先日、『CoCo壱番屋』に行ったとき、こんなポスターを見かけた。
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おお、これで300円か。ずっと子どもが家にいて、作る時間もメニューのバリエーションも捻出するのがつらいときに、こういうのがあると助かるなあ、と感心してしまった。
(「子ども用メニュー」を喜んで食べる子どもというのは、案外少ないものではあるけれども)
ココイチだけではなく、『くら寿司』や『餃子の王将』などでも、格安の「子ども向け自宅待機支援メニュー」が提供されている。
携帯電話のデータ通信量についても、大手キャリアでは、ずっと家にいることによる通信量アップに対して、データ量追加を無料にする支援が行われている(25歳以下)。
こういう企業によるさまざまな支援策を知ると、みんなが家でYouTubeを見ているときに、これ幸いと追加データで稼ぐような商売をしないことに感謝せずにはいられない。
その一方で、こういうときに「好感度」を積み上げておくことも、「コロナ後の世界」を考えれば大事なのだろうな、とも思う。
今日(2020年4月14日)、福岡市の高島市長が、100億円規模の独自支援策を打ち出して、Twitterでは多くの人がこの英断を賞賛していた。
地元でも好感度が高い(もちろん、批判する人もいる)高島市長が、東京ですらまだ実行していない支援策を率先して決めたことには、大きなインパクトがある。
まあでも、福岡県市じゃない北部九州に住み、仕事をしている僕は、ちょっと穿った見方をしてしまうのだ。
「ああ、福岡市は、やっぱりお金があるんだなあ」
と。
地元民は、「高速道路のトンネルの灯りが、福岡県から佐賀県に入ると暗くなる」なんて言われているし、悲しいことに本当にそうなのだけれど。
福岡市は、いまの人口減に悩む地方自治体のなかでは、数少ない「勝ち組」で、人もモノも集まってくる。
こういう支援策を打ち出せるのも、「経済的に潤っているから」でもあるのだろう。
正直、東京は別格だと思うのだけれど、多くの地方自治体の本音は「無い袖は振れない」ではないのか。
それでもなんとかしてくれ、緊急事態だろう、と言いたくなる側の気持ちも理解はできるのだが。
冒頭の大手チェーン店による「支援のための子ども用格安弁当」にしても、福岡市の支援策にしても、現実問題として「善いことをする」「困っている人たちをサポートする」ためには、資本があるほうが圧倒的に有利なのだ。
「いいね!」の数によって寄付をする、というような呟きで注目を集める人だっている。
「持たざる者」は、他者を批判することによって、相対的な自分の「好感度」を上げようとするけれど、それは結局のところ、遺恨しか残さない。
苦しいときに責められた側は、平和になっても、そのときの屈辱を忘れることはない。
やった側が「そんなつもりじゃなかった」と言っても、受け入れられるはずもない。
長い目でみれば、いま、この「新型コロナによる自粛の時期」は、「好感度がお金で買いやすくなっている」ようにも思う。
それでもやっぱり、自分の生活を少しでもラクにしてくれたり、お金を出してくれる人には、感謝もするし、世の中が落ち着いたら自分にできる恩返しはしたい。
これが、返報性、ってやつか。
まあでも、正直なところ、この状況下でも、人の生き方とか好き嫌いというのは変わらなくて、みんな「自分が好きな人だから、その行動に好感を抱く」一方で、「もともと嫌いなヤツに対しては、何をやろうが、やることなすこと気に入らない」のだな、と感じている。正直、僕もそういう自分に呑み込まれてしまいがちなので、今は、あまりネットにものを書かないように心がけている。でも、ときどきこういうことを書かずにいられなくなって、やっぱり嫌われている。