春だ。ダメだ。
4月からなんとなく気分が落ち込んでしまい、ゴールデンウィーク明けくらいに気鬱がピークに達し、梅雨時くらいから、平常運転(やや鬱気味)くらいに戻ってくる、というサイクルを繰り返している。
なんだか周りがザワザワしているとダメなのかもしれない。自分自身が転勤やら環境の変化であわただしくしている年には、気が張っているのか4月はそんなに落ち込むことはないのだが、ゴールデンウィーク明けになるとドンと落ちる。
あらためて考えてみると、ゴールデンウィークだからといって、ある程度休めるようになったのは、この5年くらいのことなのだが。
不眠不休で救急車を受け入れ続ける、恐怖の休日当番、みたいなのが無いだけでも、人生だいぶマシにはなった。
最近、「スシロー」でネット注文をする機会があったのだが、「スシロー」のテイクアウトのシステムはすごかった。
アプリからテイクアウトの予約をすると、メールでQRコードが送られてきて、コインロッカーみたいな商品保存庫でそのQRコードをかざすと自分が頼んだ寿司が入っているロッカーが開き、本当に「誰とも、ひとことも話すことなく、店員さんと顔を合わせることもなく、寿司を買って帰ることができる」のだ。
おそらく、店側にとっても「極力、店員さんの仕事を減らして効率化する」というメリットはあるのだろう。
新型コロナ禍以降、ネット注文でテイクアウトを利用する機会は多かったのだが、僕自身のこれまでの経験では、ここまで人と接することなくテイクアウトできるシステムというのは無かった。
マクドナルドのドライブスルーでも音声で注文したり、ネット注文でも店員さんと商品のやりとりをしなければならなかったし、『ほっともっと』や『吉野家』『松屋』『ココイチ』のネット注文でも、受け取りの際には店員さんに名乗る必要があった。「ウーバーイーツ」だって、店員さんと玄関口で商品(とお金)のやりとりが必要だったし、「置き配」にしても、マンションの玄関を開けるためのやりとりはあった。
僕は対人恐怖(羞恥)がずっとあるのだけれど、子どもの頃よりはだいぶマシになった。子どもの頃は、書店のレジに本を持っていくのでさえ恥ずかしくて仕方なかったのだ。
学生時代は、「今、電話かけてだいじょうぶかな、ご飯食べてるかな、いま、流行りのトレンディドラマやってるしな……そもそも、僕と電話で話とかしたくないよな……」などと思っているうちにいつの間にか夜中になり、けっきょく大事な要件を伝えそびれる、ということばかりだった。
思えば、ネット社会になったことで、僕はだいぶ生きやすくなったとは思う。
他人に電話をしなくてもよくなったし(とはいえ、SNSやメールのやりとりは、ちゃんとしようと考えすぎて、いつも滞ってしまう)、思い切って予約の電話をして「その日はいっぱいです」とか言われて、いちいち落ち込んでしまうこともなくなった。どんなマニアックな本でも、Amazonの表情は想像しなくていい。
いい時代になった、と感謝しているし、できれば、今の時代に子どもだったらよかったのに、とも思う。
そんなのでよく仕事とかできるな、と自分でも考えるのだが、「役割」があれば、それを演じることはできるみたいだ。これも訓練の賜物ではあるけれど。だから、「役割」を外れてしまうとどうしていいのかわからなくなり、休みの日に患者さんをショッピングモールで見かけると、コソコソと避けてしまうこともある。まあ、相手も気まずいだろうし(そうじゃない人もいるみたいだが)。
最近は、誰かに電話をするときも「客あるいは自分という役割をうまく演じる」つもりになっている。いや、単に年を取って、過剰すぎた自意識が、それなりにどうてもよくなってきただけなのかもしれない。
少し話を戻すけれど、僕が『スシロー』のテイクアウトのシステムに感動したのは、本当に「全く店員さんと直接接しなくてよくなっていた」からだ。
人というのは贅沢というか、慣れるもので、これだけ便利になったらなったで、家まで届けてくれるとしても「宅配便の人を待ったり、玄関先で商品を受け取ったりすること」がひどく面倒に感じたり、ネット予約したテイクアウト商品の受け取りの際に、車を降りてレジで名乗り、店員さんとやりとりする「ひと手間」が、小さくないハードルのように思えてしまう。
以前は「自宅まで届けてくれるなんて!」だったAmazonが、「配達までのタイムラグとか、届けられるときの配達する人とのやりとりとかを考えると、そんなに便利じゃない気がする」ようになってきた(可能なものは宅配ボックスを使ってはいますが)。
それならもう、店の券売機で注文して、食べて帰ったほうが簡単な気もする。
まあ、そういうわけにはいかない状況だから、テイクアウトにするわけなのだが。
あと、ネットでのやりとりに慣れてきて、あらためて思うのだが、直接人間と話をすると、こじれることも多々あるけれど、ネットでは条件式に基づいてあっさり「ダメ」だと言われてしまうことが、人間相手だと、融通をきかせてくれることは少なくない。
この資格試験を受けた友人の話のように、「直接相談してみたら、親身になって助けてくれた」という事例はけっこうある。
ネットの観客って、良くも悪くも「他人事としてコメントしてくる」し、よりダメージを与えやすい発信者(相談者)への風当たりが強くなりがちではなのだ。
そういう「傾向」があることは、知っておいたほうがいいし、本当に大事なことを相談するときには「相手」を間違えてはいけない。
blog.tinect.jp
本当に解決したい問題は、それを解決できる力がある人に相談するべきなのだ。
「ちょっと愚痴を垂れ流したい」だけなら、ネットも良いのでしょうけど、「ネットに書く」ということは「世界中に垂れ流す」のと同義になってしまうこともあるし。
ネットはものすごく「便利」なのだけれど、運用する側にとっては「効率化」できるし、相手の細かい要望を「門前払い」しやすい面もある。
ほとんどのことがネットで可能になってきている時代だからこそ、あえてネットに頼りすぎない、というか「だからこそ、めんどくさい対人コミュニケーションが裏技になりやすい」。
とくにオチとか結論がない文章で申し訳ありませんが、今はこれが限界みたいなので終わります。
ただ、こんな文章でも、書いていたら少し元気が出てきたような気がします。