いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

われわれは、いったい何を「応援」しているのか? 中田翔選手と宮迫博之さんと「ファン」であるということ


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 僕自身は、中田翔という選手は「なんかオラオラ系のやんちゃキャラで苦手だけれど、まあ、スポーツが得意なやつにはよくいるタイプだからな、という印象でした。
 あの同僚への暴力事件にしても、本人にとっては「いつものじゃれ合い」みたいなつもりだったのだけれど、これまではスター選手で戦力的にもチームに必要だったから不問に処されていたことが、高年俸だし打てないしチームの雰囲気も悪くするしで「不要」と判断されたとたんに「厄介払いの口実」として利用されたのではないか、という疑念も抱いているのです。


 日本ハムは、「不良債権」とみなされた選手に対しては冷たい球団だな、というのと、このコロナ禍で、中田選手の年俸3億4000万円を出すのはきつかったのだろうな、というのと。
 僕は長年の広島カープファンなので、コロナ禍と球団経営、みたいなことを考えてしまうのです。
 とくにカープのような親会社を持たないチームや、日本ハムのように選手のコストパフォーマンスを重視するチーム(しかも、新球場移転を前にして、資金はいくらあっても足りないだろうし、最近低迷しているチームのイメージや雰囲気も変えたかったのだろうし)にとっては、入場料収入やグッズ売り上げが激減しているいまの状況というのは、大変厳しいものだと思われます。

 
 そう考えると、昨年、今年のカープの成績が振るわず、戦力が不足しているのは明らかなのに積極的にお金をかけた補強ができていないのも、致し方ない面はある。あるのだけれど、やっぱり不甲斐ない試合が続くと、「佐々岡やめろ!」とか言いたくなるわけです。
 わかっているんですけどね、監督だけのせいじゃない、って。


 そんななかで、中田選手獲得に手を上げた巨人というのは、やっぱりお金も自信もあるのだなあ、と、巨人移籍の報を聞いたときには思いました。
 しかし、暴力事件で「無期限謹慎」から、10日間くらいで「巨人移籍とともに、謹慎解除。明日から試合出場可能」というのにはさすがに唖然としました。


 すごいなこのシステム。せっかくオリンピックで金メダルを獲って(正直、アメリカの「メジャーリーガーを除く代表」と「日本プロ野球のオールスターチーム」の試合、しかも日本での開催なんて、日本代表にとっては、負けられないプレッシャーだけが巨大なハンデ戦、みたいなものでしたが)、公式戦が再開され、プロ野球も盛り上がってくるか、というタイミングで、暴力事件から「移籍リセット」を適用して中田翔を逆境のヒーローにしようとするような報道には、呆れるばかりです。


 個人的には、中田選手を永久追放にしろ、とか、何年も謹慎させろ、とか言うつもりはないんですよ。
(今シーズンの残りは謹慎、くらいが妥当な処分だと思っていました)
 だって、いま中田選手から野球を奪ったら、「昔野球が得意だった、有名で腕っぷしが強くて柄が悪い、反社会的勢力予備軍」がひとり増えるだけじゃないですか。
 被害者も一般人ではなく、もともとよくつるんでいた選手で、大けがしたわけじゃないし、その後すぐに試合に出られたくらいだそうで、大事にしたくない、とも言っていたそうですから。

 もちろん、暴力を肯定するわけじゃないけれど、せっかく野球で頑張ってこれまで成功しているのだから、中田選手から野球を奪っても、誰も幸せにはならないよな、というだけの話です。
 ぶっちゃけ、こういう人にはしっかり野球をやってもらっていたほうが、世界は平和になるのではなかろうか。


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 このときも書いたのですが、スポーツ選手の不祥事って、その後活躍すれば、けっこう忘れられたり、「武勇伝」になってしまったりもするものですし。それが良いことなのかどうかはさておき。

「また巨人か」「カネが余っているチームは、こういうときに補強したりダメもとでも高額選手を引き取ったりできたりしてうらやましいねえ」「原監督だったら中田翔をコントロールできる、とか、そもそも特定の監督じゃないとコントロールできない選手のほうが問題だろう」みたいな気持ちにもカープファンとしてはなるのですが、今年の中田翔の成績やチームの雰囲気を変えてしまうリスクを考えると、思い切ったことをやったなあ、とも感じています。いくら実績があるとはいえ、今シーズン打率が2割にも満たない選手をいきなり1軍で起用するのか、と。

 今日読んでいた本に、巨人のショート、そして、日本代表のショートでもある坂本勇人選手の光星学院時代の話が紹介されていたのです。
 坂本選手は中学時代には「伊丹一のワル」として有名だったのだとか。それが高校時代に監督の厳しい指導や本人の自覚もあって野球の才能が開花し、いまや球界屈指のスター選手となっています。

 巨人の関係者は、「紳士たれ」とか言っているけれど、清原選手は薬を使っていたし、原監督は反社会的勢力との付き合いがあったし……


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 こんな本にもいろいろ書かれており、長年のアンチ巨人の僕としては、「全部巨人のせい」にしてしまいたいところなのですが、プロスポーツ選手の世界では、爽やか好青年がファンのために一生懸命練習し、品行方正に美しい汗を流している、というのは幻想でしかないのです。みんな自分の目標達成や野心のためにプレーしている。お金や地位や人気、すべて欲しい人がほとんどでしょう。


 カープファンとしてはあまり触れたくないところではありますが、セリーグ3連覇を成し遂げた緒方監督が野間選手に「手をあげた」ことが問題になりましたし(まあ、原因となった野間のプレーの怠慢っぷりはひどかった、と僕もちょっと思いましたが。こういうのがファンの贔屓目なんだろうけど)、日本代表でも活躍している守備の達人、菊池涼介選手もスキャンダルで写真週刊誌に採りあげられていました。


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 Aさんは菊池氏が結婚前に交際していた女性で、その代理人の弁護士からの電話だった。弁護士からAさんが菊池氏に対して慰謝料を求めているという説明を受けた。菊池氏はこう振り返る。

「広島出身の知人からAさんを紹介され、『軽く付き合えるならお願いします』と返事をし、会うことになりました。知人は私以外のカープ選手とも親しく、真剣な交際ではないとの意味はよくわかっていると思って頼んだのですが…」


 これに関しては、菊池選手の脇が甘かった、とも言えますが、プロ野球選手って、タニマチみたいな人から「軽く付き合えるならお願いします」って、「遊び相手」を紹介してもらえるような存在であり、そういうことを気軽に他者に頼める選手がいるのだな、と思ったのです。
 メジャーリーグに移籍した、前田健太投手にも、あまり売れないグラビアアイドルみたいな人に酷い扱いをしていた、というスキャンダルがありましたしね。あっという間に誰も何も言わなくなりましたが。

 阪神西勇輝投手のコロナ禍での密会や、記憶にも新しい元ロッテの清田選手の不祥事など、有名、あるいは成績が良いプロ野球選手だから、人格的にも優れている、とは限らないのです。


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 世の中にはありがちなのですが、人の道を踏み外しかねないくらいの「有り余るエネルギー」みたいなものを持っている人のほうが、結果を残して成功することもあるのです。


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 そもそも、これまでのプロ野球界の不祥事と処罰を思い返してみると、やった行為の重さだけで量刑が決まっているわけじゃない。
 そのときに活躍していたり、チームに、あるいは野球界に「必要」だと思われている選手への処分は軽くなりがちだし(西勇輝投手とか、ヒーローインタビューでちょっと謝ったくらいですからね。不倫はプライベートなことでも、コロナ禍にルール破りをしたというのはそれなりの処分があって然るべきだと思います。緒方監督もそのまま指揮をとり続けました。その年かぎりで辞任しましたが)、その選手がそれほど必要でなければ、厳罰が下されたり、退団になったりするわけです。


 今回の中田翔選手の件、カープファンの僕からみれば、「何この茶番」としか言いようがないのですが、巨人ファン、あるいは日本ハムファンにとっては、どうなのでしょうか?
 「球団が変わったから、これで1から、いいえ、ゼロから!」と割り切れるものなのか?
 8月22日に中田翔選手が巨人のユニフォームでホームランを打ったら、「もうこれで禊は済んだ」と思えるのか?

 日本ハム球団が決めた「謹慎」だから、球団が変われば適用外、というのは理屈としては正しいのだろうけど、僕の感情としては納得できません。


 僕自身、熱烈なカープファンだし、巨人は大嫌いなんですが、こんなの、巨人ファンですら、「素直に受け入れられない」人が多数派ではないか、と想像してはいるんですよ。他球団のスター選手をかっさらってくるのが常態のチームであっても、今回の「移籍リセット」に対しては。

 でも、ある球団の大ファンとしては、「結局のところ、うちのユニフォームを着ていて、勝利に貢献してくれる選手は否定できない」という感情も理解できるのです。
「白いネコでも黒いネコでもネズミを取ってくるのがいいネコだ」(鄧小平)

 暴力も不倫も「人間としてやってはいけないこと」なのはわかりきっている。そして、プロ野球選手は真面目で品行方正な人ばかりではなくて、「なんだあいつ」みたいな人がたくさんいることも想像してしまう。だって、みんなにちやほやされて、異性やタニマチが向こうからガンガンすり寄ってくるわけですよ。そんな世界で聖人でいられるほうが「おかしい」のかもしれない。
 
 もちろん、すべての選手がそういうオラオラ系マイルドヤンキー的マインドの持ち主である、というつもりはありません。
 カープで言えば、大瀬良大地投手なんて、あまりにも良い人すぎて、逆に心配になるくらいです。
 

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 プロ野球選手になって、成功するための条件は、「まず野球が上手いこと」じゃないですか。
 人格なんて関係ないし(まったく関係ないかというと、監督やコーチに嫌われまくるようだと、圧倒的な実力がないと苦労しそうではありますが)、「すごく『いいひと』だから、野球は下手ですけど、ドラフト1位で指名しました!」なんて球団はありません。

 そんな「実力至上主義」の世界で、もし身近にいたら性格的には絶対友達にはなれないような人であっても、「好きなチームの選手」だというだけで、野球が上手いというだけで、ファンというのは「応援」してしまう。そして、その人間性にも「期待」してしまう。
 チヤホヤされ続ける、プライベートが無くなる、のがかなりのストレスだというのは「みんなに知られる選手になりたい」はずの人たちでも、大きいのだろうとは思うし、「スタジアムで見せてくれるプレーだけで評価する」と割り切れれば応援する側もスッキリサッパリするのですけど、なかなかそうはいかないのです。


 芸能界での宮迫さんの件についても、別に宮迫さんは人格者だから芸人として売れたのではなくて、面白いことができるから売れたのです。
 調子に乗って蛍原さんを見下すような態度も、これまでは「それが『雨上がり決死隊の芸風』なのだ」と、あの事件が起こるまでは、多くの人が受け入れていたのです。 
 ところが、あの事件で、宮迫さんへのネガティブなイメージが強くなると、「同じような態度」が「偉そう」「反省していない」と見なされるようになりました。じゃあ、蛍原さんに対してへりくだればよかったのか、というと、それはそれで「宮迫らしくない」「つまらない」と言われたのではなかろうか。
 結局のところ、会見での態度云々ではなくて、「世間が宮迫さんを面白がることができない空気に染まってしまった」時点で、もう何をやってもダメだったのかもしれません。
 ただ、10年後に、「宮迫さんはテレビよりYouTubeを選んで正解だった」ということになる可能性はあります。


 プロスポーツの世界や芸能界って、「勉強に向かず、ありあまるエネルギーを抱えて暴発しそうな人」が社会的に成功するためのスペシャルルート、みたいな面もある(あった)のだと思います。プロインタビュアーの吉田豪さんの昔気質の芸能人へのインタビューを読むと、今だったらコンプライアンス的にトリプルプレー、みたいな話が満載ですし。


 王貞治さんが、元巨人の某選手の不倫騒動に対して、「プロ野球選手たるものが、9800円(のホテルでの密会)じゃダメだ」とコメントしたという話が知られているのですが、いまや「プロ野球界のレジェンド」として聖人化している王さんも、プロ野球選手として生きてきた時代の「常識」は、「プロ野球選手は豪快に遊ぶのが当たり前」だったわけです。


 僕は誰かを「応援」するというのが昔からどうも苦手で、「応援したって、自分には何の良い事もないだろうに」って言いたくなってしまうのです。
 正直、自分の子供たちの受験で、ようやく「ああ、『応援するしかない心境』ってこういうものなのか」と遅まきながら理解できました。
 
 東京オリンピックとかでも、直接の知り合いならともかく、日本代表だから、という理由だけで熱狂的に応援する気にはなれず、「どっちが勝っても、僕には関係ないな」という気持ちでした。だから、オリンピックはほとんど観ていないし、あんまり興味もない。もちろん、真剣勝負は面白い、と思うことはあるけれど。

 
 とか言いつつ、45年間くらいカープにだけは、熱狂的なファンではあり続けている。
 でも、カープというチームを応援するのと、日本代表を応援するのって、本質的には同じことではありますよね。
 個々の選手が全部好き、何をやっても良い、というわけじゃないはずなのに、「贔屓のチームが勝つこと」にカタルシスを感じずにはいられない。好きだったはずの選手でも、他球団に移籍すれば「敵」だし、こちらに来てくれれば「味方」になる。

 キャラクターやこれまでの行状(として語られていること)が受け入れがたい選手でも、カープに来れば、応援せざるをえない。
 実際、中田翔選手のこれまでの経緯に疑問を抱いていても、巨人ファンだったら、チャンスに打席に立っていれば、「それはそれとして打ってくれ!」と思うのではなかろうか。それは「許した」「認めた」というのと同じ意味になるのだろうか。
 意味はどうあれ、ファンの多くは「中田が来たから、巨人を嫌いになる」のではなくて、「巨人に来たから、中田を(渋々にでも)応援せざるをえない」し、巨人というチームを運営している人たちは、そうなることが、わかっている。


 結局のところ、それは「何か、誰かを本当に応援している」のではなく、「何かを応援している自分が気持ちよくなりたい」「自分が応援している存在に乗っかって優越感に浸りたい」だけではないのか?

 だとしても、それは「悪いこと」なのだろうか?
 
 子供の頃は、カープが負けて不機嫌になってばかりの僕に、父親が呆れながら、「そんなに負けるのがイヤなら、巨人ファンになれ!お父さんはいつも勝っているほうを応援しているぞ。ほーれ、がんばれきょじん〜!」とよく言っていたものです。

 その父親も、思い返すと、「キリンはカープを応援しているから、キリンビールしか飲まん!」と言うような人だったのですが(これは本当かどうかわからないというか、キリンビールにはあまり党派性はなくて、単に本人がキリンビール好きだった可能性が高い気もします)。

 何かを「応援」するというのは、ある種の「期待や達成感の丸投げ」みたいなものではありますよね。
 ほとんどの人間は、自分の夢を成就することはできないし、そんな理不尽なものを引き受けているからこそ、スターたちは金銭的な恩恵や名誉を受け取っているとも言えるのです。
 何も応援せずに生きるには、人生は長すぎるし、基本的に「応援する、される」というのは、理不尽というか、理屈では割り切れないものではあるのでしょう。


 人はすぐにいろんなことを忘れてしまうし、できることなら、なるべく厚かましく生きたほうが得ではある。

 半世紀くらい生きていると、大きな出来事だと感じたことも、人生の一場面でしかないし、生まれてから死ぬまでずっと幸福な人なんていない、ということもわかってきました(残念ながら、「ずっと不幸だった人」というのはいそうな気もしますが)。


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