いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

戦争と憎悪


 ウクライナへのロシア軍の侵攻が続いています。
 正直、2022年に、こんな20世紀半ばのような「戦争」が起こるとは思っていませんでした。
 でも、こうして日本で生活をしていると、ニュースで観るウクライナの人々の苦境に同情する一方で、この高度に情報化されている社会でも、結局、自分の手の届く範囲というのは、ごく限られた範囲なのだな、と思うのです。僕の日常は、今のところ、ガソリン代が上がったり、株価が乱高下していることくらいしか変わりがない。

 新型コロナウイルスに関しては、僕自身が医療の仕事をしていることもあって、怖さはあったけれど、やるべきことはだいたいわかっていたつもりだし、人類が生き残るか、COVID-19で人間が全滅するか、というシンプルな構図ではありました。
 人類史上、ペストやスペインかぜなど、感染症が猛威をふるったことは何度もあったけれど、現在より人の国境を超えるような移動が少なかったこともあり、大勢の犠牲者を出しながらも、感染症は数年単位で終息していきました。感染者が増えることにより集団免疫もできるし、ウイルスの側も、宿主が絶滅することを望んではいないはず。

 たぶん、今回も人類が生き残るだろう。もし絶滅するとしても、みんな死ぬんだったらもうそれはどうしようもない。筒井康隆の『霊長類南へ』みたいな世界を目の当たりにするのもそれはそれで貴重な体験かもしれない。人間一度は死ぬのだから、「人類の終わり」に居合わせるというのは、ある意味特別な体験でもある。
 ……まあ、そんなのは思考実験でしかなくて、僕だってまだ死にたくはないのですが。でも、死にたくないとか言っているうちに死ぬのだろうな、と最近は思っています。「強いままニューゲーム」とかできないものだろうか。


 ウクライナでの戦争は「終わり」が見えないのです。
 軍事力だけでいえば、ロシア軍はウクライナ軍の25倍の戦力があるとされているし、ロシアには核兵器もある。
 誤爆しちゃった!という体で原発を攻撃する、という手もある。想像したくはないけれど。

 旧西側諸国(という言葉がいまの若い人たちに通じるかどうかはわからない。アメリカと西欧諸国、日本という括りです)からすれば、まさに今回のロシアの侵攻は「前時代の戦争」であり、「暴挙」なのですが、あらためて考えてみると、アメリカがイラクとかアフガニスタンでやってきた戦争も、そんなに立派なものではありません。ただ、現在のアメリカは強大で、日本にとって、アメリカは欠かせない、そして逆らえない「味方」であるだけです。
 もちろん、「だから今回のロシアの侵攻も許される」とは思わないけれど、ロシアにはロシアの危機意識がある。

 以前、同時多発テロの後、アメリカ人の英語の先生に「なぜアメリカは圧倒的に力の差があるイラクアフガニスタンを攻撃するのか」と尋ねてみたのです。
 その先生は「いくら自分の国のほうが軍事力にまさっている、とはいっても、次にテロで殺されるのは自分かもしれない、という不安はあるんだよ。戦争すれば負けない、とはいっても、自分や家族や友人が死ぬのはイヤだから」と答えてくれた。

 覇権を握っている国とその国民には、そうであるがゆえの「ターゲットにされる怖さ」もある。結局、みんなお互いに不安なのだ。1人自国民がテロで亡くなるのを防ぐために、相手国の民間人を1000人殺すことになることもある。でも、その1人が、自分や自分の大切な人になるかもしれないと思ってしまう。


 あまりにも気が早いかもしれないけれど、ウクライナでの戦争の終わり方を想像するのが、僕には難しいのです。
 ウクライナがロシアの侵攻をはねのけることができれば、世界の旧西側諸国はそれを讃えるにちがいない。
 ウクライナは、ロシアの不法な侵攻から国を守った、と。

 ただ、そうなった場合に、負けたロシアに対する経済制裁はすぐに解除されるのだろうか。
 あんな無道な行いをやった国を「許す」ことができ、以前と同じように経済的な交流ができるのか。
 もし、経済制裁をやめるとすれば、それはどのタイミングになるのだろうか。そもそも、甚大な被害を受けたウクライナは、それを認めることができるのか。

 ウクライナが降伏して、ロシアの希望通り、ウクライナ領の一部が自治領になったり、実質的にロシアの支配下に組み込まれたとしても、「じゃあ、戦闘が終わったから、ロシアと西欧諸国の関係も元通り」というわけにはいかないはずです。

 この戦争の結果がどうなろうと、「ロシアは信用できない、怖い国だ。いつ軍事力を行使してくるかわからない」という不安・不信は残り続ける。
 それこそが、プーチン大統領の狙いなのかもしれません。


 ただ、全力でロシアとアメリカが戦えば、戦力的にも経済的にもアメリカ(+西欧諸国)が圧倒的に有利なのはロシアだってわかっているはず。死なばもろとも、と全世界に核兵器を撃ちまくるようなことはさすがにしないだろう、と思いたいけれど、実際に負けそうになって、手元に核のスイッチがあったら、自分が死ぬのも世界が滅ぶのも同じだ、という人間だっているかもしれません。

 プーチン大統領が失脚して、「あれは全部プーチンの野心のせい」にしてしまう、というのが、「こちら側」からすれば、もっとも受け入れやすそうなルートではあります。


 僕は若い頃、「人は憎しみあっているから争うのだ」と思っていました。
 それはもちろん事実ではあるのですが、実際は「争うことによって、さらに憎しみが増幅していく」のです。


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ホテル・ルワンダ』という映画を観たことがあるのですが、ルワンダという国は、1994年に起きた「ルワンダ大虐殺」で世界に知られることになりました。
人口の8割以上を占める多数派のフツ族と1割ほどの少数派ツチ族
1994年に政権を握ったフツ族の強硬派が、ラジオなどで人々を扇動したことで、2つの民族の対立が激化し、100日間で80万人以上の人々が犠牲になったと言われています(「今も死者の数は正確にはわからない」ということです)。

ツチ族でありながら、フツ族の農民と共同で、コーヒー農園を開こうとしているピエールさんが、この本のなかで紹介されています。

「ちょっと見せたいものがあるんです」
 フツ族の村に行く途中、ピエール氏はある小さな丘で車を止めた」
「ここは私の母親が住んでいた村です。ちょっと一緒に歩きませんか」
 丘の稜線を歩くこと10分ほど。こんもりと木が茂った一角があった。母親が住んでいた家の跡だった。近づいてみると、レンガ造りの壁がわずかに残っているだけ。大虐殺の際、隣人のフツ族によって破壊され、何もかも略奪されていた。
 私は思い切ってピエール氏に疑問をぶつけた。あなたは、母親の命を奪った相手をなぜ赦すことができるのか? 怒りや戸惑いはないのか?
「もちろん最初は赦すことなんてできませんでした。フツ族の人間とすれ違うだけで、言いようのない怒りがこみあげてきて、自分を抑えることができませんでした」
 ピエール氏は胸に手をあてて自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「しかし、怒りに我を忘れそうになったときに、母親がいつも私に言い聞かせていた言葉を思い出したのです。それは『ツチ族フツ族も同じルワンダ人なんだ。必ずともに生きていける時代が来る』という言葉です。私は母が遺してくれたその言葉を今も信じているのです」
 ツチ族フツ族も同じルワンダ人――。ピエールの母親が残した言葉。それは実は歴史的にも、科学的にも正しい考え方だ。もともと2つの民族は同じ言葉を話し、同じ文化を共有し、その境界線はあいまいだった。民族を超えた結婚も盛んに行われていた。


(中略)


 そうした中、フツ、ツチという2つのグループを民族として峻別し、優劣をつけたのがベルギーによる植民地支配だった。
 そもそもベルギーはなぜツチ族を優遇したのか? その理由は実にあきれたものだった。ツチ族には比較的背が高くて鼻筋が通った人が多く、欧米人に似ている。だから優れた民族だというのだ。
 当時、ヨーロッパでは、ナチスによるユダヤ人差別の理論的な支柱となった優生思想が流行していた。民族には優劣がある、そして欧米人がその頂点に立つ、という誤った思想だ。最終的にホロコーストに行き着いたこの思想がアフリカの地に伝わって、2つの民族を分断し、後の大虐殺を生みだすことにつながったのだ。


 他者に対して、なんとなくいけ好かない、とか、相手の言葉や態度に傷つけられた、とか、考え方や文化のギャップに付き合いにくさを感じた、ということは、少なからずあるはずです。
 でも、大概は、直接争ったときの自分のダメージを考え、お互いに関わらないようにすることや、どちらかが(あるいは双方が)我慢する、という選択をすることになります。

 それが、何かのきっかけでケンカになってしまうことがある。
 そして、直接対決すると、お互いに、より過激で容赦ない言葉や暴力を浴びせあうようになる。
 
 『ヒトラーランド』という本によると、アメリカ人のドイツへの感情は、第二次世界大戦がはじまるまでは、全体としてはさほど悪いものではなかったそうです。ドイツ側も、アメリカに好感を持っていた人が多かったのです。
 日本も、日中戦争がはじまる少し前までは、アメリカやイギリスを「鬼畜」だと思っている人はいなかった。
 
 ところが、実際に戦争となると、身内や知人が戦死し、家が焼かれ、生活が苦しくなり、メディアは「敵愾心」を煽っていきます。
 戦争になれば、残酷な行為へのハードルも下がります。
 争うことによって、戦いのなかで起こったことによって、敵国への怒りや恨みは増幅されていくのです。
 相手を憎まず、「あの敵兵もふだんは善良な市民なんだよな」とか考え込んでいたら、自分がやられてしまう。
 それでも、「人を撃つ」ことには多くの兵士に躊躇いがあり、人を撃つことができなかった者も多かった、と言われています。


 人と人とのケンカだってそうですよね。
 些細な理由ではじまったケンカだったのに、怒りにまかせて発せられた言葉や暴力が、決定的に関係を壊してしまうことが多いのです。
 言う側は「ついカッとして……」であっても、言われた側は、忘れない。
 
 戦うことによって、恨みや憎しみの原因はどんどん増え、重いものになっていき、お互いに、引くに引けなくなっていく。
 ネットでの言い争いですら、「自分が言われっぱなしの状況で幕を引くのは難しい」のだから。
 そして、どちらかがもう戦えない状態にまで打ちのめされたとき、人は「やっぱり命が一番大切」だと言いはじめる。


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 この本の冒頭には、こう書かれているのです。

 本書は昨今の情勢も踏まえつつ、戦争終結という、個別事例を除き日本ではまったくといっていいほど研究されてこなかったテーマについて、理論と歴史の両面から考えようとするものである。
 戦争終結の問題を考察するといっても、その形態は、無条件降伏の押しつけで終わったり、妥協的な休戦で終わったりするなど様々である。そのため、それらを統一的に把握し、理解するのは難しいように感じられるかもしれない。この点について本書は、戦争終結の形態は「紛争解決の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマのなかで決まる、という視点に立つ。
 戦争においては、戦局における優勢勢力側が集結を主導することになる。そのとき、二つの選択のあいだで板挟みになる。一つは、「自分たちの犠牲を覚悟したうえで、自国の完全勝利をと交戦相手政府・体制の打倒をめざし、紛争が起こった根本原因を除去して将来の禍根を絶つ」選択である。たとえば、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツに対する連合国の立場が当てはまるだろう。もう一つが、「相手と妥協し、下手をすれば単に決着を将来に先延ばししただけに終わるおそれを残しながら、その時点での犠牲を回避する」選択である。こちらは、湾岸戦争においてサダム・フセイン体制の延命を許したアメリカの立場が典型的である。戦争終結を主導する側は、「将来の危険」と「現在の犠牲」のどちらをより重視するべきかというシーソーゲームのなかで、決定を迫られるといえる。


 結局、一度戦争になったら、「完膚なきまで叩き潰す」か「中途半端な妥協なのは承知の上で、当面の犠牲を回避し、決着を先延ばしする」しかないのです。
 そしておそらく、ウクライナでの戦争は、後者のなかで妥協点を探っていくことになるのでしょう。
 ここで積み重なった怒りや恨みが、いつかまた爆発することになるとしても。


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