なんかモヤモヤする。それでも小室哲哉だから、あんなふうに美談として報道されたり、還暦近くでも支えになってくれる女性がいたりするのであって、もっと孤立して、行き場をなくしている家族はたくさんいるのに。
— FUJIPON (@fujipon2) 2018年1月19日
というか、TK、いろいろつらいのは伝わってきたけど、仕事ができるコンディションなら、石にかじりついてでも仕事して稼いだほうがいいよ。介護にはお金もかかるし、小室さんも歳をとっていくんだから。残念なことだけど、金も人手もない介護は自分も被介護者も追い詰める。
— FUJIPON (@fujipon2) 2018年1月19日
『週刊文春』よけいなことすんな、とかいうのも違う気がする。最近の小室さんはKEIKOさんとの「美談」でイメージアップしたことが仕事につながっていたのは事実だし、そこに噓やフィクションがあったのなら、暴くのも彼らの仕事だろう。もっと優先順が高いことがありそうだとは思うが。
— FUJIPON (@fujipon2) 2018年1月19日
だいたい、不倫の代償というか、謝罪の手段として、ミュージシャンとしての仕事や作品を差し出すのは違うのではなかろうか。家庭人としては謝罪するのが筋だろうけど、あの作品たちは、もう、小室さんだけのものじゃなかろう。TMネットワークに憧れた人間のひとりとして、なんだか悲しいよ。
— FUJIPON (@fujipon2) 2018年1月19日
AKBの峰岸さんの丸坊主事件のときも思ったのだが、やったことに対して適切か、ではなく、「とにかく、よりハードな謝罪方法のほうが、みんな同情してくれる」という慣習が根付いてしまうのは恐ろしい。謝罪のチキンレース化、とでも言うべきか。
— FUJIPON (@fujipon2) 2018年1月19日
headlines.yahoo.co.jp
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正直、この会見全記録や動画をみるまでは、「とはいえ、不倫は不倫だろ」って思っていたんですよね。
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でも、こうして小室さんの会見を読んでみると、なんというか、あれだけ「恋」とか「愛」の曲をつくって売りまくった人でも、それが何なのか、わからないんだよな、というような、悲しい気持になってきたのです。
いろいろ書くつもりだったのですが、自分のツイートの転載だけにとどめておきます。
というか、あんまりわかったようなことは書けないよね。
『週刊文春』を責める人もいるけれど、『文春砲』は対象者に引退することや「責任をとること」を強要しているわけではなく、結局のところは、それを読んだ人たちが生む「処罰感情」の集積が、人を追い詰めているんだよね。
何を伝えて、何を伝えるべきではないかというのは、現実的には「その記事に読者のニーズがあるか」で決まっているし、こういう「くだらない不倫暴露」が、『週刊文春』の経済的な屋台骨になっているのも確かなんだよなあ。
「こんな不倫はプライベートなことで、誰にも迷惑をかけていない」のなら、ベッキーさんとか渡辺謙さんもそうだろう、と。
介護疲れもあるし、KEIKOさんとの関係は「夫婦」とは言えないものになっているし……と言うのは、感情としては理解できるのだけれども、「それならOK」ということになれば、世の中の介護疲れの人々にもその基準は適用されるのだろうか。
小室さんは才能あるミュージシャンだから、というのなら、才能のないヤツは、不倫する資格もない、ということなのか?
「割れ窓理論」みたいで、こじつけっぽい話になってしまうけれど。
いや、そもそも「不倫」って何だ、って話だよね。小室さんの話を受け入れるのであれば、性行為はないが、肉体的な接触を伴う親密な男女関係ということになるが、それなら「不倫」とは違うのだろうか。
小室さんに関しては、芸能人であり、KEIKOさんへの献身的な介護が「美談」となって、小室さんへの好感度が上がっていたのは確かなことです。
小室さんも、それをあえて発信してきたところはあったはず。
となれば、「疑わしい関係」が生じた場合に、こういう形で報道されるのも致し方ない、と思う。
ただ、今日の会見のような話をすれば、世間は「音楽活動をやめろ」って空気にはならなかっただろうし、他の不倫会見とは、明らかにみんなの反応も違いますよね。
小室さん個人にとっては、放っておいてほしいことだったとは思うのだけれど、こういう「介護と家族関係」が可視化されたのは、さらに高齢化がすすんでいく日本社会にとっての、ひとつのきっかけになったのではなかろうか。
介護にだってお金と人手は必要だし(小室さん自身も、KEIKOさんの介護に対して、スタッフに協力してもらっていることを話しておられます)、今後のことを考えると、小室さんはお金を稼ぐ手段を手放すべきではない、と思うんですよ。いまの小室さんが仕事をやめてしまえば、孤立は深まる一方です。
それに、TMネットワークで、小室さんが巨大シンセサイザーを操って、『ザ・ベストテン』に出演したとき、「これが音楽の未来か!」とワクワクしたひとりの人間として、『Get Wild』に「不倫騒動で引退した小室さんの曲」という前置詞がついてしまうのは、あまりにもせつない。
まあ、そんなこと言い始めたら、いろんな前置詞がつくヒット曲ばかりになってしまう、とも言えますが。
小室さんが、もし「音楽活動をやめる」というのではなくて、単に「お騒がせしてすみません」と頭を下げるだけだったり、報道された内容を完全に否定していたら、世間の反応はどうだったのだろうか?
たぶん、介護のつらさを発信しても、小室さんに対する風当たりはもっと強くなったはず。
「音楽活動をやめる、引退する」という、ミュージシャンにとってはすべてを失う選択をしたことをアピールした「潔さ」みたいなものに好感を持った人も多かったのではないでしょうか。
でも、考えてみてほしい、一時はものすごく稼いでいた小室さんも、KEIKOさんの発症前には金銭トラブルに巻き込まれていたし、介護というのは、特別なことをしてあげようとすればするほど、ものすごくお金と人手がかかってきます。
この会見で、本人もむしろ胸のつかえが取れたような感じかもしれないけれど、金銭的な負担は今後も変わらない。個人的には、そういう行為については、家族にきちんと謝罪して、今後は慎む(あるいは、精神的なサポートをしてもらうことに関しては、それなりの理解を求めるか、わからないようにやる)ようにすべきだと思う。
本人も抑鬱状態というか、才能の枯渇を現状では感じていて、体調不良も伴い、もう音楽活動をやめたい、ということなのだという気もするけれど、小室さんの音楽というのは、もう、小室さんだけのものではなかろうに。どうするんだよ、TMネットワーク。こんなので終わりにするのかよ。
上のツイートにも書いたのだけれど、どう考えても、やったことと筋が違う、あるいは、あまりにも過剰な「謝罪行為」を求める人や、自発的にそれをやることで批判を抑えようという人が増えてきていると思うのです。
峯岸みなみさんの丸坊主は国際的にも問題になったけれど、恐ろしいところは、彼女があれを「自発的に」やったことです。
みんなは「雰囲気」をつくっているだけで、いざとなれば「あれは本人が自分でやったことだから」と言い訳できる、便利なシステムがつくりあげられています。
「とにかく、よりハードな、観ている側が『そこまでやらなくても……』とドン引きするような謝罪方法のほうが効く」という「謝罪チキンレース」は、やっぱりおかしい。
このままでは、「公開リストカット」とかを「自発的に」やる芸能人も出てきそう。
人間、魔がさすことだって、心が弱ってしまうことだってあるのはわかるから、自分の権力や社会的な地位を利用して他者を食い物にするような行為でなければ、ある程度寛容になったほうが良いはず。
「そこまでやる必要はない。むしろ、やりすぎているし、やっていることも間違っている」と小室さんに僕は言いたい。本人には伝わらないだろうけど。
とりあえず、今はひと休みして、またやりたくなったら戻ってきてほしいし、その方が良いのではなかろうか。
小室哲哉という「パートナーの女性を人気歌手に育てつつ、とっかえひっかえしてきた」ミュージシャンを昔からみてきた僕としては、「まあ、人間ってなかなか変わらないものだよな」という感慨もあるのです。
ところで、いつからみんな、小室哲哉に「潔癖さ」を求めるようになったのですか?
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