戯曲は、まさに「格差社会」を描いたものであり、10年前に井上ひさしという人が、このテーマをここまで深く考えていたということに驚かされるのです。
 そして、映画『ジョーカー』を思い出さずにはいられませんでした。
 『ジョーカー』の主人公・アーサーは、結果的に「暴力」に目覚めてしまうのですが、小林多喜二は言うのです。

「ぼくたち人間はだれでもみんな生まれながらにパンに対する権利を持っている。けれどもぼくたちが現にパンを持っていないのは、だれかがパンをくすねていくからだ。それでは、そのくすねている連中の手口を、言葉の力ではっきりさせよう」

 そして、武器を使って、「暴力」を行使しようとした仲間を、こう諭すのです。

「ぼくの思想に、人殺し道具の出る幕はありません。」
 
 そして、ジョーカーは「悪のカリスマ」としてまつりあげられ、小林多喜二は、公権力に「虐殺」された。


 観ていて、いろいろ思うところはあるんですよ、本当に。
 この舞台を平日の昼間にA席11000円を払って観ることができる人って、どう考えても「最貧困層」じゃないですよね。
 そういう人たちを対象にしないと、「アート」とか「演劇」というのは「生き延びられない」という現状がある。
 映画『ジョーカー』にも、富裕層の人たちが、盛装をして集まり、チャップリンの映画を観て笑っているシーンがありました。
格差社会」というのも、インテリや富裕層にとっては、「深刻ぶるためのコンテンツ」でしかない。

 観客たちの心に、「格差社会って、おかしいよね」という一石は投じられるかもしれないけれど、実際にそこで何かをやろうとするのは、ごくごく一部の「酔狂なお坊ちゃん、お嬢ちゃん」でしかない。
 ただ、いつの世の中も、革命とかを起こしてきたのは、そんなことをしなくても、楽しく生きていくことができるはずだった、「酔狂なお坊ちゃん、お嬢ちゃん」だったのも事実ではあります。

 こんな戯曲を書いた井上ひさしさんも「DV疑惑」が指摘されており、素晴らしい演技だった高畑淳子さんも、息子さんのことを思うと、複雑な気分になるのです。
 それはそれ、なのかもしれないし、「正しくない人間が、素晴らしい作品をつくる」のが、アートの魅力でもある。
 でも、やっぱり、すっきりはしない。
 
 「感想」としては、支離滅裂になってしまってすみません。

 観ているあいだは、「なんか退屈」だったのに、観終えてみると、急に、いろんな感情が噴き出してくるんですよ、この舞台って。
 井上ひさしさんは、やっぱりすごい人だった。

 あと、多喜二の「いいなずけ以上、妻未満」の田口瀧子さん役の上白石萌音さんが、とてもよかった。
 たたずまいが美しくて、でも、綺麗すぎなくて、この芸達者な役者さんたちのなかでも、確実な存在感がありました。

 なんだか久々に舞台を観たのですが、面白かった。
 そして、けっこう疲れました。
 あちらにとっては観客のひとりなど、1000分の1にも満たないのかもしれないけれど、やっぱり生身の人間と向き合うと、けっこう緊張するものですね。

 博多座では11月3日まで公演予定ですので、興味を持たれた方は、ぜひ、観てみてください。


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