いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

エルドレッド選手の「異なる環境で成功するための思考法」

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 ありがとう、エルドレッド。素晴らしいスピーチ、最高のセレモニーでした。


 去年の後半、なかなか一軍に上がれなかったエルさんに、僕はずっとヤキモキしていました。
 いやしかし、新井さんも引退してしまうし、銭ゲバも去ってしまうようだし、チームの精神的支柱として、あるいは、ホームランを期待できる選手として、ファンに愛されているエルドレッドは来年(2019年)も残留してくれるのではないか、いざというときの保険としてでも、年俸が下がっても、エルドレッドなら理解してくれると思うし……

 残念ながら、球団の判断は「契約を更新しない」で、あと一年でも日本で野球をやりたい、と希望していたエルさんは、オフシーズンに行き先が決まらず、アメリカで「浪人生活」を送ることになったのです。
 エルさんがカープで過ごした7年間は、カープにとっては長い低迷期からようやく抜け出してCSに初進出し、黒田、新井の復帰もあって、セリーグ3連覇を成し遂げた栄光の時期でもありました。
 ずっとずっとBクラスだったカープが、はじめてのCS進出を決めた試合を決めるホームランを打ったのも、エルドレッド選手だったのです。
 阪神とのCSでも、ファインプレーがあったよなあ。うまい外野手だったら、難なく取れるような打球だったのかもしれないけれど、いつもエルさんは全力プレーだったので、「よく取ってくれた!」と、みんなが大喜びして、勢いに乗ったのを覚えています。

 広島を愛し、広島に愛されたエルドレッド
 もし引退するのなら、引退試合で送り出すべき選手だと思っていたのに、結局、ちゃんとしたお別れも言えないまま、昨シーズンで退団することになり、とても寂しく思っていたのです。
 優勝旅行では、ハワイでチームメイトと楽しい時間を過ごした、というのをニュースでみて、少し溜飲は下がったのだけれど。

 本人の望みが叶って、どこか日本の他球団、できればパリーグのチームでもうひと花咲かせてほしい、というのと、カープエルドレッドのままでいてほしい、というのと……

 今シーズン、外国人野手の調子が上がらない時期には、エルドレッドがいてくれれば……あるいは、エルドレッドに帰ってきてもらえないものか……と、ずっと思っていたものです。

 今回、現役引退とカープの駐米スカウト就任というニュースは、僕にとってはとても嬉しいものでした。
 本人は現役に心残りがまったくない、といえば噓になるのでしょうが、これからもカープの一員であり続けてくれる、ということに感謝せずにはいられません。


 エルドレッドは、昨年、著書を出版しています。
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 僕はこれを読んで、エルドレッドのことが、また好きになりました。
 それと同時に、あれほどカープに馴染み、楽しく野球をやってきたようにみえるエルさんも、けっして順風満帆な野球人生ではなかったことを知ったのです。
 そりゃそうだよね、メジャーリーグで大成功をおさめている選手ならば、日本でプレーする動機は思いつかないもの。

 エルさんの言葉には、「いままでとは異なる環境で、うまくやっていくには、どうすればいいのか」のヒントがたくさん詰まっていました。

  新外国人選手にアドバイスを求められたときには、いつも「常にオープンマインドでいろ! すべてを受け入れる気持ちを持とう」と伝えるようにしている。
 ぼくが日本に行くことが決まったとき、日本球界を経験したことのある選手から「『Why?』と言うな」というアドバイスをもらったんだけれど、実際、その通りだと思った。日本語では「なんで?」っていうんだよね。「なんで?」はやっぱり禁句かなと。
 たとえば、指示された練習メニューで、やる意味がわからないと感じても、「なんで?」と思う前にとりあえずトライしてみる。やる意味を探す前に、とりあえずなんでもやってみることが大切だと思う。
「とりあえずやってみる」精神は野球面のみならず、生活面にもそのまま応用できる。日本に来たばかりでお箸が仕えないなんて嘆く選手がときどきいるんだけど、そんな選手に限って、お箸を使う練習をしようともしない。「あれが食べられない、これが食べられない」と嘆く前に「Jusy try it」の精神で最低限のトライをしてみる。
 たしかに、異国の地で起こることは初めてのことだらけだし、文化も慣習も異なるので、わからないことや戸惑うことは多い。「なぜ?」と思うことに対して納得できるような説明が得られないことも多いしね。
 だからこそ、小さなことにいちいちこだわったり、気にしたりしないこと。「そこにあるものがすべて」と思うことが大切。異国の地では、前向きにトライできた者がやはり一番強い。
 これは野球選手だけでなく、きっと異国の地でがんばるビジネスマンにもそのまま応用できる考え方だと思う。


 その環境に飛び込んだのであれば、「できない」「理由がわからない」「なぜ?」と立ち止まる前に、まずトライしてみる。
 言われてみれば「日本に来たばかりで、箸が使えない」なんていうのは当たり前なのですよね。そこで、トライすることもなく、「できない」と嘆いていては、前には進めない。
 
 こういう考え方には、エルドレッドの生来の気質もあるのでしょうけど、日本に来る30歳くらいまで、メジャーリーグでは、パワーはあるものの器用さに欠け、メジャーの一軍に定着することができなかった「崖っぷちの選手」だった、という理由もあったはずです。
 エルドレッドには「後が無かった」からこそ、「日本で成功すること」に貪欲になれたのだと思います。


 エルさんには、家族のサポートもありました。
 カープから契約の話が来たときの話。

 妻に電話連絡を入れ、「日本の広島カープというチームからオファーが来た」と伝えると、ものすごく興奮して喜んでくれてね。契約条件を伝え、自分が前向きな気持になっていることを伝えると「日本に行きましょう。レッツゴーよ!」と即座に返事が返ってきた。
「この日本行きの話は、私たちにとって絶対にいい機会になるわ。日本の野球ファンの人たちは、あなたのプレーに対して、絶対に喜んでくれると思う」
 そう、力強く断言もしてくれた。
 プロ4年目の2005年に結婚した彼女は、ぼくのプロ人生のすべてを知っているし、ぼくが一切手を抜くことなく、一生懸命に野球と向き合ってきたことも理解してくれていた。メジャーでチャンスに恵まれず、マイナー生活が長くなっていた状況の中、「あなたはもっとできる。成功できる。私たちはもっと一緒に喜びを分かり合えるはず」と言い続けてくれたのが彼女だった。


 もし、家族が反対していたら、日本行きも無かったかもしれません。
 メジャーリーグを目指している選手にとっては、日本でプレーするというのは、必ずしも「栄転」じゃないと思うんですよ。
 そんななかで、こんなに前向きに「日本に行きましょう!」って言われたら、なんだかやる気もわいてくるよなあ。


 そして、日本に来て数年、エルさんはそこそこ活躍したものの「ホームランは多いが三振も多く、打率もいまひとつで確実性がない。守備もファーストはともかく外野は上手いとは言えないし、足も遅い」ということで、球団は契約を続けるかどうか迷っていたそうです。
 そんななかで、当時の野村謙二郎監督が「エルドレッドを残してくれ」と球団に強く求めたのだとか。

 野村謙二郎監督が、真面目な性格を高く評価するとともに、「カントリー(エルドレッド選手の愛称)に期待しているのは長打だから、三振が多くても構わない」と、役割を明示してくれたこともプラスに働いたのです。
 
 あいつは長打力はあるけれど、三振が多い、とか、守備が下手、とか、足が遅い、とか、マイナス面ばかりをみられたら、エルドレッドはこんなに長く在籍できなかったはず。けっこう怪我や不調も多くて、フルシーズン休まずに出続けたことも、ほとんどありませんでした。
 「エルドレッドは、試合を決める一発を打つことができるし、性格も真面目でチームのお手本になる」と、「長所をちゃんと評価して、短所に目をつぶる」上司がいてくれたのも大きかった。

 
 結局のところ、ブラッド・エルドレッドという選手は、そのパワー、人柄が素晴らしかったのと同時に、家族や上司、環境に恵まれてもいたのです。
 もちろん、そういう人間関係をつくれたのも、本人の努力と気配りのおかげ、でもあったのでしょう。
 「チーム事情」で、いきなり守ったことがないポジションを任されてエラーをし、「守備が下手」というレッテルを貼られたり、メジャーリーグでも中距離打者だったのに「外国人選手なのに長打力がない」と責められたりする外国人選手だっているわけで、エルドレッドは運が良かった、とも言えます。
 また、毎年フル出場してホームラン王争いをするくらいの成績であれば、高額年俸で他球団から横槍が入ったかもしれず、成績的にも「カープでも払える年俸でおさまるくらい」だったのも、カープファンにとっては幸いでした。

 
 僕が、ブラッド・エルドレッドという選手についてのエピソードで、いちばん心に残っているのは、この話なんですよ。
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 6月9日に出場選手登録を外れ、2軍暮らしはもう1カ月以上になる。それでもふて腐れず、ひたむきに汗を流す。「チーム事情は理解している。勝利に貢献することで、いい見本でありたいと思っている。プレースタイルは変わらないよ」と高いモチベーションを維持している。

 そんな助っ人の姿に水本2軍監督は「本当に助けられている」と感謝する。現在2軍にはメヒア、カンポス、ヘルウェグら、多くの外国人選手が控え、さらにジャクソンも不調で2軍降格となった。


 自分の調子が良いときに、明るくふるまい、他人にやさしくしたり、チームを引っ張ったりすることができる人って、けっこう多いのです。
 でも、自分自身がつらい立場にいるときに、自暴自棄になったり、やる気をなくしたりせずに、みんなのお手本になることは、本当に難しい。
 ホームラン王にもなったエルドレッドがずっと二軍にいても、高いモチベーションでがんばっていたら、他の選手、若手や外国人選手も、サボるわけにはいかないですよね。
 エルさんは、そこまで理解して、もう、一軍では出番がないかもしれないのに、チームのために二軍で、汗を流していたのです。
 
 
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 この本のなかで、松井秀喜選手が、ヤンキースのチームメイトだった、デレク・ジータ選手のことを語っています。

 松井選手は、2005年のシーズンを述懐する中でジータのことをさらにこう話している。
 シーズン終盤からプレーオフにかけて、ジータの活躍には目を見張るものがあった。特にチームが戦意を喪失しそうになる場面でよく打った。
「彼への信頼が、さらに強くなりました。ジータというプレイヤーがよくわかってきました。チームを引っ張るところは勿論ですが、踏ん張れる男なんですよ。死に体に見えても、最後まで踏ん張る男なんです。ミスター・ヤンキースですね」
 さらに松井選手は親友をほめちぎった。
「打とうが打つまいが、彼の振る舞いは何ひとつ変わらないんです。自分より常にチームが優先しているんです。自分の影響力の大きさもちゃんとわかってるんです」
 松井選手は素晴らしい友を得たものである。


 昨シーズンの終盤、ずっと二軍暮らしだったエルドレッドは「どうやったら一軍に上がれるんだろう?」と、二軍の首脳陣に相談したこともあったそうです。
 でも、練習で手を抜いたり、周囲の選手に不満を撒き散らしたりしたことはなかったし、退団が決まったあとも、ファンや球団へは感謝の言葉ばかりでした。
 今年のカープに、新井さんかエルさんか、せめてどちらかひとりだけでも残っていてくれたら……なんて思うこともあるのです。

 
 今日は「引退セレモニー」ではあったのだけれど、しんみりとしたものではなくて、むしろ、「これからも駐米スカウトとして、エルさんはカープの一員でいてくれるんだ!』という「お披露目」みたいな雰囲気でもありました。
 去年、引退セレモニーが行われていたら、違ったものになっていたのだろうけど。


 あらためて考えてみると、エルさんは、日本に来るまで、「なかなか芽の出ない、マイナーリーグの選手」でしかなかったのです。
 それが、日本に来て、新しい環境で努力をすることによって、3万人の大歓声のなかで引退セレモニーを行う選手になることができた。
 同じ人でも、環境を変えることで、こんなに人生が変わることが、あるんですよね。
 エルドレッドカープファンは、本当に幸せな時間を過ごせたと思います。


 ありがとう、エルドレッドカープに来てくれて。そして、カープカープファンを愛してくれて。
 あなたは、われわれの誇りです。
 そして、これからもよろしく。


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