いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「給料が低い仕事につくヤバさ」vs「ブルシット・ジョブの憂鬱」


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 月収35万円から23万円か……
 正直、これだけの情報ではなんとも言えないのですが、月収が12万円も下がると、生活に使える、あるいは貯金できるお金はかなり減りますよね。
 いまの仕事があまりにもハードで精神的にも肉体的にも限界であるとか、職場の環境に問題があるとか、どうしても仕事の内容に興味が持てない、あるいは苦痛であるとかいうのであれば(たとえば、電話でマンションを売るような仕事であれば、高給でも僕はやりたくない)、致し方ない、とは思うけれども。


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USJを劇的に変えた、たった1つの考え方』(森岡毅著/KADOKAWA)のなかで、USJの「V字回復」に大きく貢献した著者は、こう仰っています。

職業選択の際に、誰もが気にする自分自身の将来の年収について。実はこれは職業を選んだ時点でだいたい決まっているのです。それは選んだ職業の年収が一定の幅で決まっているからです。

「え? ホントかいな!」と思う人もいると思いますが、市場構造が一定であるならば、その市場にいる人の収入も「ある一定の幅」で決まってしまうのです。

例えば、あなたがうどん屋の主人になったとします。
競争力のあるうどんの単価、店舗のキャパシティー、原材料費、店舗にかかる諸費用、従業員人件費など、それらの相場は好き勝手にコントロールできないことがほとんどで、市場構造やビジネスモデルによってあらかた決まってしまっているのです。

売上から費用を引いた後に残る資金から得る主人の年収も、最初からだいたい決まってしまっているのです。
決まっていないのは「どの程度うどん屋として成功するか失敗するか」による上下幅の着地点です。成功したうどん屋の客単価と客数が想定できるので、うどん屋の大将の年収の上限も容易に試算することができます。

逆に、失敗したうどん屋の大将の年収がどうなるか、リスクも予め試算することができます。うどん屋の大将の年収は「ある一定の幅」が最初から決まっていて、成功から失敗までのシナリオによってその幅の中のどこに定まるかが決まります。

これはほとんどの職業においても当てはまります。市場構造やビジネスモデルが何かの理由で大きく変わらない限りは、その職業の収入の上下幅はだいたい決まっています。


世の中には、100%成功する転職や起業はないし、プロスポーツ選手を目指すとか、芸能人になるとか、成功する確率が低い職業もたくさんあります。
ただし、多くの場合、彼らは運試しだけをしているわけではありません。
自分の才能や能力に投資をして磨きをかけ、リスクは高くても、成功したときに得られる「巨大なリターン」を考えて勝負に出ているのです。


まあでも実際、大部分の人は「仕事」をお金だけで選んでいるわけではないんですよね。
某病院で、看護師さんたちの給料(だいたいの額)を聞いたことがあって、そのあまりの安さに僕は思わず口にしてしまったのです。
「それはさすがに安すぎですよ。都会の病院やクリニックで働けば、倍くらいもらえるのでは……」と。
しかしながら、その病院の看護師さんたちは、こう言っていました。
「そうですよね、そう思うんですけど、この病院は給料は安いけど比較的のんびりしているし、急に休みをとらなくてはならないときでもきちんと対応してくれるんですよ。それに、家から近い職場のほうが何かとラクで、家族のこともあるし……」
ワークライフバランスとか「世帯収入の一部」として考えると、給料は安くても、この病院でいい、ということなのです。
そういうのを承知していて、経営側は労働力を安く利用している、という面もありますが。
 

結局のところ、冒頭のエントリの人に関しては、情報不足でなんともいえないけれど、給料の多寡だけで人は仕事を選ぶ(選べる)わけではない、ということは言えそうです。
洗脳的な「やりがい搾取」は論外としても、給料が安くても、自分の時間があったほうがいい、ストレスの少ない環境で仕事をしたい、という人は案外多いのではないでしょうか。

そもそも「給料を下げるために転職したい」なんていう人はまずいないでしょうし、環境を改善するか、長い目てみた自分の生涯年収、あるいは人生の期待値を上げるために、一時的な減給を受け入れる、という選択なら、十分合理的ではありますよね。なんのかんの言っても、多くの人は、その人なりの合理的な職業選択をしているのです。それは「働かない」という選択肢も含めて。
「将来の『自由』や『幸福』のために、今は苦しくても、仲間と一緒に頑張ろう!」とか言っているうちに、アニメ映画のチケットと台本の在庫が家を占拠してしまう可能性もあるので、そのあたりは注意したほうが良いでしょうけど。


僕自身は、自分にはあまり向いていなさそうな仕事を長年続けてこられたのは、やはり、仕事をしているかぎりはお金に困らなかった、というのと、人にバカにされなくてすんだ(なんで情けない理由なんだ、と自分でも思うけど、威張りたくはない一方で、バカにされるのはすごくつらいんです)、というのが大きいと思っています。

お金って、それなりに安定した収入があると、あまり気にかけなくて済むのですが、無いと、これほど「気になる」ものなのか、と感じたことがありました。
ハードな職場を辞めたあと、長い旅行に出かけ、その後もしばらく仕事をしていなかった時期があったのです。
これで自由だ、人生にこんな時間はめったにないし、好きなことをしてしばらく過ごそう、と思っていたんですよ。
貯金も、死ぬまで大丈夫、というレベルではなかったけれど、まあ、そのときの生活レベルなら、5年くらいは余裕で遊んで暮らせるくらいはありました。


……ところが、僕のそんな生活は、半年くらいが限界だったのです。
昼間に遊びに行っても、なんだか人目が気になってしょうがないし(ただ、平日に映画館やショッピングセンターにいる中年男というのもけっこういるものなのだな、とは思いました。カレンダー上の休日に動いているサービスの多さを考えると当たり前なのですが)、何よりも、毎月、貯金が減っていく、ということが、すごくストレスだったのです。

多少の蓄えがあっても、お金が「右肩下がりで減っていく」という現実には、想像以上のインパクトがありました。
このペースだと、あとどのくらいもつのか、病気でもしたら、どうなるのか。
僕は、元々無いものに対しては、あまりこだわらなくて済むことが多いのだけれど、一度得たものを失ってしまったり、得たものがどんどん減っていくことに対しては、耐性がものすごく低かった。
月収23万円で独身者が生活することそのものは、そんなに難しいことじゃないはずです。でも、冒頭の増田さんの場合、月収35万円から23万円相応に生活レベルを下げる、ということは、いま、35万もらっている自分が予想している以上にキツイだろうとは思うのです。


正直、お金というのは、今の僕にとっては大きなモチベーションになっていますし、医学の発展に貢献できているわけでも、自分じゃないと治せない医療をやっている自信もないなかで、毎日の仕事を続けていけるのは、「それなりの報酬」のおかげだと思っています。

給料日だけが楽しみな大人に、ならぬつもりが、いつのまにかなっていた。

それは悲しいことではあるけれど、いろんなトラブルがあるたびに「まあ、高い給料もらっているしな」と自分に言い聞かせているのです。人がお金をもらえるのって、他の人ができないことをやるか、他の人がやりたくないことをやるしかない。そして、大部分の人は、後者を「仕事」にしています。


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以前、これを書いたのですが、いまの世の中では、基本的に報酬というのは、前述のように「需要と供給」によって決まっていて、「重要で人の役に立つ仕事だから高給である」とは限らないのです。新型コロナ禍で、生活に不可欠で、直接人と接触することが避けられない仕事の多くが高リスク・低賃金であることが浮き彫りにされてもいます。なぜ世の中の親が子どもを医学部に行かせたがるかというと、医者って、そんななかでは数少ない「人の役に立っているっぽくて、報酬も良い仕事」だとみなされているから、なのだと僕は思っています。個人的には、精神的にも肉体的にもかなりきついし、高給で多量のデータを処理して最適解をみつける仕事は、中長期的にはAIに代替されるのではないか、とも考えてしまうのですが。

実際は、「やりがいがある仕事」と「やりがい搾取」って、それぞれ「極端な例」はあるとしても、グレーゾーンがけっこう大きいと思うんですよ。
さきほど書いた看護師さんたちのように、「給料が安くても、本人たちにとっては100%満足ではないが、それなりに合理的な選択」という場合もある。


fujipon.hatenadiary.com

この『佰食屋(ひゃくしょくや)』のような選択肢もあるのです。
いまの僕には難しいけれど、もっと働こう、稼ごう、成功しよう、という強迫観念めいたものを自覚し、捨てることができれば、もっと幸せになれる人も多いのではなかろうか。
ずべての人が何かを「実現」しなければならないわけではないし、そういう風潮に影響されて、自分を不幸にすることを「実現」しようとしてしまいがちでもあります。


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「給料と職場環境」に関しては、厳しいブックマークコメントも多いみたいなのですが、僕自身は、こうしてお金に困らずに生きてこられたことに感謝している気持ちと、あんまり自分に向いていない仕事を四半世紀も続けて、患者さんには申し訳なかったし、自分には、もっと適した仕事があったのではないかなあ、という後悔が、いまだに入り乱れているのです。往生際が悪い、と自分でも思うのだけれど。

ただ、僕自身の転職経験から、ひとつだけ言っておくと、「絶対にこれは譲れない」という「具体的にやりたいこと、できること」ではなくて、「こっちのほうがやりがいがありそう、カッコよさそう」なんていうキラキライメージに引きずられると失敗します。僕自身も、エージェントに「ちゃんと休める生活をしたい、ということなら、それを最優先にしたほうがいいと思います」とアドバイスされなかったら、また自分を追い込んでいたはずです。


fujipon.hatenablog.com


たぶん、絶対的な「正解」は存在しない。
転職する、しない、どちらが自分にとって後悔しない選択肢なのか、ということに尽きるのではないかと。
ここまで読んで、「それでも転職したい」のなら、してみても良いんじゃないかな。
転職は犯罪ではないし、転職してダメなら、また次を探せばいい。そういう考え方だってあるから。

結局、人間って、他者からはどんな無謀にみえることでも「やってみないと気が済まない」「結果よりも、やらなかったことに後悔しやすい」生きものなんだよなあ、つくづく思いますし。


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