いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:』で、中年男が人生初めての舞台あいさつを体験してきた話



bocchi.rocks


 趣味回なので、『ぼっち・ざ・ろっく』や青山吉能さんに興味がない人はすみません。最初に謝って予防線を張っておきます。


 というわけで、50過ぎのおっさんが、電車に乗って、『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:』(青山吉能さんのぼっち舞台あいさつ有り)を観てきた話をします。

 僕にとっては、人生初めての映画の舞台あいさつで、「何分前にシアターに入れば良いのだろうか?」「ぼざろファンの若者たちに囲まれて、肩身の狭い思いをするのではないか?」と不安いっぱいだったのです。事前にネットで「舞台あいさつ」「映画」で検索したところ、「舞台あいさつ」というのは普通の映画の上映前に他の映画の予告編とかが流れる時間に行われるので、書いてある「上映時間」に席についていれば大丈夫、とのことでした。そうか、そういうものなのか。そして、10分とか15分くらいで終わるものなのだな、と。

 この日の舞台あいさつは、後藤ひとり役の声優・青山吉能さん単独での「ぼっち舞台あいさつ」で、青山さんがひとりで登壇される、とのことでした。本当に青山さんがひとりきりでマイクを持ってステージに立ち、司会者もいなくて、青山さんがひとりで進行と出演者としてのお話をされる、という状況だったのです。

 僕は基本的に「青春もの」ってやつが大の苦手で、自分にはなかったキラキラした時間をみるとドス黒い嫉妬が沸き上がっていました。
 それが年齢とともに薄まってきているのを最近ずっと感じています。
 いやもう、自分の子どもが中学とか高校くらいになると、「自分にはなかった青春とかいうやつを、アニメやドラマのストーリーに外注して、自分の経験の一部にしてしまってもいいよな、記憶なんて所詮脳に記録された情報に過ぎないし、人間最後は炭素の塊だしな、と。
 学校で「一緒にご飯食べよう!」が言えずにお昼の時間がずっと気まずく、図書館で本を読んでいた僕にとっては、懐かしさと古傷をえぐられるような痛みを感じながら見守らずにはいられないのです、後藤ひとり。
 がんばってほしい、成功してほしい。でも、成長・成熟しまくって、「あの頃の自分はダメだったですね〜」とか音楽番組で語るような大人にはなってほしくない。


 僕は『ぼっち・ざ・ろっく』で青山さんのことを知ったのですが、YouTubeの番組の冒頭で、ひとりきりで自分の気になることや日々の生活を喋っている青山さんのトークがすごく面白くて、そして面倒くさく自分をこじらせている人っぽくて、いつも楽しみに聴いているのです。



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 僕はずっと面白くて面倒くさい人を好きになりやすい傾向があるのです。
 でも、仲良くなっても次第に相手は僕が退屈になり、僕は相手の面倒くささについていけなくなり、いつのまにか関係がギクシャクしてしまう、そんなことを繰り返して生きてきました。

 何の話なんだこれは。


 話を戻そう。


 それで、青山さんのファンになったのですが、さすがにこの年齢になると、イベントとかコンサートは、周りから浮きまくりそうだし、敷居が高い。
 今回、映画の舞台挨拶で博多に来られる、ということで、もし縁があったら、近くでお姿を拝見してみたい、と思い、この舞台挨拶つきのチケットの抽選に応募したのです。どうせ当たらないだろうな、それはそれでいいや、というか、当たったらむしろ行っていいかどうか悩むかも……

 近ごろ良いことが何もなく、というか、悪いことが続いているなかで、「どうせダメだろうな」と思いながらネットで抽選結果を確認してみたら、なんと「当選」の文字が!
 行っていいのか?周りの人に迷惑なのではないか?
 そう思いつつも、僕が残りの人生で青山さんに会える機会はこれが最後かもしれない、と心を決めて、劇場のけっこう前の方の席に座っていました。

 入場の行列に並んでみると、若者から僕くらいの年齢の人まで、かなり幅広い年齢層の人たちがいて、みんな映画の看板の前で記念写真などを嬉しそうに撮っていて、ちょっと安心したのです。これなら埋没できる、ということで。

 はじめて見た実物の青山吉能さんは、僕が予想していた以上に、「ラジオで喋っているままの青山吉能」でした。
 青山さんの地元が熊本ということもあって、博多にはレッスンなどで訪れる機会が多かったことや、イベントなどで「東名阪」止まりで、九州(福岡)が無いことのもどかしさ、十八番の「おたく煽りトーク」も冴え渡っていたのです。
 今回の舞台挨拶は、上映前だったので、ネタバレできない、という制約もあるなかで、「あれ、15分って、こんなに長かったっけ?」と思うほど(上映後に時計を確認したら、実際はあいさつ、という名の「青山吉能のぼっちトーク」は、30分くらいはあったのではないかと。
 パンフレットをはじめ、観客を煽りつつのグッズの宣伝(圧が強い!)や思い出の博多で、「主演映画」のスクリーンの前に立っている喜びとプレッシャーなども話されていました。

 あの時点で、すでに4回も観た、とか青山さんのスケジュールを追いかけて、舞台挨拶を全通している、という人がいるのには驚いた。

 いちばん鮮明に記憶に残っているのは、あいさつを終えて、青山さんが舞台袖から出て行くときに、ものすごい勢いで「くるっ!」と客席から出口を向き、振り返らずまっすぐに消えていったことでした。学校行事で「右向け右!」って言われた時のような、何かを断ち切るような決意みたいなものを感じる「回転」で、こんな舞台の去り方をしていく人は、はじめて見たような気がします。


 さて、映画『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:』の感想も少しだけ書いておきますね。
 青山さんも「ここから始まるのか!と意外だった」と仰っていましたが、僕もそう感じました。
 『月並みに輝け』は、『青春コンプレックス』以上のオープニング曲をつくるのは難しいだろうな、と考えていた僕に、ぼざろの音楽スタッフの実力を思い知らせてくれました。エンディング曲もすごく良かった。いずれも、映画館で一度聴くと、あらためて、歌詞をちゃんとなぞりながら聴いてみたい、と感じました。

 映画の内容は「総集編」であり、その「前編」である今作は、テレビ版を観た人のほぼ全員が「前編はたぶんあのシーンまでの話だろうな」と予想した通りの範囲ではあるのですが、時系列や演出がちょっと変えられていたり、結束バンドの音楽が映画館の音響で聴けたり(でも、音楽を大々的に流しまくる、という感じでもなかったのは意外でした)して、そして、「ここは総集編に入っていてほしい!」と思う名シーンが散りばめられていました。こんな声が人間に出せるのか、と話題になった、青山さんの「機械音」やネットの動画ですごく切り取られていた「にげたギター!」、廣井きくりとの邂逅(千本木彩花さんの声を聞くと「出たマルシルー!」と『ダンジョン飯』も観ているので思ってしまいます)、そして、あの名シーン「ぼっち覚醒」から、虹歌の決め台詞まで。

 正直なところ、名シーンの中でも、「ここまで入れて、その後をカットしたのか……」と、引っかかるところはありました。
 「ぼっち覚醒」シーンも、青山さんとスタッフがこだわり抜いて、何度も撮り直したというあのセリフが入っていないことが、僕には意外だったのです。きくりさんのシーンも、別れ際の「オチ」がないと、ちょっと寂しいな、と。

 上映時間的には、90分くらいなので、もう少し長くても問題ないはずで、時間が長くなりすぎて、泣く泣くカットした、というわけではないはず。
 斎藤圭一郎監督は、劇場版では「ぼっち覚醒」シーンを、あえてあのような形にしたのです。
 テレビアニメから観てきた人が「えっ、なんか唐突じゃない?」と思うのも、おそらく「想定内」でしょう。

 上映中は「えっ、あれ入ってないの?」だったんですよ、率直に言うと。
 終演後、帰りの電車に揺られながら、どうして?と考えていました。
 監督は『葬送のフリーレン』で、「描きすぎない美学」みたいなものに取り憑かれてしまって、『ぼっち・ざ・ろっく!』の大事な場面をカットしたのだろうか?

 正解はわからないのですが、僕自身が出した答えとしては、映画の90分、この劇場版の展開では、あの「ぼっち覚醒」のシーンをTV版のままやると、そこだけが重すぎて、全体のバランスが悪くなる、ということだったのではないかな、と。
 僕はこの作品の8話が大好きで、今でも時々見返しているのですが、あの「ぼっち覚醒」が心に突き刺さるのは、それまでの7話での様々な後藤ひとりの迷いや鬱屈に伴走してきたから、でもあります。
 その「溜め」の部分を丁寧に描かないまま、覚醒シーンだけをTV版のまま使うのは、初見だったら「なんでいきなりこんなことになるんだ?」という違和感を生んでしまう。

 おそらく、「いきなり劇場版から入る」という人は少数派ではないか、と思うのですが、劇場版は、時間的な制約もあってか、「あまりやりすぎないように、クドくなりすぎないように、ちょっと長いプロモーションビデオのような流れの作品」を志向しているように感じました。

 TV版では、虹歌の「ぼっちちゃんのロック、ぼっちざろっくを!」という決め台詞とともに虹歌の髪がひらりと揺れ、ひとりの「はい!」、そして、虹歌(CV・鈴代紗弓)の歌の「なにがわる〜い」までがワンセットの神がかった名シーンだと僕は思っていて、エンディング曲が新曲である以上、同じ場面にはならない、なりようがない。

 劇場版は「総集編」ではあるけれど、TV版の名場面を繋ぎ合わせただけではないし、90分でまとまった、TV版未見の人がみても「置いてけぼりにされない」内容でありたい、ということなのかな、と。

 この世界にもっと深く入りたい人は、TVアニメ版を観ればいい、映画版で消化不良なファンも、TV版を見直せばいい。

 と、わかったようなことを書きましたが、あれは「英断」ではあるなあ、と思っていますし、「そのくらいサービスしてくれてもいいんじゃない?」という気持ちもあります。

 実際のところ、テレビアニメの1クール、12話とか13話を全部観るっていうのも、けっこう大変ではあるんですよね。
 その気になれば半日で観ることはできる、はずなんだけれど、僕も観るつもりでずっとお気に入りリストに入れているだけ、とか、つまらなかったわけじゃないけど、1話だけみて続かなかった、という作品がたくさんあります。というか、そういうのだらけです。
 
 この総集編は、TV版への「新しい入口」としての機能も担わせようとしているのかもしれませんね。
 (前編だけど)90分なら、「今まで興味なかったけど、試しに30分だけ観てみようか」っていう人だって、いるだろうし。

 
 「個性捨てたら、死んでいるのと一緒だよ」

 リョウさん(CV・水野朔)の言葉、こんな中年男にも刺さりました。


 「『ぼざろ』で、人生変わった」と青山さんはよく仰っています。
 キャスト、とくに青山さんと長谷川育美さん、曲を提供されている音羽さんは、それぞれ「挫折」や「停滞」を経験され、試行錯誤と縁で、ここに辿り着いたという経緯もあって、僕はそんな「創っている人たちの人生の重み」も含めて、この作品が大好きなのです。


 僕の「死ぬまでにやりたい100のこと」のリストの1つをクリアしてきたよ。


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