いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

大雪の夜の「正しい選択肢」を考える。


 今夜(2021年1月8日)は、北部九州では数年に一度くらいの雪景色になった。
 北部九州の平地でも、1年に1〜2回くらいは雪は積もるのだが、大概、雪でなんとか地面が覆われる、というくらいのものなのだ。
 今日は職場で遅番だったので、当直の人が来るのを「もしかしたら来られないかも……そうなったら、今夜はこの病院の医局のソファーで寝なきゃいけないなあ。ニンテンドースイッチ持ってくればよかった(危機感なし)……などと考えていたのだけれど、当直の先生は雪のなかほぼ時間通りに来てくれて、僕は家に帰れる立場になった。

 とりあえず、幹線道路の大部分には雪が積もってはいなかったが、部分的に凍結してスリップする場所もあり、かなりの雪がまだ断続的に降り続いていて、これから気温が上がることもなさそうだから、あと1時間職場を出るのが遅くなったら、もう帰れなかったかもしれない。
 仕事での緊急事態でもないのに病院に泊まるのはこの年齢になるときついので(若い頃もきつかったけれど)、帰れることは本当にありがたかった。
 ただ、運転しながら、「慎重に、慎重に……」と自分に言い聞かせていたし、こういうときに、リスクを負ってでも家に帰るべきだったのか、というのを考えてはいたのだ。

 どんなに病院に泊まるのが嫌でも(明日の仕事に無事出られるか、を考えても)、こんな雪の夜には外に出ない、運転しないほうが「正しい」のは間違いない。以前、雪のなか、アルバイト先から常勤の病院に戻ろうとして、スリップで怖い目にあって以来、車で無理をするのはやめることにしていたはずなのに。
 あのときは、ふだんなら車で30分くらいの道を、大渋滞のなか3時間くらいかけて常勤先にたどり着いたのだが、雪が溶けるのを待って別のバイト先を出た、という後輩が30分くらい後にスムースに戻ってきたのをみて、すごく後悔したものだ。
 いくら忙しい病院でも、雪の日に30分遅刻したくらいではそんなに大事にはならないし(外来の患者さんも来るのが難しいのだから)、僕が事故でも起こしてしまえば、その被害や後始末のほうが、自分自身にとっても周りにとっても大変になる。冷静になれば、後から考えれば当たり前のことでも、その場では「とにかく急いで戻らなければ」という思考にとらわれてしまったのだ。

 今回も、結果的に何も起こらなかっただけで、リスクを避けるという意味では、移動・運転すべきではなかったのだよなあ。おちろん、車を運転するかぎり、いや、生きているかぎり、全くノーリスクな状況はありえないのだけれど、今夜のこのリスクは、冒すべきものだったのか?
 いや、「べき」とか「べきじゃない」というより、僕は職場を離れて、家に帰りたかったのだ。
 きっと、「そんな危ないときに無理しなくても……」ということをやってしまった人たちも、それぞれの理由とか事情とかこだわりがあったのだろうな。
 みんな、こういうときに「今回だけは、自分だけは」と、頑張って帰ろうとしてしまって事故に遭い、「あのとき、無理をしなければ……」と後悔するのだ。


 僕はこれまで、命がかかった状況で、うまく選択できなかった人たちのことを少なからずみてきた。

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 多くの人が、彼らの悲劇を嘆き、「なぜ、生きるか死ぬかの状況で、正しい選択肢を選ぶことができなかったのか」を検証している。
 でも、こんな雪の夜の自分の行動を考えてみると、一度すごく怖い経験をしたはずの僕でさえ、今夜「それでも運転して帰る」ことを選んでしまったのだ。
 これまで遭ったこともない、船の沈没とか大地震・大津波という状況下で、正しい選択を、確信をもってできる人が、どのくらいいるのだろうか。
 そもそも、ああいう状況下では、得られる情報も限られた主観的なものにすぎない。テレビの前でまとめられた情報をもとにした報道をみている視聴者とは違うのだ。

 結局のところ、大事故や自然災害の場合、最後に生死を分けているのは「運」や「勘」なのかな、という気もする。
 あと、どちらかというと、迷ったときは、そのままじっと待つよりも、積極的に動いたほうが、助かる確率は少し高くなるような気がする(ただし、あくまでも確率の問題で、動いたばかりに命を落としてしまう事例も少なからずある。あと、動いたおかげで助かった人のほうが、大きく報道されやすい可能性もある)。

 僕は今夜の自分の行動が正しいと思っているわけではない。単に、運が良かっただけだ。
 でも、こうして家でコーヒーを飲みながらパソコンに向かってのんびりしていると、自分が正解を選んだような気分になってしまう。
 どこまで徹底的に「リスクを避ける行動」ができるのか?


 羽生善治さんは、『直感力』という著書のなかで、「直感」について、こう語っている。

 直感は、本当に何もないところから湧き出してくるわけではない。考えて考えて、あれこれ模索した経験を前提として蓄積させておかねばならない。また、経験から直感を導き出す訓練を、日常生活の中でも行う必要がある。
 もがき、努力したすべての経験をいわば土壌として、そこからある瞬間、生み出されるものが直感なのだ。それがほとんど無意識の中で行われるようになり、どこまでそれを意図的に行っているのか本人にも分からないようになれば、直感が板についてきたといえるだろう。
 さらに、湧き出たそれを信じることで、直感は初めて有効なものとなる。


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 こういうのを読むと、僕が「運」とか「勘」だと思い込んでいるものも、その人のこれまでの経験や思考の積み重ねの結果なのかもしれない、と思えてくるのだ。
 結局のところ、「避けられるリスクは、可能なかぎり避ける」くらいが「いまの自分にできること」なのかもしれない。
 だが、それも案外難しいものではある。ほんの一晩、寝苦しい思いをするだけで良かったのに、と事故を起こしていたらさんざん後悔していただろうけど。
 車の運転の場合、自分だけの話じゃないから、なおさら。
 こういうときに、運が良かったことで正しい選択をしたと勘違いしていると、いつか、とんでもないしっぺ返しを食らうのかもしれない。


 ……でも、やっぱり帰りたかった。


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