いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

石原慶幸選手の引退は、覚悟していたはずなのに、とても寂しい。


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 広島・石原慶幸捕手が、今シーズン限りでの引退を発表した。
 正直、覚悟はしていた。驚きはない。おそらく、カープファンのほとんどもそうだったはずだ。
 今シーズンはとくに、クリス・ジョンソンともなかなか組ませてもらえず、出場試合数も減っていた。會澤の残留に、球界きっての期待株・坂倉を起用していこうというチーム方針、2軍に置いておくにはもったいない好守のバランスがとれた捕手・磯村に、ドラフト1位で入団した地元の星・中村奨成の存在もあって、40歳をこえた石原さんは、おそらく今シーズンまでなのだろうな、と多くの人が感じていたはずだ。

 石原さんと固い絆で結ばれたクリス・ジョンソンがいなかったら、石原さんは昨年くらいで引退していたかもしれない。

 だが、あらためて発表されてみると、石原さんの引退は、すごく寂しい。クリス・ジョンソンの復活は誰が支えるんだ、とか、もう、あの「インチキ(バッティングにはあまり期待できない石原さんが、時折見せる意外な好打や「なぜかセーフになってしまう」ラッキー打球などをカープファンは大喜びしながらこう呼んでいる)」を見ることもできなくなるのか……とか、やっぱり、石原さんのキャッチングの安心感は、格別なんだよな、と今シーズンの出場試合をみていて思ったこととか、いろいろなことが浮かんでくる。

 プレイヤーとして派手な活躍がそんなにあったわけではないが、カープのキャッチャーとしては最多の1000本安打を達成するなど、石原さんは本当に長い間、カープを支え続けてくれたのだ。

 僕は石原さんがカープに入団したときからずっと見ているのだけれど、石原さんが入団してきた2001年(ドラフト4巡目)は、まさにカープにとって「暗黒時代」だった。石原さんはキャッチャーとしてレギュラーポジションをつかみ、技術は高く評価されていたけれど、投打ともに層の薄いチームはずっとBクラスが続き、ファンも「どうせ今年もダメだろ」と、ブラウン監督のベース投げやベースボール犬ミッキーくんで鬱屈を紛らわせていた。

 2007年のオフシーズンに、4番の新井貴浩、エースの黒田博樹が相次いでチームを去ったときには、僕はもう、このチームの優勝を生きている間に観ることはないかもしれないな、と覚悟したものだった。もう、こんなチームのファンなどやめてしまおう、と何度も思ったけれど、ずっと、やめられないでいる。

 石原さんがFA権を獲得したときに、地元(石原さんは岐阜県出身)の中日から声がかかるのではないか、と言われていて、僕は石原さんも出ていってしまうのか、と嘆いていたのだ。

 でも、石原さんは、カープに残ってくれた。
 それも、派手な残留会見やFA交渉もなく(裏ではいろいろあったのかもしれないけれど)、「いや、自分は出ていくことなんてそもそも考えてもいなかった」ような顔をして、石原さんは、カープに居続けてくれたのだ。

 2014年、阪神自由契約になった新井さんがカープに復帰した。そして、同じ年の12月27日に、黒田さんがカープに戻ってくることが発表された。
 この2人が帰ってきたことが、2016年から18年のリーグ3連覇の要因になったことは間違いないだろう。もちろん、その前の、カープに沁みついた「どうせ地方のBクラス球団だから」という周囲の選手の意識を変えようとしたマエケンこと前田健太選手の登場や、広島での野球観戦をお洒落なものにしたマツダスタジアムの開場も大きかった。

 僕はずっと、あの暗黒時代も毎試合苛立ちながらカープを応援してきたのだ。
 そして、あの時代からずっと、扇の要として、低迷するチームを支え続けてきた石原さんには「恩」みたいなものを感じている。

 カープを劇的に変え、3連覇に導いたのは、復帰してきた黒田さんと新井さんの大きな功績だし、かけがえのないドラマを見せてもらった。

 多くの人は、黒田さん、新井さんが「夢をかなえた時期」のことばかり言うけれど、二人が復帰してくるまで、勝てない、勝てるようになるとも思えないチームにずっと居て、種を蒔き、芽が出るまで耕してきたのは、石原さんだったのだ(東出さんや梵さん、野村謙二郎さんの功績もすごく大きかった)。
 石原さんが、冬の時代を耐え抜いてくれたから、カープは今も、ここにある。

 「雪に耐えて梅花麗し」は、黒田博樹さんの座右の銘として知られているけれど、黒田さんや新井さんが他球団で活躍している間も、石原さんは、カープで「雪に耐えて」いたのだ。
 

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 新井さんがカープに戻ってきたときのキャンプで、『新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会』の音頭を取ったのも石原さんだった。
 なんてふざけたネーミングなんだ!とニヤニヤしてしまうのだけれど、黒田さん、新井さんと一緒にプレーしたことがあるベテランの石原さんが率先して橋渡し役をしたことで、二人も、受け入れるチームメイトの側も、だいぶやりやすくなったのではないかと思う。
 石原さんの気配りがなければ、あの25年ぶりの優勝は観られなかったかもしれない。

 それでも、黒田さんと新井さんが復帰した次のシーズンはBクラスに低迷し、カープがチームとしてまとまり、「優勝」にたどり着いたのは、その翌年だったのだよなあ。

 またBクラスで、マエケンメジャーリーグに移籍してしまった翌年に、あんなドラマを観ることになるとは。勝負事というのは、わからないものだ。

 石原さんは、黒田さん、新井さんが引退してしまったあとも、僕のような昔からのカープファンにとっては、「暗黒時代の魂」を受け継ぐ存在であり、あの護摩行も風物詩だった。


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 プリンス・堂林の復活は、護摩行のおかげ、なのかもしれない。
 會澤さんとは同じキャッチャーでポジションを争う存在であるにもかかわらず、石原さんは、いろんなことを教えつづけてもきたのだ。
 
 石原さんは、カープの「縁の下の力持ち」であり、「どん底だったカープにずっと居て、支え続けてくれた、唯一無二の人」だった。
 カープファンがその成績以上に石原慶幸という選手を愛していたのは、どんなときも、彼は「そこ」にいてくれたからだった。

 僕は石原はマツダスタジアムで大観衆に囲まれて、引退試合をするべき、いや、そのくらいはさせてほしい選手だと思っている。
 新型コロナがなければなあ。
 それでも、無観客での引退にならなかったことには、少しホッとしている。
 引退セレモニー(できれば、試合のなかでジョンソンや大瀬良の球を受けてほしいけど)は、お客さんがフルに入れるのだろうか。

 引退は、誰にでもあるし、今シーズンの石原さんは、もう覚悟しているようにも見えた。
 たぶん、引退後も石原さんはみんなに頼りにされ、愛されていくはずだ。

 ああ、でも、僕は黒田さん、新井さんの引退からずっと、「まだ、石原さんがいるから」と思ってきた。
 僕にとってのカープの象徴は、石原さんだったのかもしれない。
 
 まあ、引退してしまったことを寂しがっていたら、いつのまにか、コーチとしてカープベンチに座っていた、というのまた、石原さんらしいよね。
 
 そのときには、また、ニヤニヤしながら、「インチキだ!待ってました!」って言いたいと思う。


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ただ、ありがとう 「すべての出会いに感謝します」

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  • 作者:新井 貴浩
  • 発売日: 2019/04/03
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