いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『トリビアの泉』は、なぜ「劣化」したのか?

 『トリビアの泉 10周年スペシャル』を観た。


 この番組の大ファンである僕としては、新作は観られたのは嬉しいけれど、今日の内容は、ちょっと物足りない感じ。

 先日放送されていた「10周年スペシャルの宣伝も兼ねた総集編」は、滅法面白くて、テレビの前で珍しく大笑いしてしまったのに。

 裏があの『家政婦のミタ』の最終回だったのが、かわいそうでしょうがなかった。

 あの年末の総集編に比べると、今日はなんか、笑いどころがなかったんだよなあ。

 今回は、「トリビアの種」が番組の主力になっていたのだが(レギュラー形式が終わってからは、ずっとそうなのだけど)、スケールの大きさだけで面白い映像になるわけじゃないんだよなあ、こういうのって。

 もちろん、「100メートルの高さから人が落ちてきてのシーソー」や「ヘビ花火」みたいに、「事前に期待していたほど、面白い結果にならなかった実験」が多かったのは事実なのだろうし、うまくいかないのもそれなりに味があって楽しめるものではあるのだが、僕の好きな「トリビアの種」って、「飼い主が散歩中に突然倒れたら、犬はどう行動するのか?」とか、「最強SP対日本一の小学生ドッヂボールチーム」みたいな「バカバカしいけれど、結果がすごく気になるネタ」なんだよね。

 今回の「トリビアの種」は、「すでにあるものを、ものすごくスケールアップしてやってみたらどうなるか?」というものばかりで、お金と手間はかかっているのかもしれないけれども、「アイデア」が不足していた。

 石原さとみの唇っていうのも、いちばん大事な「さわった感じ」は、テレビでは伝わってこないんだよなあ。

 モテない男子校生だった僕が、『タッチ』を観ながら、「こんなかわいくて性格も良い同級生の女の子が隣の家に住む幼なじみなんて話が、現実にあるわけない!」と毒づいていたのが「事実」だったのはちょっと痛快ではあったのだけどね。

 その一方で、あのマンガのファンで「タッチの真似をしようとした親たち」が、もしかしたらいるかもしれない、と思っていたんだけど。

 

 最後の「この続きは番組ホームページで」っていうのも、ずっとテレビを観ていた人たちをバカにしている。
 そんなのテレビで「前フリ」なんてせずに「番組ホームページで、おまけトリビアを公開します!」で良いじゃないか。


 お正月だし、ネット環境がある家ばかりじゃないのに、24時間限定公開っていうのも、なんだかなあ。

 

 まあ、『トリビア』は、毎回すごく面白いという番組ではなかったし、こうして新作がつくられただけでも、喜ぶべきことなのだろう。

 いまの日本の状況として、制作費が十分じゃない、というのもありそうだし。

 

 今回の『トリビアの泉』は、僕にとって、ちょっと残念な内容だった。

 「遊び心」や「アイデア」の不足は、セットを大きくすることだけでは補えないのだ。

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