いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

30代の10年間を振り返る

  

 うーん、なんだかまだ有馬記念ショックが抜けきれず、年賀状も書いていないまま年を越してしまいそうなのですが、とりあえず30代最後の日に、「30代とは何だったのか?」と回想してみる。

 

 そういえば、30歳になった日って、「あーもう30なんてイヤだなー」と思ったのと同時に、「これであと10年は、30代のままだからラクだなー」という気分でもあったんだよね。

 うーむ、10年って早いや。

 

 この10年、自分は何をやってきたのだろう?と思うと、なんかもう、情けないやら恥ずかしいやらで、正直、自分の意思で何か新しいことをひとつでもやっただろうか?と考え込んでしまう。

 

 その一方で、個人的には、比較的平和で安定していた10年ではあった。

 20代の後半には、両親が相次いで亡くなったり、職場でうまくいかなかったりして、なんかもうどうでもいいや、って感じで生きていたのだけれど、35のときに結婚して、子供も生まれて。

 夫として、親として、自分の視野が広がったと思うところはある。

 とくに子供が生まれてから、「自分の時間って、本当に大切なものだったんだな」とは感じるし、家族や社会に対する責任みたいなものに息苦しくなるときもある。

 夫婦生活っていうのも、お互いに仕事も育児もちゃんとしようとすればするほど、どうしようもなくなってしまうときがあるしね。

 正直、もうちょっと若いうちに子供をつくっていれば、今頃は、もっと自分に余裕があったのかな、とも思う。

 どう考えても、いま息子は3歳だから、60までは働かざるをえないものな。

 

 

 そんな大人の悩みを抱えつつも、有馬記念で超スローのクソレースを見ると半日寝込んでしまうし、ネットで叩かれるとムカつくし、人間って成長しないものではある。

 

そうそう、この10年の変化としては、パチンコをほとんどやらなくなったこと、ゲームをやる時間が激減したこと、雑誌の占いに全く興味がなくなったこと、などが挙げられる。

あと、恋愛的なものは、さらにどうでもよくなった。

 

30代にやっておいてよかったことは、とりあえず結婚したことと親になれたこと。そして、けっこう本を読んだこと。

30代でやっておけばよかったことは、もうちょっと体を鍛えておけばよかったというのと、もうちょっとまとまったものを書きたかったな、ということ。

 

これから30代を迎える、あるいはいま30代という人も多いだろうけど、30代では、ネットはあまりやりすぎないほうがいい。本当に、かけたコストに比べると、残るものが少ない趣味だから。

僕の体験してきた30代の趣味としては、割に合わない順番に、

 

パチンコ<<競馬<飲酒<ネット<テレビゲーム<映画鑑賞<読書

 

という感じ。

もちろん、これは個人差があるはずだ。

だが、そんなに間違ってはいないと思う。

僕はスポーツは潔くやらないことにしているが、インドア系の趣味としては、まずは「金が絡まないこと」が第一、「人と関わらずにできること」が第二要件だと思う。

 

金は人を変える。

そういうことをあらためて思い知らされたのも、30代になってからだった。

 

本当に、30代は短い。

僕の失敗として、みんなに伝えておきたいことは、30代というのは、自分から何かをしようとしないかぎり、何も新しいことは始まらない年代だということだ。

20代であれば、環境に流されても、何か新しい場所に立っている可能性はある。

40代になれば、新しいことをしようとせず、環境に順応していくのも、ひとつの生き方だし、そのほうがいいのかもしれない。

 

30代というのは、何かをしようと思えばできるし、思わなければできない。

そんな大きなターニングポイントだったのだ。

でも、「自分から何かをやろうとする」というのは、言うのはたやすいけれど、実際にやるのは本当に難しい。

日々の仕事はあるし、子供は夜泣きする。

家事の分担について、険悪なムードにもなる。

 

 

最後に、この10年間で、ひとつ大きく変わったことがある。

それは、「生きるのが、少しだけラクになった」ということだ。

そういうのは、「よりよく生きる」ことへの諦めなのかもしれないな、と思うこともあるけれど、たぶん、良い変化なのだろうと信じている。

 

さよなら、30代。

そして、はじめまして、40代。

たぶん、40になった途端に、「あと10年は50代にならなくてすむ」とか「福山雅治だって、もう40代!」とか思っちゃうんだろうけどさ。

アクセスカウンター