私は20代の頃、難病(当時/今はいい薬が出た)の治療で毎週3日会社を早退し副作用で高熱が出る注射をのべ100本以上打ちながら、それでも良くならずに時々入院しつつ、将来への道が全然見えなくて焦っていた。誰に会っても顔色が悪いと言われ、あいつは早死にするだろうとみんな思っていたようだった。
— 宮田珠己 (@John_Mandeville) 2021年1月31日
宮田珠己さんが、若い頃の闘病と作家になったきっかけについてツイートされていたのですが、けっこう前から宮田さんが書いたものを読んできた僕は、この闘病のことは知りませんでした(どこかで読んだことがあるのかもしれないけれど)。
会社で働きながら旅をしていたのが、好きが高じて会社を辞め、旅行作家になった、というようなイメージを持っていたのですが、こんな背景があったのだな、と感慨深かったのです。
宮田珠巳さんは、『ひとなみのいとなみ』というエッセイ集のなかで、こう書いておられました。
宮田さんは、大学卒業後に「ものを書く仕事」がしたくて入った企業で、不動産関連部署にまわされて、鬱々とした日々をおくっていたそうです。
サラリーマン人生で虚しいことのナンバーワンはそれではないか。自分の仕事と、自分の願いが、リンクしていないこと。金のためだと割り切れるならそれでもいい。しかし、私は割り切れなかった。
金よりも、自分の人生のハンドルを自分で握りたい。
世の中には、自分の人生を自分でハンドル切って生きている人がたくさんいる。そんな当たり前のようでいて、その実大変なことを、多くの人がこともなげに達成しているように見えた。
私は己の力のなさに呆然となる。
思えば、インターネットがない時代、自分が書いたものをみんな(とはいっても、限られた範囲ですが)に読んでもらおうと思ったら、同人誌でも出すか、雑誌やラジオにでも投稿するか、文学賞に応募するくらいしかなかったんですよね。
そんななかで、宮田さんは「社内報に、同僚に笑ってもらうために書いていた」と仰っています。
けっこう社内では受けが良くて、どこかで本にしてもらえないかと持ち込みもやってみたけれど、芳しい結果が得られずに、最初の本は名刺代わりのつもりで自費出版した、とも。
まあ、こういう話を読むと、「自費出版にもチャンスがあるのか!」と思って、「自費出版ビジネス」に釣られてしまう人も出てくるのかもしれませんが。
この一連のツイートを読んで、僕は、「好きなことをやって生きられるようになる」というのは、こういうことなんだろうな、と思ったんですよ。
今の時代、「好きなことをやって生きよう」と煽る人はたくさんいるけれど、実際、そこに書かれていることって、「他人を不幸にするかもしれない稼ぎ方をして、自分は働かずに生活したり、南の島でずっと遊んで暮らそう」とかじゃないですか。「出会い系」を紹介したり、サロンで若者をタダ働きさせたり、「夢を大事に!」って、チケットをどれだかたくさん売るか競争をさせたりするようなのって、カモにされる人にとっては、眼が覚めれば搾取されているだけですよね。そんなふうにして、自分だけが「幸せ」になることって、本当に楽しいのだろうか? そもそも、それって、本当に「幸せ」なのだろうか?
僕は最近株とかをやっていて、ここでもお金の話をしばしば持ち出しているわけですが、お金って、無いと激烈に困るけれど、たくさん持っているからといって幸せでもないのです。大金持ちが慈善事業に力を入れることが多いのも、結局、お金だけでは満たされないものがあるのだと思います。
その一方で、お金儲けっていうのは、「楽しい」んですよある意味。『ゲンロン戦記』で東浩紀さんが書いておられたように、まさに命の削り合いみたいなところはあるのですが、そのヒリつき感には「生の実感」みたいなものがあるのです。だからこそ、多くの人が、やらなければ無難に生きられる人生で、「賭け」をしてしまう。最近、株の掲示板をみていて、名無しさんが「インデックス投資が堅実なのはわかっているんだけど、面白くないから、やっぱり個別株を買ってしまう」と書いていたんですよね。そう、命の次といいながら、われわれは、「お金が減る恐怖」よりも「退屈」に耐えられないことがある。いや、ときには、「退屈への恐怖」は、「命」や「安全」を乗り越えてしまう。
宮田さんの話のなかで、とくに「腑に落ちた」のは、これでした。
ポイントは、同僚を笑わせようとそれだけを思って書き続けたことだったんじゃないかと思う。何を書けばいいのか見えないときは、まずは身近な人に向けて書く。私の場合なそれだった気がする。病気は仕方ないことだから、嘆かず恨まず、そういうものとして対応するしかない。長くなったのでこれで終わる
— 宮田珠己 (@John_Mandeville) 2021年1月31日
僕はこの年になって、ようやく思うようになりました。
僕は半世紀近く、「何者」かになりたい、「幸せ」になりたい、と思ってきたけれど、自分のなかで「どんな者」になりたいか、「どういう状況」=幸せなのか、というのを定義しないまま、ここまで来てしまったのではないか、って。
有名になりたいのか、お金を持っていれば、パートナーや友人や家族と心がうまくシンクロしていたら「幸せ」なのか、仕事での名声を求めていたのか?
「全部入り」みたいなものを注文しようとして、その「全部」に必要な個々の具材、チャーシューとかメンマとかで、何が本当に自分が欲しいものなのか、優先順位をつける覚悟ができていなかったのではないか。
言葉にするのは簡単なのですが、実際、こういうことに気づくのって、案外難しいのではないかと思うのです。
なんのかんの言っても、僕だって、その場その場では、自分にできることをやって懸命に生きてきたから。
岡部幸雄さんという名騎手が、シンボリルドルフという名馬に出会ったあと、こう話していました。
「ルドルフに乗ることができたおかげで、他の馬に乗ったとき、その馬に(ルドルフに比べて)何が足りないのか、というのがわかるようになった」と。
逆に言えば、岡部さんほどの騎手であっても、シンボリルドルフに出会わなければ「目標に近づけるには、何が足りないのか」という「引き算の発想」ができるようにはならなかったのです。
偶然の出会いとかタイミングという要素も、やっぱりあるのでしょう。
この本では、その『ニトリ』での仕事のやり方について、創業者の似鳥昭雄会長のメッセージと、実際にニトリで働いている社員たちが自分の仕事について語った話が紹介されているのです。
ニトリがまだ2店舗だった1972年、私は第1期「30ヵ年経営計画」を作り、「2002年までに100店舗に増やし、年間売上高を1000億円にする」という目標を社内外に宣言しました。これがニトリが最初に設定したビジョンです。
当時の売上高は1億6000万円ほどでした、実現不可能だと誰もが思ったことでしょう。しかし31年後の2003年に、1年遅れではありますが、これを達成しました。そのために私たちが行ってきたのが、「未来から逆算し、今日一日、すべきことを実行する」ということでした。
まずはビジョンを「30年、10年、3年、1年」という形に分解していきます。たとえば、ニトリであれば、2002年までの30年を10年ごとに大きく分け、最初に店づくり、次に人づくり、最後に商品と仕組みづくりと定めました。それを3年、1年、さらに年間計画は週ごとに分け、「その週に何をするのか」という具体的な行動計画にする。そして、行動計画をもとに、今日一日、すべきことを、徹底実行していく。計画通りにいかないなど問題があれば、その根本原因が何か、事実を調査したうえで対策を決め、即座に行動に移しました。このように、ビジョンから逆算して行動するということを、30年以上、ひたむきに積み重ねていったからこそ、当時は不可能としか思えなかった大きなビジョンを達成できたのです。
似鳥昭雄会長のこの言葉に、『ニトリ』の成功の秘訣が集約されているように思われます。
日々ぐったりするほど素振りをしたり、1000本ノックを受ければ、「今日は練習した!」と満足してしまいがちだけれど、ほとんどの人は「練習のための練習」になってしまう。
自分にとっての「目標」「完成形」をちゃんと設定して、そこに行くまでのプロセスを「逆算」し、ルートを決めなければ、間違った方向に全速力で向かってしまい、かえって目標から遠ざかることだってある。
僕のなかでは、宮田さんは、高野秀行さんとときどき間違えてしまうような『本の雑誌』系の脱力旅行エッセイスト、なのです。
このツイートを読んでいて、目黒考二さんが『本の雑誌』をつくったきっかけも、趣味でつくっていた「書評を集めた個人編集の同人誌」を椎名誠さんが「これは読みたい人がもっといるんじゃないか」と助言したことだったのを思い出しました。
どうせできないだろう、と先回りして諦めてしまうのではなく、まずは形にしてみる、というのは、すごく大事なことなのかもしれませんね。その「形にする」というのは、やってみると本当に難しいことなのだけれど。
そして、なるべく多くの人の目に触れるように、恥ずかしがらずにアピールしてみること。
ただ、「形にせずにはいられない人」だったから、続けることができた、のかもしれない。
あらためて考えてみると、宮田さんの歩みというのは、「幸運」であるようにみえるけれど、あの時代にやるべきことはやって、天命を待ったからこそ、ではあったのだと思います。
なんだかもう、あっちに行ったりこっちに行ったり、という話になってしまったのですが、強引にまとめてしまうと、「自分の目標とか完成系は、自分でなるべく早いうちに決めたほうがいい」「そこから逆算して、いま、やるべきことをやる」ということが大事なのです。
立派なことを書いていますが、僕は本当にこういうことを意識せずに、日々、朝起きてベッドに逃げ込むまで辛抱するだけの人生だったなあ、と思わずにはいられないのです。
この苦さが、せめて、未来を生きる誰かの参考になればと願っています。
まあでも、そういう「人生に真摯に向き合うのに疲れたときのため」に、宮田さんのエッセイはあるのではないか、という気もするんですけどね。正直、僕が本当になりたいものって、立派な「何者か」じゃなくって、もっと自堕落でどうしようもないけどモテてしょうがなくて世界を救っちゃう、みたいな「なろう小説」の主人公みたいな、なれるわけないものなのかもしれない。
オンラインサロンに乗せられちゃう人たちも「夢」とか「創造」とか「世の中を変える」とかじゃなくて、「サロン主みたいに、みんなに崇められてやりたい放題できる存在になってみたい」というのが「自分でも覆い隠している本心」ではなかろうか。