僕はずっと、アメリカで銃規制に反対する人たちに対して、「まだ西部劇の夢から醒めない、アナクロニズムから抜け出せない存在、だと思っていました。そうやって、銃を持てる社会になっているからこそ、銃乱射事件が起こって多くの人が殺されていることが、なぜ理解できないのか?と。
でも、現地で生活をしていた人が書いたこの本を読んで、その理由が少しわかったような気がしたのです。
2012年には、フロリダ州で17歳の黒人の高校生が自警団としてパトロールしていたヒスパニック系の男性に射殺されました。
オバマ大統領は、この事件に関して、自らの経験を語りながら、「こうして撃たれたのは自分だったかもしれない」と国民に対して痛切な訴えを行なったのですが、それでも、銃規制への道は遠いようです。
「全米ライフル協会」というのは、西部劇の世界を引きずっているような過激で時代錯誤な圧力団体、というイメージを僕は持っているのですが、彼らの主張にも否定しきれない面はあるのだ、と著者は述べています。
2014年には、全米での銃で命を落とした人数は、交通事故の死者を上回っているにもかかわらず。
オバマ大統領は、2016年1月に銃購入者の身元調査を徹底する大統領令を発表しましたが、これもアメリカでは賛否両論なのです。
この大統領令は、これまで起こった多くの乱射事件の犠牲者の遺族をホワイトハウスに招いて行なわれた、大統領自身のスピーチにより明らかにされた。中でも20人の小学校1年生を含む26人が犠牲になった、コネチカット州のサンディフック小学校乱射事件に言及したときに、大統領が涙を流したその姿は、スピーチを聞いた人の印象に残るものであった。
しかしオバマ大統領に同意するアメリカ国民は半分に過ぎない。アメリカ人の銃を持つ権利に対する支持には、我々日本人には想像できないほど根強いものがある。
テキサス州選出の共和党のゴマート下院議員は、犠牲になったサンディフック小学校の女性の校長がM4(陸軍標準装備のライフル銃)をもっていたら、彼女は素手で犯人に立ち向かわずにすんだのであり、乱射事件は防げたかもしれないと発言した。この発言は非難を浴びたが、サポートする意見もあり、賛否両論といった反応だった。
そして、銃所持の権利は否定されるべきでないと考える人の比率は、1959年から半世紀以上かけて、36%から72%へと倍増した。オバマ大統領がスピーチで言及した度重なる銃の悲劇は、結果的に人々を武装に走らせたわけである。
著者は、1966年にテキサス州オースティンのテキサス大学の時計塔に登った25歳の白人学生が、そこから眼下の通行人をライフルで狙撃して16人の死者と32人の負傷者を出した事件を紹介しています。
いまからちょうど半世紀前に起こったこの事件の際、警察の標準装備は短銃で射程距離が短かったため、役に立ちませんでした。
そんななか、多くの一般市民が自発的にライフル銃を持って時計塔に近づいて犯人を狙撃し、犯人の身動きをとれなくして、犠牲者を減らしたのです。
日本のように、相手も銃を持っていないことが当たり前の社会なら、お互いに持たないほうが安全だろう、と思うはずです。
それに対して、アメリカ人は、「いざというとき、銃を持っている相手に対して、何もできないかもしれない」と考えてしまうのでしょう。
読者の皆さんは、そこまでして家庭で銃をもっていないと心配だと感じる心理状況自体が、銃社会の病理を反映するものだと思うかもしれない。しかしそれは、日本のような平和な社会の発想である。
すでにアメリカ国内には、2億丁を超える銃が出回っている。その持ち主には、犯罪者も心に病を抱えた者もいるであろう。彼らの放つ凶弾の犠牲になるくらいなら、善良な市民の側でも、憲法で認められている正当な権利を行使して銃を携帯すべきであるとの考えがあっても、何ら不思議ではない。
それに加えて、銃規制を説く有識者の中には、ガードマンを雇って安全な所に住んでいるため、自ら銃を持つ必要がないような人たちがいる。そのような人が、自分は恵まれた境遇にいることを棚に上げて、ガードマンを雇えない人が家族を自分で銃で守ろうとする権利を奪おうとするのは許せないというロジックに、説得力を感じる人も多い
全米ライフル協会(National Rifle Association:NRA)は、このような議論を展開し、支持を広げている。オバマ大統領、ヒラリー・クリントン氏、そしてブルームバーグ前ニューヨーク市長は、恵まれたエリートだから銃規制を唱えていると批判される。こうして、銃所持の権利を主張することに、貧しい者の味方であるとのニュアンスが加わる。
銃規制と「格差問題」と結びつけて語られると、「持てる者」は、なかなか反撃しづらそうです。
そして、「恵まれたエリートだから、理想主義に酔える」という主張には、一面の真実もあるような気がします。
銃規制に反対する人たちの大部分は、誰かを撃ってうっぷん晴らしをしようとしているわけではなくて、自分の身を守るためには、銃が必要だ、と考えているのです。
日本のように、現時点で警察や自衛隊、あるいは一部の反社会的な勢力しか銃を所持していない国であれば、「銃を拡散しないほうが安全」だと多くの人が感じていても、アメリカのように、すでに銃が大量に出回っている社会では、いまさら銃を規制されても、「自分だけが身を守れなくなるのではないか」という不安が先に立ちやすい、というのも事実でしょう。
それでも、僕は自分自身の価値観から離れることはできないこともあり、ずっと銃所持には反対なのですが。
僕は、ネットで他者に話を聞いてもらうことの難しさを、最近あらためて痛感しています。
fujipon.hatenablog.com
b.hatena.ne.jp
こちらとしても、このエントリに「はてなブックマーク」で賛意が集まるとは全く予想してはおらず、ある意味、予想通りの反応ではありました。甲子園で巨人の応援をするようなものですよね。
「ブックマークコメント」以外の手段でこのエントリに言及してくれたブログは『はてなブログ』にはたくさんあったのですが、twitterやメールで僕に直接何か言ってきた人はほとんどいなかったのです(というか「皆無」でした)。
『はてなブックマーク』を大切に思っていた人たちに反発されるのは仕方がないのだけれど、ブックマークコメントやこのエントリへの反応を読んでいると、「なんだかなあ」と思ったんですよやっぱり。
「はてなブックマーク」廃止論 - いつか電池がきれるまでb.hatena.ne.jpこんにゃくゼリーは危険だから廃止、餅はみんなが食べるから廃止反対みたいな
2018/06/28 13:12
こんにゃくゼリーに関しては、裁判では「商品そのもの欠陥ではない」という判決が地裁で出ています。
ただし、メーカー側も、「裁判に勝ったからそのまま」というわけではなくて、より事故が起こりにくい商品を開発したり、警告表示を大きくしたり、という改善をしていることは知っておいていただきたい(以下はWikipediaからの引用)。
マンナンライフは窒息事故の危険性が指摘された従来の「ポーションタイプ」に対して、砕かずに呑み込むことが困難な「クラッシュタイプ」のこんにゃくゼリーを2008年に開発した。こちらでの事故は報告されておらず、また消費者庁より特保のお墨付きを得て徐々にシェアを拡大している。
現在、全国こんにゃく協同組合連合会、全国菓子工業組合連合会、全国菓子協会の3者では、加盟社の販売する一口タイプこんにゃく入りゼリー(ミニカップタイプ、袋物等)について「こんにゃく入りゼリー警告マーク」を記載するとともに「お子様や高齢者の方は食べないでください」という文を製品に併記している
「はてなブックマーク」廃止論 - いつか電池がきれるまでb.hatena.ne.jp他人が運営してるネットサービスに、「本当に必要なのだろうか」とか「廃止論」とか、すごいこと言うなあ。私が知らないだけで、大株主だったりするのだろうか。
2018/06/28 19:30
こういう「他者を責めるときに、嬉々として国とか企業の都合を持ち出してくる人」というのは何なのだろう、と思うのです。
利用者がそのサービス内容の問題点を指摘すると「お前は大株主か!」って、バカにしているつもりなのでしょうが、ユーザーがサービスの問題点を指摘するのは当たり前のことです。この人って、Amazonのレビューで、「リモコンのキー配置が使いにくい」って書いている人にも「お前は大株主か!」って言うのでしょうか。その理屈はさすがにおかしくないか?
「はてなブックマーク」廃止論 - いつか電池がきれるまでb.hatena.ne.jpこのブログ主は落語はリベラルじゃないって話をしてた時もそうだったけど、(誰かの)正義に能わない存在は抹消すべきって話ばかりしてる。借り物の正義で誰かを否定するのってそんなに楽しいのかな。私は嫌だな。
2018/06/29 02:03
「僕のことが嫌い」+「読解力がない」人によって生み出されたスーパーイリュージョン。
この人が例示しているのは、このエントリのことだと思います。
このエントリを読んで(この人、読んだんだよね?本当に……)書かれたコメントがこれですよ。
このブログ主は落語はリベラルじゃないって話をしてた時もそうだったけど、(誰かの)正義に能わない存在は抹消すべきって話ばかりしてる。
で、こういうのにスターとかつけてる人、本当に前のエントリもちゃんと読んでるの?
どこに「正義に能わない存在は抹消すべきって話ばかりしている」fujiponがいるの? お前の脳内だけじゃないの?
僕のことが嫌いだから、尻馬に乗って、批判しているコメントに賛同しているだけなんじゃないの?
いや、そんなたいして考えずに思いつきでスターつつけただけ、って言うのかもしれないけどさ。
嫌いなら嫌いで一向にかまわないので、嫌いって書けばいいのに。
嘘とか曲解にノーチェックで追従してドヤ顔するのって、恥ずかしくない?
正直言って、もっとボコボコに人格攻撃されるものだと覚悟してもいたのですが(僕がブックマークコメントを非表示にしないのは、こういう反応を可視化して、より多くの人に見てもらいたいから、でもあります)、真摯に受け止めていただいた方も少なからずいたことに感謝しています。
でもほんと、ブックマークコメントの中には「何これ?」と思うようなものがあって、そういうのに、スターとかがついているのは悲しいよね。
いちおう、三つだけ抜き出してみたのですが(槍玉にあげて申し訳ないが、ネットに書くというのは、そういうふうに言及されるのを覚悟している、ということでもありますよね?)、まあ、こういうコメントがたくさんあるわけです。ちなみに、「出ていけ!」とか「お前のことが昔から嫌いだった」みたいなものはあえて挙げませんでした。あまりにもバカバカしいので。
「はてなブックマークによるネットリテラシーの向上」なんて言う「お題目」の美しさと、現実に書かれているブックマークコメントのお粗末さ(もちろん、全部がそうだというわけじゃないです。本当にひどいのは、一部だと思う)のギャップは、あまりにも大きいのです。
このエントリを読みながら、僕は考えていました。
ここに書かれていることは、きっと正しい。でも、僕が知っている「はてなブックマーク」は、こんなに綺麗じゃない……
『はてなブックマーク』は、僕にもネットリテラシーなるものを教えてくれた存在であることは『はてなブックマーク廃止論』にも書きました(でも、そこはみんな読んでくれていないんだよね。叩きやすいところしか頭に入らないのか、読んでいないのか……)。
id:goldheadさんは、「はてなブックマーク」をそういうふうに使えているんだと思います。
僕は「言われる側」として、常々感じています。
悪質なブックマーカーは、普段は「はてなブックマーク」の悪口の言いやすさや他人を面白おかしくバカにするとスターがもらえるというシステムを利用して、好き放題排泄物を投げつけてくるにもかかわらず、その「悪い面」を指摘されると、このgoldheadさんのエントリのような「はてなブックマークの良いところ」を隠れ蓑にして、その「悪い面」を省みようとはしない。
冒頭の銃規制の話と同じで、最初から、自分の結論ありき、なんですよね。
相手の話なんて、もともと聞くつもりはない。
「自分にとって大事であること」「過去にこんなに役に立った、ということ」をまくしたてるだけで、不都合なところを指摘されても、「それを含めて総合的に判断する」ということができない(あるいは、するつもりがない)。
世の中のほとんどの事物には、メリットがあれば、デメリットもあるはずなのに。
これでは、「議論」にならないし、「改善」もすすめられない。
ただしこれは、反転してみると、僕も「言われる側の感覚や被害者意識」に凝り固まっていて、存置派の話をまともに聞こうとしていない、ということではあります。
「ゼロかイチか、みたいなのは乱暴だ」という意見も多かったのですが、それは確かにその通りです。
ただ、「はてなブックマーク」というサービスは、「継続も廃止もしない」という落としどころが物理的に無理であり、「廃止するかどうか、というところまで踏み込んで考えないと、変わりようがないのでは」というのが、率直な心境でした。
そこで、「続ける」となれば、次に「どこを改善していくか」というフローチャートだったのです(あくまで僕の頭の中では、ですが)。
僕が「はてなブックマーク」を廃止するべきだと書いたのは、はてなブックマークのシステムが悪いからだというわけではありません。
長年みてきた結論として、このシステムをメリットのほうがずっと大きい、という状態で運用しつづけられるほど、ユーザーは(人間は、と言い換えても良いかもしれません)立派でも賢くもないと認識しているからです。
「この人は包丁廃止とか言い出すのではないか」とコメントしていた人がいましたが、僕が言いたいのは「うまく使えない子どもに包丁を持たすな」ということなんですよ。怪我したり、怪我させたりするリスクが高すぎるから。
あれから1ヵ月。
僕は、「結局、人って変わらないよな。自分も、周りも」と思っています。
このまま時間とともに、いろんなことがウヤムヤにされていくのかな、とも感じています。
僕は特別な人間ではないので(というか、ブログを書いているだけで、「罵声を浴びせたり、デマをまき散らしてもいい人」のカテゴリーに入れられるのはキツイ)、少しでも、ネットが居心地の良い場所になってくれると嬉しい、自分の存在が、砂一粒分くらいだけでも、世界にとってプラスになってほしい、ただ、それだけなんですよ、本当に。
ネットは、コミュニケーションのための空間として、もう少し、進化できないのだろうか。
こんなにすぐ繋がってしまう関係なのに、なんで、こんなに人の話を聞けなくなってしまうのだろうか。
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