いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「圧倒的な戦力差がある状況で、それでも戦い続けること」


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 この「ウクライナが引く以外にはない」という玉川さんの発言に対しては、かなり批判の声が大きいようです。
 ウクライナの人々にとっては、強大な軍事力と核兵器を有するロシア(ロシアの戦力はウクライナの25倍、というのをどこかで見ました)に侵攻されており、世界各国は政治的な圧力や経済制裁で支援しているものの、世界大戦になることへの恐れもあり、直接援軍を送る、という動きは全くみられていません。


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EUNATOに加盟している国々にとっては、「ウクライナには、あまり西欧に寄りすぎず、NATOとロシアの『緩衝地帯』であってほしかった」というのが本音だったと思います。とはいえ、ウクライナの国民にも意思があるわけで、「みんなのために君たちは現状維持で我慢してくれ、それが世界のためだ」なんていうのを押しつけるのもひどい話です。

以前、サンデル教授の本のなかで、「ひとりの罪のない子供を幽閉することによって繁栄する街があるとすれば、みんなのためにひとりを犠牲し、自由を奪うのは『正しい』のか?」という思考実験がされていたのを思い出します。

実際は、ウクライナが現状維持を続けていれば、ロシアがずっと何もしない、という保証もないのですが。

2022年に生きていて、これだけグローバル化が進み、貿易とインターネットによる情報のネットワークでつながってしまった世界では、テロや発展途上国での権力闘争は残るとしても、国と国との大規模な戦争は起こらないのではないか、と考えていました。
今回のロシアのウクライナ侵攻は、21世紀に、「20世紀の戦争」が突然よみがえったように見え、そして、21世紀の世界は、「血を流すことをいとわない、核保有国の実力行使」に、ここまで無力なのか、と思い知らされました。
世の中が「反暴力」「話し合い重視」になればなるほど、「暴力を行使するのをためらわない者」に対して当事者は脆弱になりやすい。
もちろん、中長期でみれば、経済制裁は効いてくるでしょうけど、自分が強盗に殺されてから犯人が逮捕されても、「手遅れ」だとしか言いようがない。

公道でDQNに因縁をつけられる、というレベルであれば、逃げるという選択肢もあるのですが、国レベルで侵攻されてきた場合には、「やりすごす」わけにもいかないですよね。


冒頭の玉川さんの発言についても、ロシアとウクライナの歴史に触れて、「降伏しても悲惨な状況になるのであれば、抵抗するのが当然だろう、日本が太平洋戦争に負けたときはアメリカによる占領で運が良かっただけだ」という意見は多いのです。

歴史的にみると、実際にポツダム宣言を受け入れるまでには紆余曲折があって、日本にも「鬼畜米英に降伏すれば皆殺しにされ、婦女子は凌辱される。それくらいなら『総特攻』で日本国民最後の1人まで戦おう」と訴えていた人が大勢いたのです。
沖縄では民間人が半ば強制的に「集団自決」させられていました。


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 僕は究極的には「他国の戦争について、当事者以外が死ぬまで戦え、とか、さっさと降伏しろ、とか言う資格はない」と思っています。
 ただ、この『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』という本で紹介されているデータをみると、「圧倒的な戦力差がある状況で、それでも戦い続けること」は、とくに戦争末期になると犠牲者数の激増につながるのです。


 アジア・太平洋戦争でのアメリカ軍の戦死者数は9万2000人から10万人とされているそうです。
 日本人に関しては、この310万人の戦没者の大部分は、サイパン島陥落(1944年7月)後の絶望的抗戦期の死没者だと著者は指摘しています。
 ちなみに、日本政府は年次別の戦没者数を公表しておらず、福井新聞社厚生労働省に問い合わせた際には「そうしたデータは集計していない」という答えが返ってきています(2014年12月8日付)。2015年7月に、朝日新聞社が47都道府県に年次別の戦没者数をアンケートした際にも、岩手県以外はすべて「調べていない」という回答でした。

 岩手県は年次別の陸海軍の戦死者数を公表している唯一の県である(ただし月別の戦死者数は不明)。岩手県編『援護の記録』から、1944年1月1日以降の戦死者のパーセンテージを割り出してみると87.6%という数字が得られる。この数字を軍人・軍属の総戦没者数230万人に当てはめてみると、1944年1月1日以降の戦没者は約201万人になる。民間人の戦没者数約80万人の大部分は戦局の推移をみれば絶望的抗戦期のものである。これを加算すると1944年以降の軍人・軍属、一般民間人の戦没者数は281万人であり、全戦没者のなかで1944年以降の戦没者が占める割合は実に91%に達する。日本政府、軍部、そして昭和天皇を中心にした宮中グループの戦争終結決意が遅れたため、このような悲劇がもたらされたのである。


 この本では、「絶望的抗戦期」の日本軍の物資不足や兵士の質の低下が数字で示されているのです。

 次に現役兵の状況を見てみよう。中国に駐屯していた第六八師団の場合、軍隊生活が長い古年次兵の体重は概ね56キロを示していた。それに対し、1945年3月に現地に到着した現役兵の平均体重は約50キロにすぎず、「その他、胸囲および負担早駆(土嚢などの重量物を担いで疾走させる体力検査)はもちろん、各種体力検査において本年度初年兵は例年の初年兵に比し、著しき遜色を示し」ていた(「衛生史編纂資料」)。


 体格だけでなく、入隊するまでの訓練も不十分な兵士たちが多くを占めていたのです。
 戦況が悪化するにつれ、補給もままならなくなり、前線の兵士たちは、深刻な食糧不足に悩まされます。

 前線部隊に無事に到着した軍需品の割合(安着率)は、1942年の96%が、43年には83%に、44年には67%に、さらに45年には51%にまで低下し、海上輸送された食糧の三分の一から半分が失われた。積み出した軍需品の量自体が現地軍の要求を大きく下回る状況下での安着率のこの低下である(『太平洋戦争 喪われた日本船舶の記録』)。

 栄養状態が悪く、高齢・若年の未熟な兵士たちがどんどん送られてくる一方で、補給物資は届かなくなってしまっているのです。その結果として、兵士たちの多くは、戦場で飢えて命を落としていきました。
 1944年10月にはじまったフィリピン防衛戦についての1964年の厚生省の調査では、51万8000人の軍人・軍属の戦没者のうち、直接戦闘での死者は35〜40%でしかなく、残りの65〜60%は「餓死」あるいは「病気+餓死」で亡くなっていたと推定しています。


 物資の面では、ウクライナは、太平洋戦争中の日本軍よりはずっと、欧米諸国による支援が期待できるとは思います。
 とはいえ、圧倒的な戦力差があるなかで、「絶望的な状況になっても交戦する」という方針を貫けば貫くほど、民間人も含めて犠牲者は指数関数的に激増していくのです。


 「では、負けそうだと判断すれば、すぐに降伏してしまったほうがいい」のか?


 これもまた、難しい問題です。
 たとえば、日本軍の飛行機での「特攻」は、実際に挙げられた戦果としては、犠牲に比べて微々たるものだった、と言わざるをえません。米軍が対策をこうじるようになってからは、目標まで到達できずに撃墜されることがほとんどだったのです。
 戦艦大和も、あれだけ大事に「温存」しておいて、最期は片道の燃料だけを積んで、乗員とともに沈むために出撃したようなものでした。

 僕は若いころにこういう話を聞いて、「なんて日本軍は愚かだったんだ」と思っていました。

 でも、「歴史」という観点でみると、「カミカゼ」や「イオウジマ・ソルジャー」というのは、敵国であったアメリカにとっても「異常」「異質」な存在であり、「そこまでして抵抗してくる日本人」というイメージが「畏怖」として作用している面もあるように感じます。

 『300』という映画があるのですが、これは、ペルシア戦争で、レオニダス王率いるスパルタの精鋭300名が、数十万(史料によって数字はまちまちですが)のペルシア軍をテルモピレー渓谷で迎え撃ち、激闘の末に全滅したという戦いを描いたものです。

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 僕はこの戦いを、高校時代の世界史の副読本で読んだのですが、「なんでこんな無謀な戦いをしたのだろう?」という疑問とともに、圧倒的な戦力差にもかかわらず、最期まで戦い抜いたスパルタ軍を描いた戯曲の一部を読んで、感動せずにはいられませんでした。この戦士たちは、なぜ、ここまでして戦い抜いたのか。

 『300』のラストで、ギリシアの連合軍の指揮官が、テルモピレーでのスパルタ軍の奮戦を兵士たちに話し、戦意を高揚させる場面があります。

 大坂夏の陣真田幸村(信繁)の戦いも、ずっと語り継がれているのです。


 実際のところは、彼らは「美しい死」だけを求めていたわけではなくて、「敵軍の侵攻を遅らせて、味方の態勢を整える時間を稼ぎたい」「相手に多大な犠牲を強いることによって、敵国の世論を厭戦的にして、より有利な条件での講和に持ち込みたい」「敵の大将を討ち取れば、形勢逆転のチャンスがあるのではないか」「こちらが優勢であるところを見せれば、寝返ってくる大名もいるかもしれない」などの思惑もあったのです。
 後世からみると「それは希望的な観測にすぎる」ことばかりだとしても、当時の彼らは、その可能性にすがるしかない状況でもありましたし、そもそも、他者の思惑とかその後の行動なんて、その時代の人には「わからない」。
 僕だって、まさかプーチン大統領が、ウクライナに「20世紀の戦争」を仕掛けるなんて思ってもいませんでした。


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『サピエンス全史』のなかで、著者は人間の文明をここまで進化させてきたのは「虚構(フィクション)を信じる力」なのだと繰り返し述べています。

 伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろ! ライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。
 現実には存在しないものについて語り、『鏡の国のアリス』ではないけれど、ありえないことを朝飯前に六つも信じられるのはホモ・サピエンスだけであるという点には、比較的容易に同意してもらえるだろう。サルが相手では、死後、サルの天国でいくらでもバナナが食べられると請け合ったところで、そのサルが持っているバナナを譲ってはもらえない。だが、これはどうして重要なのか? なにしろ、虚構は危険だ。虚構のせいで人は判断を誤ったり、気を逸らされたりしかねない。森に妖精やユニコーンを探しに行く人は、キノコやシカを探しに行く人に比べて、生き延びる可能性が低く思える。また、実在しない守護神に向かって何時間も祈っていたら、それは貴重な時間の無駄遣いで、その代わりに狩猟採集や戦闘、密通でもしていたほうがいいのではないか?
 だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。

 「宗教を信じられなくなった、合理的に生きる現代人」というのは、集団における協調という点では、「退化」しているのかもしれません。
 ただし、宗教の代わりに、「自由」とか「民主主義」という「かたちのない虚構」が、多くの人を結びつけ、ときには命を捨ててまで「集団や理念のために」奉仕させるのです。
 著者は、その「共同幻想」の最たるものとして「お金」を挙げています。
 お金に価値があるのは、みんながそれを価値あるものだと「信じているから」なんですよね。
 そうでなければ、単なる紙切れか金属片でしかない。

 国や国民のため、あるいは自らの信念のために命を落とした英雄たちのことは、昔ほど「神や宗教」を信じられなくなった現代人にとっての「共通の神話」になっているのです。

 長い目でみれば、あるいは、歴史的な観点からいえば、「絶望的な状況でも抗戦し、命を落とすこと」には「意味」や「意義」が無いとは言い切れない。いや、不合理で残酷であるからこそ、そのことに後世の人々は影響されずにはいられない。

 でも、それを理由に、いま生きている人たちに「大義に殉じる」ことを強制することができるのかどうか。

 深い信仰を持たない僕は「自分が死んだら、(自分にとっての)世界は終わり」だと思ってしまう。


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 先日書いたことの繰り返しになるのですが、この本に、こんな記述があります(ベトナム戦争についての項より)。

 本来軍事的に優位に立つはずのアメリカがハノイに追いつめられたのは、ハノイの損害受忍度の高さ(交戦相手よりもより大きな損害を受忍する覚悟がある)にあった。1986年12月、ハノイホー・チ・ミン国家主席は「アメリカ人が20年戦いたいなら、われわれも20年間戦う」と述べた。ホー・チ・ミン第一次インドシナ戦争開戦前夜の1946年にも、フランスに対し「君たちと私たちの戦死者比率は1:10になるだろうが、それでも負けるのは君たちで勝つのは私だ」と警告したことで知られる。
 実際にベトナム戦争におけるハノイ側の戦死者数は、人口に占める割合としては第二次世界大戦における日本の被害の倍以上であった。ハノイにとってこの戦争は、いかなる対価を払ってでも手にすべき民族独立のための戦いであった。


 このウクライナ侵攻がはじまったとき、「ああ、21世紀のグローバル社会も、『実力行使』の前には無力なのだな」と思い知らされたのです。
 でも、今は「ここでロシアの野心(あるいは迷惑で傲慢な危機意識)を、世界が直接武力介入ではないやり方で阻止することができたら、今後、同じようなことをやろうとする国を抑止できる」という「世界史の岐路」にいるのではないか、と感じているのです。危機は、時代の変化を知らしめる機会でもある。アップル製品が売られなくなったり、スターバックスが営業停止されたりしているのは、外からのイメージ以上に、そこにいる民衆には「効く」のではなかろうか。
 長引くほど遺恨が残る可能性はあるとしても。

 ロシアが核兵器を1発どこかに打ち込めば、状況は全く変わってしまうかもしれないし、この侵攻のあと(あと、があれば、ね)、世界はロシアとどう接するのか、ずっと「制裁」を続けるのか、やめるとしたら、どのタイミングなのか。

 玉川さんの意見は「逆張り」のように思えるけれど、「絶望的な状況で抵抗を続けること」で増える犠牲者の数を考えると、「どこかで戦闘を止めることを考えるのならば、早いほうがいい」というのは、ひとつの考え方ではあるのです。ロシアがウクライナ全土を植民地にしたり、全国民を虐殺したり、ネットでの世界への情報発信を禁じたりするというのは、いまの世界情勢とウクライナの規模を考えると難しいでしょうし。

 その一方で、絶望的な状況でも戦い続けること、が世界へのメッセージとして受け止められる面もある。

 ウクライナが早々に降伏していたら、たぶん、世界は、ここまでウクライナを注視・応援しなかった。

 正直、これだけ長い間「平和教育」を受け続けてきた日本人でも、実際に大きな戦争を目の当たりにすると、少なくともネット上では「自分の国を守るために血を流して戦うのが当然」「降伏なんてありえない」という人がけっこう多いということに、僕は驚いています。太平洋戦争のときの日本人もこんな感じだったのかな、とも、想像してしまうのです。


 映画『この世界の片隅に』を観ると、僕たちが「不幸な時代だった」と認識している太平洋戦争のちょっと前には、地方都市でも、アイスクリームにウエハースを乗せたデザートを新しいもの好きの人たちが食べていて、「自立しようという女性」も出てきていたのです。

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 軍隊も、大正時代には、上官に意見が言える、風通しが比較的良い組織だったそうです。
 それが、数十年で、変わってしまった。


 自国が「侵攻」されたら、戦うか降伏するか逃げるかしかなくて、降伏しようと主張するとか逃げてしまうというのは、それはそれで勇気が要ることではありますよね……

 結局、ひとりひとりの人間は「時代に流されていく」しかないのかもしれません。
 そういう意味では、これまでの僕の50年間というのは、恵まれた時代を生きていただけのようにも思われるのです。


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