これを読んで、以前書いたエントリとそれに対する反応を思い出しました。
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このエントリに対して、わざわざ「辻元さんのことは嫌いだけど」と言う必要があるのか?という意見がけっこうあったんですよ。
そのときの僕は、「たしかにそうだよなあ」と感じました。
なぜ、わざわざ「嫌いだけど」って書いたのか考えてみると、実際に嫌いだったという他に、そう言っておかないと「お前はもともと辻元の仲間だから支持しているんだろう!」という人が出てくるのではないか、辻元さんに何か問題があったときに、一緒に責められるのではないか、と懸念していたから、でもあったんですよね。
まわりくどい言い方をしましたが、要するに、「この件で支持したからといって、同類として燃やされては困る」という、日和見主義的な処世術だったわけです。あらためてかんがえると、みみっちいというか、みっともないですね。
僕もこうして年をとり、さまざまな状況での自分の支持・不支持を考えてみると、結局のところ、「正しいから支持する」「間違っているから批判する」という行為を自分がちゃんとできている自信はどんどんなくなってきているのです。
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ああ、でもいま思い返してみると、結局のところ「その言葉に好感を抱くかどうか」って、「それを使っている人に、好感を抱いているかどうか」なのかもしれないな。
言葉で好感を抱くようになるのか、好感を抱いている人の言葉だから素直に受け入れられるのか
作家に対しても身近な人に対しても、「好きな人が言っていることは、正しいと思い込みがちで、嫌いな人、苦手な人の言葉は、素直に受け入れがたい」自分に呆れることばかり。
そうして考えてみると「あなたのことは嫌いだけど、今回の件では支持します」というのは、自分自身の「好感度」を曲げてでも支持すべきだと判じるくらい、正しいと思っている、ということの表明でもあるんですよ。
「嫌いなものを支持する」ためには、こちら側にとっては、かなり高いハードルを超える必要があるのです。
嫌いな存在から出てきたものを否定したくなる自分をなんとか抑えるために「○○は嫌いだけど」と前置きをせざるをえない、そんな葛藤もある。
その一方で、僕は弱小ながらブログを書いてもいますので、「嫌い」って言われたら、すごくキツい、というのもわかります。
ブックマークが100ついたうちの2つか3つでも、「お前は嫌い」って書いてあると、他の人が褒めてくれていても、ネガティブな反応ばかりが刺さることもある。
実際、「正しい」「間違っている」は、議論の余地があるけれど、「嫌い」には、断絶しかない(とか書くと、コメント欄に「お前なんか大嫌い!」が並ぶことになるんだよね、ああ、『はてな』的!)。
こういう感覚って、発信する側はわりと共有しているものだと思うのですが、ブックマークをする側には、「ひとりやふたりのネガコメに耐えられないようなヤツは、発信する資格がない」という人も少なからずいるようです。
そんなことを言って相手の口を塞ぎながら罵詈雑言を浴びせてくる人は、下衆だし卑怯だなあ、とは思うよ。
この件に対して、僕が最も危惧しているのは、こういう事例によって、「インターネットという立場が弱い側が直接社会にアピールするためのツール」が無力化されてしまうのではないか、ということなのです。
今回のはあちゅうさんのセクハラ告発は、電通という大企業の中で権力をふるっていた岸さんという大物についてのものでした。
前回のエントリで書きましたが、同じような事例は、大なり小なり、日本の各地で起こっているはずです。
その大部分は、企業の利益や「お互いの将来のため」に隠蔽されてしまう。
インターネット以前の社会では、企業や組織と、被害者である一個人が対決するのは、ものすごく難しかったのです。
裁判とかメディアを通じて、という方法は、敷居が高いし、勝つのは難しい。
メディアだって、よっぽどニュースバリューがあるとか、ルックスが良い人は顔出し、実名出しで、というような「絵になる」ものではないと、飛びついてはくれません。
それが、インターネットのおかげで、誰でも「告発」が可能になったのです。
正直言って、どのくらい話題になるかは、その人のアピールポイントやアピールする技術が大きく影響するし、ハードルが下がった分だけ、「誤解や印象操作によるトラブル」も起こりやすいので、注意が必要でもあります。
それでも、インターネットという「手段」は、「弱い側」が多くの人に自分の主張をそのまま伝えるための武器になりうるのです。
しかしながら、最近のインターネットでは、どちらが正しいとかじゃなくて、目立っている人、傷ついているのが見えやすい人が叩かれやすくなっていて、その傾向はどんどん強まっているように思われます。
もちろん、性的に他者を揶揄するような言葉は、誰であっても、どんなに気軽にでも、発するべきではない、と僕は考えています。
はあちゅうさんの発言には、僕もけっこうイライラさせられてきましたが、今のところ実害はありません。「自分のことかも」と思うところはあっても、明確に誰か特定の人物を攻撃しているわけではないですし。
林真理子さんの系譜に乗っかっているだけ、とも言える。
僕は女子会に潜入したことはないですが、女性だけの空間では、こういうことをみんな言っているのかもしれないな、とも感じます。
男だけの飲み会では、かなり下世話なトークも「仲間意識の確認」のために行われているように(僕はそういうのは苦手ですが、「やめろよ!」というほど立派な人間でもないです)。
あの「童貞」関係の発言には、僕もムカついたのですが、はあちゅうさんにとっては、あれを自己否定して謝罪するというのは、自分自身の「看板商品」を否定するようなものだと思うんですよ。
あれを徹底的に否定してしまうと、これまでの著書は太平洋戦争直後の小学校の教科書みたいになってしまうはずです。
そう簡単には「転向」できないよね。
まあでも、これを読むと、なるべく中立でありたい(難しいけど)と決意している僕も「なんでこんなに不快感を煽るようにしか書けないんだろう?」と素朴な疑問を抱きます。こういうのも「PVを稼ぐための才能」なのかもしれないけどさ。
ただ、彼女が電通時代に受けたセクハラ・パワハラ・モラハラは、ひとりの人間をぶっ壊すレベルのものであると思います。看過してはいけない。
これを思い出して告発するというのは、精神的にきついはず。
そういう状況のときに、指摘に対して適切な反応をしないことを責めるのも、酷ではないかな。
現状では、本人の精神状態を考慮して、あまり厳しい言葉を投げかけないほうが良いのではないか、とは思うんですよ。
ネットを利用している人の大部分は、セクハラ、パワハラを「する側」よりも「される側」になる確率のほうが高いし、もしそうなったときの「最後の拠り所」になるかもしれないネットを「水に落ちた犬を嬉々としてみんなで打ち据える場所」にしてほしくはない。
インターネットは、使い方によって、強者にとって都合の悪いものを排除するためのツールにもなるし、弱者にとっての武器にもなる。
はあちゅうさんに復讐する良い機会なのかもしれないけれど、ここで、告発者がスケープゴートにしかならないようなネットは、たぶん、「出る杭を、ひたすら打ち続けるための場所」でしかない。というか、もうすでに、そうなりかけている。
監視社会が必ずしも悪いわけじゃないと僕は思っています。
中国では、ネット上の「信用点」を重ねるために善い行ないをする人が増えているそうですし、電車やコンビニでの迷惑行為が減ってきたのは、そこに「SNSの目」があることを人々が意識しているからでもあります。
ただ、「全く隙や失敗がない人」も、いないですよね。
たぶん、いま、いちばん「賢い」スタンスは、ネットにおいて、つねに「他者を評価する側」でいることなんですよ。自分からは何もしないで。
でも、そんな世界に生きることは、けっしてラクでも幸せでもない。
そして、常に自分が「ブックマークする側」でいられるかなんて、誰にもわからない。
割り切って炎上でPVを集め、お金を稼ぎたい人と、失うものがないゆえに、他者を叩くことだけが楽しみな人だけが発信しているインターネットって、存在意義があると思う?
なんだかゴチャゴチャした話になってしまいましたが、こんなふうに内ゲバをやっているうちに、本当に立ち向かうべき問題から、どんどん離れてしまっているような気がしてならないのです。
本人が堂々と公言している童貞、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だなー...。 https://t.co/wukTmTEi7K
— はあちゅう (@ha_chu) 2017年12月18日
この文章では、わかったようなことを書いてみたのですが、僕のこれまでの経験でも、けっこうあっけらかんと職場の女性にこのヨッピーさんのような接し方をしていたにもかかわらず、女性たちからは、ものすごく好かれていた人がいたので(ただし彼は、本当にどの女性に分け隔てなく、こういうトークをしていました)、岸さんのセクハラ・パワハラ・モラハラは明らかに間違っているのが大前提として、コミュニケーションとしての下ネタも全部禁止、というところまで行くのが正解なのかどうかは、よくわからないのです。
僕自身は、極力他人に関わらないに越した事は無い、とも思うんですよ。
本当に、わからないから。
対面ならケースバイケースで、不特定多数の人がみるネットではダメなのか、それとも、「一般論」としては許容範囲内で、特定の対象がいたらNGなのか……
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