いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

かわん(id:kawango)さんと「ブロッキング」と「ネットの自由の限界」の話


kawango.hatenablog.com


id:kawangoさんのエントリは、僕にとっては「99対1の壁のあちら側の人」が、あえて壁を乗り越えて話をしにきてくれているような感じがするのです。僭越ながら「ネット原住民」のひとりとして、共感するところもたくさんあります。

id:kawangoさんについては、3年前、ブロッキングを巡る議論がなされているときに、けっこう長いエントリを書きました。


(もし、お時間があれば、以下のエントリを御一読いただければと思います)

fujipon.hatenablog.com


『ニコニコ哲学』という2014年に上梓された本のなかで、川上さんは、こう述べておられます。

fujipon.hatenadiary.com

川上:インターネットに国境がない状態で何が起こるかというと、グーグルとかフェイスブックとかそういうグローバルなプラットフォームが国家みたいな権力を持ってくると思うんですよ。じゃあ、プラットフォームと日本政府のどっちに統治されるのが日本人にとっていいかというと、どう考えても日本政府でしょう。政府は、福祉政策とかインフラ整備とかやってくれますよね。でも、グーグルやフェイスブックはやりませんよ。今でも個人情報すら守ってくれない。


 冒頭のエントリでは、かわんさんはこう指摘しています。

海賊版サイトをブロッキングすると、ぐるぐるまわりまわってネットで言論の自由がなくなったりすべてを監視社会になると想像できるひとが、なぜ、一国のトップであるトランプ大統領が自分の意見をいえなくなることをネットのプラットフォームを牛耳っている企業が束になっておこなっているのをみて、自分たちもそうなるかもしれないと想像できないのか?


当然、大統領の意見だってネットのプラットフォームの決めたルールに従わなければいけないのであれば、1ユーザーのあなただって同じだというのに。想像力を羽ばたかせる必要もないぐらいの当然の帰結だ。


 結局のところ、「リベラル」な人たちは、自分たちと理念を共有できない、危険だと判断した人間に対しては、言葉を封殺することを支持した、とも言えるのです。
 18世紀のフランスの哲学者、ヴォルテールは、「私はあなたの意見に反対だが、私はあなたがその意見を言う権利を命をかけて守る」と言ったそうですが、今の「リベラルを自ら任じる人々」に人々が感じている反発は、「あなたは自由に意見を言っていい。ただし、我々に従うかぎり」という傲慢さが伝わってくるからではないかとも思います。


僕自身の意見としては、今回のトランプ大統領のアカウント永久停止については「実際にその発言によって生命の危険にさらされた人が出ている」という点で、やむをえない判断だと考えています。

ただ、大国のトップの発言をSNSで流す、というのは、それ自体が多くの人の生命を左右しかねない、というのも事実です。
実際、トランプ大統領Twitterでの発言で、株価が大きく動いていたのですから、経済への影響で生命や財産を脅かされた人は、これまでも少なからずいたはずです。その一方で、影響力のある人たちがTwitterで発言することが、Twitterにとっては企業価値につながってもいるわけです。

トランプ大統領「だから」排除されたのか、トランプ大統領「でさえ」排除されたのか?

Twitterは、ユーザーの「これは誹謗中傷ではないか」という告発に対して、基本的には「抗議は受けつけるけれど、あなたがその人をブロック、あるいはミュートして済むのであれば、そうしたほうがいいですよ」という姿勢をとっていると僕は理解しています。それはそれで、「SNSの正しい歩き方」ではあるし、眞鍋かをりさんの「見たら負け」というのは、2021年にも十分通用する処ネット術なのです。


長くなってしまいそうですし(というか、ここまででも十分長いと言われそうだけど)、夜も遅くなってきたので少し駆け足で書いていきます。


www.bbc.com


これはさすがに酷い。亡くなった人もいます。

Twitterでも、多くの人が、襲撃者たちを煽った(とされる)トランプ大統領SNSでの発言に憤っていました。
そして、僕は憤っていた日本のリベラル派の人たちは、日本で1960年、そして1970年前後に起こった「学生運動」を、どう「総括」しているのだろうか、と疑問になったんですよ。


www.mext.go.jp
ciatr.jp
gendai.ismedia.jp


いくつか、「日本の学生運動」について書かれたものを並べてみました。
1970年代はじめに生まれた僕自身はリアルタイムで体験した世代ではないので、実感はわかないところもあるのですが、この学生運動には、かなり暴力的な面があったのです。

この運動に参加した有名大学の学生の多くは、運動が下火になると、大企業に就職し、その後の日本で「体制側の偉い人」になっていきました。ときどき、酒場で「俺も昔は学生運動でさんざん派手にやったものさ」なんて武勇伝を語りながら。

北朝鮮は理想の国」だとか吹聴していたメディアの人だって、罰せられてはいません。反省の声もほとんど聴こえてはこない。彼らのおかげで、何千人、あるいはそれ以上の人が、塗炭の苦しみにあえぐことになったにもかかわらず。

トランプ支持者の連邦議会乱入は「暴挙」でしょう。僕はそう思う。
でも、日本の学生運動を「目的は手段を正当化する」、とか「若者の通過儀礼」として肯定、黙認する「昔、学生運動の闘士だったリベラルな人たち」に、あの議事堂に乱入した「暴徒」たちを責める資格があるのか?

まあ、いつまでも「活動家」っていうのも大変だし、変節したからこそ生きていける、というのも人間社会の真理ではあるんでしょうけど、人は、他者を責めるとき、自分のことは置き去りにしてしまいがちです(僕もそうです)。

「あいつらはトランプ信者のバカだから有罪!」みたいな判断基準の「リベラル派」にはうんざりします。それなら、あなたが学生時代に世の中の勢いに乗っかってやった暴力行為や不法占拠も「有罪」ではないのか? それを振り返って考え込むことはないのか?

「正しさ」をはかる物差しって、時代によって変りやすいものですし。

トランプは民主主義を壊した、と言うけれど、少なくとも、アメリカの民主主義のシステムの元で、選挙で、ドナルド・トランプは大領領に選ばれ、2020年の選挙でも、アメリカの半分はトランプを支持していました。
アメリカが古代ローマのような元老院政だったり、戦前の日本のように「元老」が行政のトップを決めたりするシステムであれば、トランプさんのような人は、まず大統領にはなれなかったと思います。
「民衆が多数決で選んだ」からこそ、トランプ大統領は生まれたのです。


僕は「ネットの自由」って、マルクス主義みたいなもので、理念は立派だけれど、いまここに存在している人類には荷が重い理想主義なのではないか、と最近思うようになりました。
「ネットの自由」を唱える人の多くは、「自分が他者をサンドバッグにする権利」を守りたいだけで、自分がサンドバッグになるリスクを想像してはいない。
トランプよりはTwitterFacebookのほうがマシ、な気もしなくはないけれど、シリコンバレーの、アメリカのリベラルな人々の価値観が、世界中の人々にとっての「幸福の最大公約数」なのかどうかは疑問です。アメリカでは、民主党の主流派を占める「リベラル政治家」でさえも、弱者の味方を標榜しながら、民間保険会社の顔色をうかがって、国民皆保険を実現しようとしないことを考えると、もうすでに「国家」と「企業」は一体化している、とも言えるのです。われわれは、もう、ビッグデータを構成する1マスでしかない。『銀河鉄道999』のネジ型機械の体みたいなものです。


fujipon.hatenadiary.com

最近読んだこの本のなかに、中国で『アリババ』や『テンセント』のような巨大なプラットフォームが成立したのは、政府が『Google』などのグローバルプラットフォームへの接続を遮断したことが奏効しているという話が出てきます。
自国のIT産業育成のためには、「ネットでの自由なアクセスの制限」が有効なのです。
とはいえ、いまの日本のような「自由な民主主義国家」では、『楽天』のために『Amazon』へのアクセス制限をかける、なんてことは受け入れられないでしょう。
中国も、産業育成のためにアクセス制限をしたわけではないとは思うのですが、そういう強権的なやりかたができるのは、独裁的な政体の国の強みでもあるのです(もちろん、中国は人口が多いので、ネット鎖国をしても、十分なユーザー数と市場を確保できた、というのもあります)。
そして、「グローバル」であろうとする日本は、「アメリカのリベラル派の価値観が世界標準なのだ」と刷り込まれている。


話があちこちに飛んでしまったので最後にまとめると、

(1)僕はトランプ大統領のアカウント停止は妥当だと思っているけれど、ネット企業の判断を全面的に信頼しているわけではない。


(2)「目的が正しいかどうか」にかかわらず、「暴力的な解決方法」こそが、まず否定されるべきだと思う。「扇動したトランプが悪い」のは事実だが、左派は、これまで自分たちも暴力で解決(抵抗?)しようとしてきた歴史を忘れているようにみえる。


(3)アメリカのリベラルな人々の価値観が、世界中の人々にとっての「幸福の最大公約数」とは限らない。


(4)ひとつの国、自国内での利益確保や産業育成のためには、「ネットでの自由なアクセスの制限」が有効な手段となりうる。そして、「自由」よりも「豊かさ」を望む人は多い。


結局のところ、もう、「AIによる哲人政治」に向かっていくしかないのかもしれません。
ただし、どんなにAIが進化し、処理能力が向上したとしても、コンピュータが今の仕組みであるかぎり、「善悪の判断基準を決めるのは、人間である」のも間違いないのです。


fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター