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第1作「機動戦士ガンダム」(1979)から14年後の宇宙世紀0093年。宇宙に住む人々(スペースノイド)を地球から支配する地球連邦政府に反抗するネオ・ジオン軍の総帥となったシャア・アズナブルが、小惑星を地球に落下させようとする。その衝撃によって人為的な氷河期を引き起こし、地上にとどまり続ける人類を宇宙に強制移動させ、地球の自然環境を回復させようというのだ。シャアとは深い因縁で結ばれた主人公アムロ・レイは、自ら設計した新型MS(モビルスーツ)のν(ニュー)ガンダムに乗り、シャアの企みを阻止するため戦場を駆ける。
近くの映画館で、1988年劇場公開の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が4DXで公開されており、上映終了が迫ってきていたので観てきました。
この映画、高校生のときに、全寮制男子校に通っていた僕が、中学校の頃からの地元の友達と一緒に観に行ったので、けっこう記憶に残っているんですよ。
1980年代後半、地方都市の高校生にとっては、「映画を観に行く」というのはけっこう大きなイベントでしたし、「あの『ガンダム』、しかも、アムロとシャアの因縁の対決」ということで、ガンダム大好きなわれわれは、これは観ずにはいられない、と思っていたのです。
(以下、30年以上前の作品ですし、ストーリーについても触れたいので、ネタバレ全開で書きます。御了解ください。まだ観ていない人は観てほしいのはやまやまなのだけれど、これをファーストガンダム、Zガンダムの予備知識なしで観て面白いかどうかは正直よくわかりません。というか、何この時代錯誤な連中、みたいな感じかもしれません。でも、1980年代後半って、ノストラダムスの大予言とか、人口爆発と開発によって、地球の自然が徹底的に破壊される、というのは、確実性の高い未来予想図だと考えられていたのです。注釈がいつもにまして長いなこれ)
本題に戻りましょう。
30年以上前に、映画館で観た『逆襲のシャア』に対して、僕はムカつきながら映画館を出てきたんですよ。
アムロとシャアが心中するような結末にするための続編とかつくるんじゃねえよ富野由悠季!せっかくZガンダムでまたこの2人に会えて、それなりに和解もしたみたいなのに、こんなオチなのかよ……しかも、やたらとストーリーをかき回してやられるだけのクエス・パラヤうざい、じゃま! ハサウェイもあんまりだろ……最後のアクシスを止めるためにみんなが集まってくるところにはけっこう感動したけどさ……
まあ、こんな感じだったわけです。
そうそう、主題歌のTM NETWORKの『Beyond The Time』は良かったよねえ。『愛・おぼえていますか』と並ぶ、アニメ映画主題歌の金字塔だと思う。当時、TMは出す曲がみんなヒットする絶頂期だったし、この曲自体がすごくカッコよくて『逆襲のシャア』の世界観にも合っていました。
で、今回、4DX版を観に行こうと思ったのは(というか、近くの映画館では4DX版しか上映していなかったのですけど)、最近、押井守監督が、この本のなかで、『逆襲のシャア』を語っておられるのを読んだからでもあるのです。
押井:シチュエーションだけではなく、台詞にもケレン味がある。「人類を粛正してやる」なんて台詞は、ほかの監督が使ったら「何様だよ!」って話になるし、「思い上がるな!」と思うんだけど、富野さんが使うと、ものすごくナチュラル。
──ナチュラル(笑)。
押井:ずっとロボットアニメをやってきた富野さんだから許される台詞であり、納得できる台詞なんだよ。
──なるほど。そうですよね。
押井:富野さんのアニメは、延々としゃべっているからね。アクションしながら議論している。僕どころじゃないよ(笑)。「押井映画は台詞が多すぎる」ってしょっちゅう言われるけどさ、「だったら、なんで富野さんのことを誰も文句を言わないわけ?」って話だよね。
──恨んでいるんですね(笑)。
押井:恨んでないよ。共感しているんだよ。僕は富野さんのことが好きなんだよ。実は宮さん(宮崎駿)も富野さんのことが大好きなんだよ。宮さん、よく富野さんに電話しておしゃべりしていたからね。宮さんと富野さんって実は仲良しなんだよ。
押井監督は、この映画の「富野監督らしさ」が、けっこう好きだったみたいです。
30年前は、「こんな終わりは嫌だ」と思ったのだけれど、僕自身が当時の富野監督の年齢に近くなった今回は、なんだかすごく楽しかったんですよね、『逆襲のシャア』。結末を知っていて、あれから30年経ってみると、広い映画館のスクリーンで、モビルスーツが縦横無尽に動き回り、4DXの効果で、背中が「ドン!」って刺激されたり、耳元から空気の塊が出てきたり、シートがガタガタにするのも、ちょっと酔いそうだったけどワクワクしました。なんだか自分もモビルスーツのコックピットにいるみたいな雰囲気です。お客さんが館内に3人しかおらず、リラックスできた、というのも大きかったのかもしれないけれど。
「ならば、愚民どもに今すぐ叡智を与えてみせろ!」
正直、2020年に観たシャア・アズナブルは、博物館に飾ってある「20世紀の世界を彩った革命家の肖像画」みたいだったんですよ。
それに対して、アムロは、「インテリは素晴らしい理屈で革命を起こそうとするのだけれど、人々はその先鋭的な思想にどんどんついていけなくなっていき、結局、革命家は(自ら結末に責任を持つことはなく)隠棲してしまう」(これは映画のセリフ通りではないと思いますが、こんなニュアンスの言葉だったと思います)とシャアを批判するのです。
「ベルリンの壁」が崩壊したのは、1989年11月ですから、この映画が公開された時点では、東西冷戦が終わり、ソ連が崩壊するなんて、予想もつかなかった。さすがに、日本が「共産化」すると信じていた人はもうほとんどいなかったと思うけれど、「革命」みたいなものに、まだ幻想を抱ける時代でもあったような気がします。
『逆襲のシャア』って、ひたすら、「革命家になってしまった、シャア・アズナブルの映画」なのだな、と、今回観て、はじめてわかったような気がします。
本当にひどい男なんですよ、シャア。出先で偶然出会い、自分を助けてくれたクエス・パラヤが、自分に憧れているのを知って近くに置き、ニュータイプとしての才能があるとわかればモビルスーツ(アーマー?)に乗せて戦場に出す。側近であり、愛人でもあるナナイに対して、クエスが反発すると、クエスには「ナナイにはよく言い聞かせておくから」と話しておいて、ナナイやクエス好きの若い強化人間には「俺はあんなガキになんか興味はないから」と二枚舌を発揮しまくります。
そもそも、アムロにしても、シャアにしても、愛人(恋人)をずっとそばに置いているのですから、「こいつらの軍紀は、いったいどうなっているんだよ」と苦言を呈したくもなります。
アクシズ落としというネオジオンの最重要作戦中に、ガキに振り回される総帥・シャア! 何かのワナかと思ったら、本当に「相手が弱かったら面白くないから」と、サイコ・フレームの情報をロンド・ベルに横流ししていたシャア! 単なるナルシストのロリコンじゃねえかこの男。愛人の前では、愚痴を言ったり、甘えたりしてばかりだし。
……でも、革命家って、こういう人間なのかもしれないな。こういうヤツが、モテるんだよな……
30年前は「何、このシャア……」って思ったのだけれど、オッサンになった僕には、作戦を成功させたいんだか、自分を止めてほしいんだかよくわからず、女とイチャイチャしているだけの最低ジゴロ革命家が、なんだかとても魅力的に見えたのです。
逆に、昔に比べて精神的に安定していて、正論や妥協案ばかりを口にするようになったアムロ・レイは、なんだかすごく印象が薄かった。
(もしかしたら、それが30年前、僕がこの映画を好きになれなかった理由のひとつだったのかもしれない、と今回思いました)。
あのときは、「こんな形で、映画のために2人を死なせるなよ!」と憤ったのだけれど、今となっては、「それなりの舞台で、『決着』をつけられて、これで良かったのかもしれない」という気持ちが半分くらいになりました。
それでも、あと半分は、『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)のラストに感じた希望をどうしてくれる、という感情もあるのですけど。
クエスという物語をかき回してあっさり死ぬだけに出てきたキャラや、次々と死んでいく登場人物たちも、「まあしかし、戦争って実際はこんなふうにあっけなく死んだり、味方に誤射されたりするものなのかもしれないな」と、けっこう受け入れることができたのです。
カッコいいモビルスーツの戦闘シーンが出てきて、どうしようもない革命家のシャアを観ることができて、アムロとシャアが戦うシーンがあれば、もう、それでいいや。
記憶のなかでは、ガンダムでアクシズの進路を変えようとするアムロのところに、連邦軍のモビルスーツたちが集まるシーンはもっと長くて感傷的なものだったのですが、あらためて観てみるとそんなに長いシーンではなく、あっさりやられていましたし、アクシズの進路も案外早めに変わってしまったような気がしました。そして、アムロとシャアの「最期」も、もっと決定的に描かれていたような気がしていたのだけれど、その気になれば、「実は生きていました!」っていう続編も作れなくはないくらい、「シチュエーション的には死んだに違いないけれど、その場面は作品中には描かれていなかった」のです。
エンドロールを観ながら、TM NETWORKの『Beyond The Time』に浸ろうと思っていたのだけれど、曲はけっこう短く編集されていました……
『風の谷のナウシカ』を観たときも思ったのですが、30年くらい前のアニメ映画って、エンドロールが今に比べるとすごく短いよねえ。
『めぐりあい宇宙』は、どうだったかなあ……
「革命」なんていう概念が、すでに時代遅れになってしまった(ようにみえる)世界で観る、『逆襲のシャア』は、なんだかとても心惹かれるというか、「結局、シャアがいちばん成長しない、どうしようもないヤツだったんじゃないか?」と言いたくなる作品でした。
でも、そういう、本人さえもてあましている「どうしようもなさ」に、作中では多くの人が惹かれるし、アニメファンも、この男を放ってはおけない。
こういう人をみていると、人間として地道に生きるというのは、割に合わないところがあるよなあ、と僕のようなつまらない人間は愚痴のひとつもこぼしたくなるのです。
あと、4DXで2600円は、ちょっと高いよなあ、とは思ったのです。演出もパターンが決まっているので、30分もすると、「またこの背中ドン!か……」という感じですし。でも、大画面で観られたのは、本当によかった。楽しかった。
「何これ!」と思ってから30年、僕もようやく『逆襲のシャア』が「わかる」年齢になったのかもしれません。
しかし、時代の流れっていうのは、変わっていくものではありますね。
僕はこれを見ながら何度も「シャアに、『FACTFULNESS』を読ませてあげたかった……」って思いましたよ……
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