いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「企業SNSの中の人」の恍惚と不安


最近、『はてな匿名ダイアリー』に、「企業SNSの中の人」が書いた(と思われる)エントリが相次いで投稿され、話題になっています、

anond.hatelabo.jp
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個人ブログやSNSでさえ、ちょっと注目されると、いわゆる「クソリプ」的なものがやってきたり、好ましからざる人に粘着されたりすることがあるのですが、これらのエントリを読むと、より大勢の人にフォローされ、「企業イメージ」を背負っている「企業SNSの中の人」というのは、かなり心労が多く、そのわりには報われにくい仕事だということが伝わってきます。

こういう「SNS的な、中の人に人格を持たせて顧客に情報提供を行っていく方法」というのは、僕の記憶では、『生協の白石さん』が転機になったのではないかと思うのです。


生協の白石さん」(白石昌則と東京農工大学の学生の皆さん・講談社)より。

岡田有花さん(アイティメディア記者)が書かれたこの本の序文「白石さんという魔法」の一部です)

 農工大生の癒し役だった白石さんには今、全国にたくさんのファンがいます。農工大の学生が、白石さんの名回答をインターネットで公開したことがきっかけで、雑誌や新聞に載り、テレビにまで紹介され、そのたびにファンが増えました。「こんな人がうちの生協にもいてくれたら」「人柄にあこがれる」「白石さんに癒されて、つらかった仕事も乗り切れた」――白石さんを応援する人は、そんなふうに言います。
 白石さんは、ネット上では、「謎の生協職員」であり続けました。多くの東農大生は、白石さんの素性を知っていたし、ネット上で白石さんが話題になっていることも知っていました。でも、誰も白石さんの正体――性別すら明かさなかったので、人々は、自分なりの白石さん像を自由に想像して、楽しむことができました。
 東京の郊外にある、緑あふれる大学で、学生たちは「白石さん」というファンタジーを大切にし、本物の白石さんのプライバシーを守りました。そんな学生の気持ちに応えるように、白石さんは頭をひねって楽しい回答を考え、ひとことカードに書き入れました。自然な思いやりに守られた人と人とのつながりが、白石さんのひとことカードを彩ります。


 『生協の白石さん』の単行本が出たのって、2005年の11月なんですね。もう15年も経っているのか……確認してみて、けっこう驚きました。
 『電車男』の単行本が出たのが2004年の10月ですから、2000年代の半ば頃までは、「ネット上のファンタジーを大切にする文化」があったと言えるのかもしれません。


fujipon.hatenablog.com


 もちろん、こういうのは過剰な「過去の美化」であって、当時から、そういう「ネット発であることへの幻想」を批判したり、問題点を指摘したりしている人はいたのですけど。


 今回は、「企業SNSの中の人」が書いた本をいくつか紹介してみたいと思います。


fujipon.hatenadiary.com


@NHK_PR1号さんは、「フォロワーの数が増えることによる変化と困惑」そして、「@NHK_PR1号としての決意」を、こんなふうに書いておられます。


友人との会話のなかから。

「それだけフォロワーがいたら、もうマスメディアみたいなもんだぜ」
「でも私は、ツイッターって媒体じゃないと思っていますから」そう言ってから私は、魚のかけらを口に入れました。
「はいはい。会話のためのツールね。わかってるって」Gさんは肩をすくめました。
「たとえば、焼き魚がおいしいよね!ってツイートが出来なくなるんですよ」私は魚のかけらを見ながら言いました。
「ん?」Gさんは戸惑ったようでした。
「だって、焼き魚はおいしくないって言う人もいるし、焼かなくてもおいしいって言う人もいるし、それは魚によるって言う人だっているでしょ?」
 Gさんは口にごはんを入れたまま大きくうなづきました。
「そうすると、魚の種類によっては焼いて食べるなどするとおいしいと感じる人などもいますよね!みたいなツイートになっちゃいますよ」
「ははは。それ、極端だけどすごくマスコミっぽいな」Gさんは笑いながら言いました。
「でも、これって何も言っていないのと同じじゃないですか。確かに事実は伝えているかもしれませんけど、気持ちはどこにも入っていませんよね」
「気持ちがなければ会話じゃない、ってことか」
「はい。だからフォロワーが増えても、気を使いすぎないようにしているんです」


 いろんな人のツイートをみていて思うのは、「バズる(多くの人に読まれたりリツイートされたりして拡散される)」というのは、「炎上する」のと紙一重のことが多いよな、ということなんですよ。
 しかも、「流行っているもの」という評価を受けることによって、「こんなのが流行るのがおかしい」と言う人や、とにかく書いている人にダメージを与えてやろう、とするような人が出てきやすくもなるのです。見る、反応する「母数」が増えると、致し方ないことなのかもしれませんが……
 逆に、もっとひどいことを言っているのに、誰も注目していないから、結果的に野放しになっている、という事例もたくさんあるんですよね。
 SNSも「何を言っているか」ではなくて、「誰が言っているか」で反応が変わりやすい。
 SNSの場合、ブログや公式サイトよりも、「これまでの文脈を知らない人」に拡散されやすく、脊髄反射的な怒りや嘲りの反応を引き出しやすいのも確かです。


blog.tinect.jp


著者は、森美術館の集客力の源泉として、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)をはじめとしたデジタルマーケティングの成功を挙げ、これまで行ってきたさまざまな戦略について紹介しています。

最近は、僕がよく行く九州の美術館・博物館でも、撮影OKな作品が増えてきており、SNSを通じて、観客に「拡散」してもらう、ということに施設側も積極的になっているのを感じるのです。

しかしながら、「ただ、撮影OKにすれば良い」というのではなくて、そこからさらに「積極的にシェアしてもらうための工夫」というのが森美術館にはあるのです。

やや抽象的な言い方ですが、企業や組織のアカウントは「中の人」の人格を表立って表現できないので、ある意味、生活感のない、冷たい印象を持たれがちです。

だからこそ公式アカウントは、目にとめてもらえるようにキャッチコピーを考えて、きちんと情報を咀嚼して提供していく必要があるはずです。

できるだけ情報はリンクに頼らず、SNS内で完結していることが望ましいと思っています。

先ほども述べたように、SNSの投稿で重要なのは、「一対一のつながり」を意識しながら相手に話しかけるように伝えること。

そもそも最近は、検索エンジンで検索をしなくなってきたといわれています。特にSNSが普及し続けている昨今、その傾向はどんどん強まっています。

たとえば、「森美術館に行ってみよう」と思ったときには、多くの人がウェブサイトを見ます。

展覧会の大まかな内容と、営業時間、料金、アクセスあたりを確認するには、公式ウェブサイトは欠かせません。

しかし、「森美術館に行ってみよう」と思ったきっかけは、おそらく公式ウェブサイトではないでしょう。SNSなどの情報で森美術館を知り、興味を持ったはずです。この認知経路においては、ウェブサイトは「受け」となりますので、偶発的な情報接触は難しいのです。


 企業SNSにも、押さえておくべきポイントというのがあるのです。
 「大勢」を対象にしながらも、「一対一のつながり」を意識すること。
 言葉にするのは簡単ですが、実際はものすごく難しいことですよね。
 商品やイベントの宣伝はしなければならないけれど、あまりにも「宣伝感」が強すぎると、見る側はかえって興味を失ってしまうのです。

先ほど広告的、宣伝的なアカウントは、ユーザーから嫌われるとお伝えしました。

しかし、企業アカウントの最終目的は商品の購入だったり、集客だったりするのが本心ですから、どうしても投稿から広告や宣伝の香りがにじみ出てきます。


どうすれば、それを消すことができるのか。簡単にできるコツを、ひとつご紹介しましょう。

それは、アップする写真を自分で撮ることです。

SNSは公にさらされる場なので、当然ながら企業アカウントは質の高いものを見せなければならない、という思考になります。

そのため、プロのカメラマンが撮影したオフィシャル写真や、宣材写真を使います。

しかし、画格、構図、明瞭度など、クオリティの高いオフィシャル写真は、紙媒体、ウェブサイトには向いているのですが、SNSではなかなか伝わりにくい。

なぜなら写真の精度が高すぎるがゆえに、温度感がなく、冷たい印象を与えてしまうからです。つまり、「広告感」が出てしまうのです。

親しい友だちに「こんな面白いところへ行ったよ」と写真を送るときは、自分で撮った写真を送ると思います。

もしかしたら、ゆがんでいるかもしれないし、多少ブレているかもしれない。でも、撮った人の「温度」と「気持ち」は伝わります。

まさにそれと同じです。「中の人」が自分で撮る。そのほうが間違いなく「気持ち」が伝わります。親しみが湧く、ということです。

きちんと撮影できていれば、多少、ゆがんでいたりするのはご愛嬌。それでフォローをはずす人はいません。


 こういう匙加減って、実際に担当している人じゃないと、なかなかわからないですよね。


fujipon.hatenadiary.com

 この本は、「キングジム公式ツイッター担当者」(キングジム姉さん)によって書かれたものなのですが、「姉さん」は、まず、「ツイッター運営を大成功させる『方程式』はない」ということを強調しています。
 企業SNS担当者向けのセミナーなどもあるそうなのですが、「こうすれば絶対にうまくいく」という方法は、現時点では確立されていないのです。
 こういうのって、個人ブログでもそうで、そういう「誰かがつくった公式」みたいなものに乗っかろうとすると、かえって二番煎じな印象が強くなり、魅力が薄れてしまいがちなのです。

「企業アカウント」という未知の世界への好奇心や、キングジムの名物ともいえるアスキーアートなど、デザインやアートのセンスや経験があるというのは、結果的に「キングジム姉さん」の他者との差別化というか、「強み」につながっているのではないか、と思うんですよ。
 そうか、「ビジネスの世界にも『アート』が必要」っていうのは、こういうことなんだな、と。
 企業アカウントであるかぎり、「ビジネス」の要素は避けては通れないのだけれども、「ビジネス臭」がうまく消されていることも「アートの力」なんですよね。

 ネットやSNSに詳しすぎると、あるいは、その世界が自分にとっての中心になってしまうと、つい、「ギリギリセーフ」のところを突こうとして、ラインを踏み越えてしまいがちですし。

 いろいろとありましたが、他社に比べると、キングジムは優しい人が多かったのだ、と今にしてわかります。
ツイッター担当者は、社内からの風当たりが強い」という話を、周りでもたびたび耳にします。ネットに明るくない世代に嫉妬される、というケースが一番多いようです。
「チヤホヤされて、いい気になって」
「なんで、君に講演依頼が来るんだ」
「ほかの人に、しわ寄せがいっているはずだ」
 と直接間接に悪口を浴びせられている人もいるようです。
 
 悪口よりも困るのが、「したいことを阻まれる」「したくないことを強要される」というケースです。これはツイッター担当でなくとも、誰もが突き当たる壁でしょう。


 責任が重いのにもかかわらず、「楽しんで仕事をしていて、みんなにチヤホヤされている」なんて妬まれやすく、報酬に反映されることも少ないのが、「企業公式ツイッター担当」なのです。

 フォローする側は、企業SNSのつぶやきに、担当者個人の人柄が反映されていることを望んでいるにもかかわらず、発言に気に入らないことがあると、「それがこの企業の『公式見解』なのか!」と「企業」を責めることで、かえって担当者を苦しめがちなんですよね。

 「中の人」はラクじゃない。というか、責任と影響力が大きくてリスクが高いのに、SNSを実名でやっている有名人に比べると、うまく使えていても報酬には反映されにくい、きつい仕事だよなあこれは。


第1巻 トラの巻

第1巻 トラの巻

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