まもなく、アメリカ大統領選挙の投開票が行われます。
4年前、2016年の大統領選挙では、民主党のヒラリー・クリントン候補が結局勝つんだろうな、と思いきや、開票がはじまってみると、共和党のトランプ候補が激戦州で次々に勝利をおさめ、当選しました。
そのとき、僕は人生はじめての激しい回転性めまいを発症し、起き上がることもできずに、「あの問題発言だらけのトランプさんが、大統領に……?」と、世界の終わりを見ているような気分になっていたのです。
イギリスのEU離脱といい、とんでもないことになった、と思いつつも、歴史に残る瞬間を目の当たりにしている、という高揚感もあったのです。
あれから4年も経ったのか……
側近は次々にいなくなり、相変わらずツイッターで問題発言を繰り返し、アメリカの半分から嫌われ続けたトランプ大統領ですが、4年間の任期をなんとか全うすることになりそうです。
率直に言うと、こんなムチャクチャな人が大統領になっても、それなりに機能するアメリカという国のシステムの凄さに感心してもいたのです。
もちろん、アメリカ国内で生きている人にとっては、たまったものじゃない4年間だったのかもしれないけれど。
この4年間は、「リベラル」とか「ポリコレ」と呼ばれるものについて、あらためて考えさせられる期間でもあったような気がします。
4年前に書いたものなのですが、この4年間のトランプ政権は、支持者にも否定派にも、期待はずれだったのではないか、と思うのです。
支持者にとっては「思ったほど、アメリカ(そして自分たち)・ファーストに世界が変わることはなかった」し、反対派にとっては「トランプ政権で世の中がとんでもないことになるはずだったのに、『不快』ではあるものの、アメリカの政治システムには極端を抑制する仕組みがあって、劇的なカタストロフィには見舞われないまま4年間が過ぎてしまった」という拍子抜け感があるのではないでしょうか。
この本のなかで、オハイオ州東部のヤングスタウンというラストベルト(さびついた工業地帯)に属する町で、元保安官代理のデイビットさん(52歳)は、こんな話をしています。
「70年代以降、工場の仕事が海外に流出し、収入が下がり、若者が街を去ることが当たり前になった。なんで人件費の安い国々と競わないといけないのか、との疑問は募るばかりだった。仕事があふれ若者が多く、活気にあふれていた時代が、もう戻ってこないこともわかっている。だから、なんでこうなったのかという「不満」と、この街で生きていけるのかという「不安」が、この街には強い」
デイビッドはまず経済的な不満・不安を語り、次に「フェアネス(公平さ)」の話に移った。これはプロローグで紹介したテキサス州の支持者の声とそっくりだ。
「不法移民や働かない連中の生活費の勘定を払わされていることに、実はみんな気付いていた。問題だと知っていたけど、自分たちに余裕があり、暮らしぶりに特段の影響もなかった頃は放置していた」
「ところが収入が目に見えて落ち始め、もう元の暮らしには戻れないとわかり始めた頃、多くのミドルクラスが「もう他人の勘定までは払えない」と訴えるようになった。「もう十分だ」「フェア(公平)にやってくれ」との声が高まり、限界に達しようとしている時にトランプが登場した。オレたちが思ってきたことを、一気に大統領選の中心テーマにしてくれた。それだけでもトランプに感謝している」
こう一気に話した上で、デイビッドはさらにトランプへの感謝を語り続けた。
「彼はカネも豪邸も飛行機もゴルフ場も何でも持っている。これ以上稼いでも意味がないだろう。彼は愛国心からひと仕事やろうとしてくれている」
「さすがはデイビッドだ」といった表情で聞いていやカートも言った。「トランプは自分のカネで選挙運動をしている。当選後、特定業界の言いなりになるような政治家とはわけが違う」
この本の著者が、2016年の大統領選挙でトランプ大統領を熱狂的に支持していた人たちの「その後」を追った続編も出ています。
著者が2018年12月末にペンシルベニア州のファストフード店で取材した男性の話。
ジャレドの話は続く。「そういえば、壁の建設ができなければトランプは失敗した大統領だ」なんてことを言っている人がテレビに出ていたけど、賛成しない。むしろ選挙で約束したことの25%でもやってくれれば、オレはハッピーだよ。それだけでも歴代の大統領よりは仕事をしたことになるんじゃないのかな」
僕がこの本を読んでいて意外だったのは、あれほど熱狂的にトランプ大統領の極端に思える政策を支持していた人たちが、失望していないことなのです。
むしろ、トランプ大統領が行った「これまでの大統領にできなかったこと」を挙げて、評価している人が大勢いたのです。
公約の「1割でも」「25%でも」と、政治や政治家に対して、もともとの期待値が低いんですよね。日本でも「本音」はこんなものかもしれません。
もちろん、「人は、信じたいものを信じる」ということで、「まず、トランプ大統領が好き」という出発点から、「いいところ探し」をしている可能性もありそうですが。
それでも、彼らの「自分で働いて食べていくこと」への強い意志には、清々しさも感じずにはいられないのです。
彼らは、常に「福祉」ではなく「仕事」を要求しつづけています。
しかしながら、彼らが望むような肉体労働で「中流の生活」が維持できたアメリカは、もうどこにも存在しない。
オハイオ州マホニング郡の民主党委員長、デビッド・べトラスさんは、大統領選挙での敗北を受けて、著者に語っています。
──民主党は今後、どう変わるべきですか?
配管工、美容師、大工、屋根ふき、タイル職人、工場労働者など、両手を汚して働いている人に敬意を伝えるべきです。重労働の価値を認め、仕事の前ではなく、後に(汗を流す)シャワーを浴びる労働者の仕事に価値を認めるべきです。彼らは自らの仕事に誇りを持っている。しかし、民主党の姿勢には敬意が感じられない。「もう両手を使う仕事では食べていけない。教育プログラムを受け、学位を取りなさい。パソコンを使って仕事をしなければダメだ」。そんな言葉にウンザリなんです。
労働者たちに民主党は自らを「労働者、庶民の党」と伝えてきたが、民主党や反トランプ派はメディアを通じて(性的少数派の人々が)男性用、女性用どっちのトイレを使うべきか、そんな議論ばかりしているように見えた。私が選挙中に聞かされたのは「民主党は、私の雇用より、誰か(性的少数派の人々)の便所の話ばかりしている」という不満だったのです。
「意識が高い人たち」が問題視していることと、「大衆」が直面している困難が、あまりにもかけ離れていることに、民主党支持者たちも、違和感を抱えているのです。
「マイノリティ」の権利ばかりが採りあげられ、「マジョリティ」が置き去りにされている、と感じている人が、アメリカには大勢いたのです。
アメリカではこれからもヒスパニック系の人口の割合が増えていって、近い将来、「白人のマイノリティ化」が起こると予測されています。
そういう危機感もまた、白人ナショナリズムの高まりの原因になっているのでしょう。
近年は、白人ナショナリストたちの「運動」のやり方も、過激な主張を前面に打ち出したものから、変化がみられてきているようです。
また、白人ナショナリストだからといって、非白人が多数派の国々を否定するわけでも、ましてや支配しようとしているわけでもない。日本のような同質性の高い社会には敬意を抱いており、介入主義やグローバリズムには否定的だ。あくまで、本来、白人が壁を築いてきた米国(ならびに欧州など)で、白人が不当な扱いを受けていること、礎そのものが覆されつつあることへの異議申し立てという位置づけである。上の世代の場合は公民権運動が、下の世代では進学や就職の際のアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が大きな契機となっている場合が多い。そして、どちらの世代も、今日の米国を覆っている「ポリティカル・コレクトネス」(PC)は自由を脅かす「言論統制」の一種であり、その推進者や擁護者を「コミー」(commie' 共産主義者の蔑称)と糾弾する。
果たして、自分たち白人は咎められ、赦しを請うだけの存在なのか。胸を張るべき伝統や血筋もあるのではないか。こうした感覚に個々人の経験が重なってナショナリズムに傾倒している場合が多いようである。若い世代では、友人や家族との関係が上手く行かず、社会的に孤立するなかで、オルトライトのオンライン・コミュニティなどに居場所を見出し、過激化していく場合も少なくない。
この新書は、「リベラリズム」とは何か?という定義からはじまり、「なぜ、いま、リベラル派とされる人たちが嫌われるようになったのか?」「今の世の中で、『リベラルであろうとすること』の限界」について丁寧に書かれています。
弱者を助け、万人にとって生きやすい社会をつくろうとするのは、悪いことではないはずなのに、リベラル派の行動をみていると、なんだかイライラしてしまう……その理由がわかったような気がします。
リベラリズムによって、さまざまな差別やハラスメントが告発され、多くの人にとって生きやすい社会がつくられてきたのは事実です。
にもかかわらず、現代において「リベラル」といわれる人たちへの風当たりが強くなっているのはなぜなのだろうか。
思い当たるふしがないわけではない。
実際、口ではリベラルなことを主張しながらも、実際の行動はまったくリベラルではない、という人はたくさんいる。
たとえば、私が所属している文系のアカデミズムの世界ではリベラルな主張を掲げる学者が多いが、そのなかには学生や大学職員、若手研究者に対してきわめて権力的にふるまう人も少なくない。
また、政治の世界でも、リベラルを標榜している政治家や政党が「他人には厳しく、自分たちには甘い」という姿を見せることはよくある。つまり、政府や他党に対してはどんなささいなことでも厳しく批判するが、いざ自分たちに同じような批判が向けられると、とたんに居直ったり自己保身に走ったりする、という姿だ。
こうした「いっていることと、やっていることが違う」という実態がリベラル派への批判を強めていることは否定できないだろう。
とりわけリベラルな主張は、権力批判にせよ、弱者救済にせよ、理想主義的な響きをもちやすい。だからこそよけいに「立派なことを主張しているわりには行動がともなっていない。それどころかそれを裏切っている」というように、いっていることとやっていることの齟齬が目立ってしまうのである。
口でリベラルなことを唱えているからといって、その人がリベラルな人間とはかぎらないのだ。
「リベラル派」は、立派なことを言っているからこそ、反発を受けやすい、という面もあるんですよね。
そして、他者からすると、「自分の都合の良い範囲にだけ『リベラル』にふるまっている」ように見える人も少なくありません。
僕は、自分自身は「どちらかといえばリベラル派」だと思っています。
団塊ジュニア世代で、日本の「戦後の民主教育」を受けてきて、小林よしのりさんの『戦争論』を読んで、少し「右翼的なもの」の気持ちがわかった、という感じで生きてきたのです。
2020年のアメリカ大統領選挙、昨年までは「アメリカの好景気」や「現職大統領のアドバンテージ」「民主党候補の魅力の乏しさ」などから、トランプ大統領が有利だと言われていたんですよね。
大統領選挙って、基本的には、経済状況がよければ、現職が有利なのです。
ところが、新型コロナウイルスの感染拡大が、まさに「世界を変えてしまった」のです。
新型コロナウイルスで、多くの人が生命の危機にさらされ、仕事を失い。世界の景気は急激に悪化していきました。
失言や専横が日本では採りあげられがちなトランプ大統領ですが、アメリカ人にとってのこの4年間は、けっして悪い年月ではなかったのです。
大統領に就任してからのトランプ氏の功績といえば、やはり経済成長と雇用の増加を実現したことであろう。職に就いた2017年には、年内の12月22日に税制改革を成立させ、共和党の念願であった法人減税を実現することができた。このことにより株価はさらに上昇し、景気が上向いていった。
徹底的に起業家、投資家寄りの政策を打ち出すことにより、経済成長を推進してきた点は、共和党支持者らが期待したとおりとなり、支持層に好意的に受け入れられた。また雇用の改善は、マイノリティを含めて、多くの労働者に恩恵をもたらした。失業率は大統領就任時の約5%から50年ぶりの低水準である3.5%に引き下げた。2020年1月末の時点では、特に低所得層の賃金上昇も続いていた。アメリカの約半数にあたる24州が最低賃金を引き上げる予定まで立った。トランプ大統領は2020年2月6日の一般教書演説で、自身が就任してから700万人の雇用が創出され、失業率が半世紀ぶりの低水準になったのみならず、女性の失業率は70年ぶりの低水準、そして2019年の新規雇用者の72%が女性だったというデータを示している。
またイデオロギーや価値観の側面においても、保守層を満足させる仕事をこなしていった。
アメリカの大統領選挙は、基本的に現職大統領有利、とくに経済がうまくいっているときには、現職は負けない、と言われています。
いろんなイデオロギーやモラルの問題があったとしても、結局は経済の状態や、自分たちの生活が大事、なんですよね。
トランプ大統領もさまざまな課題を挙げられ、問題を指摘されながらも、結局は再選されるのでは、という声も多かったのです。
新型コロナウイルスの流行までは。
新型コロナのために、アメリカの経済状況は一気に悪化してしまいました。
その要因として、トランプ大統領のとった対策が問題視されるようになったのです。
世界的に景気が減速するのは、新型コロナウイルスとの関係において、避けようがない。たしかにトランプ大統領は、経済活動の封鎖に当初踏み込みすぎて経済へのダメージを大きくした。しかしながら、その前の政策は決して悪いものではなく、トランプ氏の失敗は、ひとえに新型コロナウイルス対応の失敗ということになる。
失敗の最大の原因はトランプ氏の慢心と油断という指摘が多い。それが、ウイルス対応の遅れにつながったというのである。しかし多くの国民は、コロナ禍以降の経済のV字回復を望んでいる。大統領選挙では、誰がそれを実現できる可能性があるかを吟味しなければならなくなる。
新型コロナウイルスの流行がなければ、あるいは、流行が1年前か1年先であれば、トランプ大統領は再選されていた可能性が高かった。
でも、トランプ大統領がマスクの効果を否定し、感染予防よりも経済活動再開を重視したことがさらなる感染拡大を引きおこしたと、多くのアメリカ国民が考えるようになったのです。トランプ大統領自身も感染してしまいましたし。
民主党も、前回の「結局、ヒラリーが勝つんだろ」という油断が逆転劇につながったことが教訓になっているはず。
しかしながら、最終盤になって、トランプ大統領がかなり巻き返してきている、という世論調査の結果も報じられています。
この経済状況を打開できるのも、トランプ大統領ではないのか、と考えている人も多いようです。
バイデン大統領になったとしても、株価が急落するような政策をとることは難しいでしょう。
トランプ大統領時代に、失業率は下がっているはずなのに、低所得層が得ている収入はほとんど上昇しておらず、「富裕層が、より豊かになった」だけという統計も出ているようです。
いくら株価が上がっても、その恩恵を受けられるのは、株を買える人たちだけなんですよね。
著者は、バイデン新大統領が誕生した場合の「メリット」をいくつか挙げているのですが、そのなかで、こんな話が出てきます。
第8に、メリットとしては良識の分かる大統領だけに、中国の存在をある程度認めない限り経済も国際システムも回らないと理解して妥協点を探そうとすることだろう。しかしこの部分のデメリットは大きい。産業界の国際ルール作りを強化している中国にとって、通信などの国際規格の主導権をとることは、過去に西欧諸国が使ってきた手段を今度は中国が利用することになる。その事実に自己矛盾をもろともせず中国叩きができるだけの面の皮の厚さがないと、中国には立ち向かえない。ある意味、トランプ氏の非常識さこそが、中国の行動規範に物申す適当なバランスだったのかもしれず、後になって振り返るとそれが明らかになる時がくるかもしれない。
トランプ大統領は、けっこう無茶なこともやってきたのですが、周囲も、「あのトランプ大統領だから、しょうがないな……」と諦めてしまう、あるいはこちらが妥協するしかない、と考えてしまうところは、たしかにあったような気がします。
たしかにそれは、トランプ大統領の「武器」になっていたのかもしれません。
中国も、日本人である僕からすれば、けっこう横暴なところがありますし、トランプ大統領だから対抗できていた可能性はありそうです。
正直なところ、トランプ大統領に対しては「ひどい、とは思うけれど、傍からみていると、なんだか面白いというか、退場してしまうと寂しい」ような気もしているのです。
これほど「ネタになる」大統領も稀有なので。
こういうのが「ポピュリズム」の温床なのだろうか。
そういう人が核兵器の発射ボタンを握っているというのは怖いけれども。
「アメリカは世界の警察じゃなくても良いじゃないか」
「グローバリズムで、自国民が仕事を失い、やりがいを失うくらいなら、「閉じて」しまったほうがいい」
こういうことを言えるのは「トランプ大統領だからこそ」なんですよね。
この4年間は「リベラル派の矛盾と限界」を思い知らされる年月でもあったような気がします。
さて、アメリカの選択は、いかに。
僕はトランプ支持者ではないのですが、バイデン大統領って、つまんなさそうだなあ、と思ってしまう自分を認めざるをえません。
政治というのは「面白くないけれど、きちんと機能している」のがベストなのだと理解してはいるのだけれど。