いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

宮川紗江選手が閉じ込められてしまった迷宮について

headlines.yahoo.co.jp
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 この速見コーチの「指導」の映像をみて、絶句してしまいました。
 ワイドショーなどでの塚原夫妻のパワハラ的な言動や宮川選手の会見をみて、「東京オリンピック出場を目指す日本のトップ選手がここまでのことをやったのだから、暴力行為というのも、ちょっと頭をはたいたくらいなのを『暴力行為』だと大げさにアピールしていたに違いない」と思い込んでいたので。
 太平洋戦争までの日本軍ならともかく、宮川選手の年齢を考えるとそんなに昔の話ではないはずで、「暴力は指導ではない」というのが常識の時代だったはずなのに。
 宮川選手というのは、ある種の「洗脳状態」にあるのか、こういう選手とコーチの関係というのは「でも、殴ったあと、彼、すごく優しいの……」っていうDVカップルみたいなものなのか、と考え込んでしまいます。
 塚原夫妻のやり方が前時代的なもので、独善的であったことも事実でしょうし、争っている当事者の双方に大きな問題がある場合というのは、外部の人間は関わり合いにならないほうが良いんじゃないか、とも思えてくるのです。

 世の中の争いごとというのは、『指輪物語』みたいな、「絶対善」と「絶対悪」との戦いではなく、大概は「自分が正しいと思っているものどうし」で起こるのです。宗教戦争とかじゃ、まさにそうですよね。もっとも、歴史を俯瞰してみると、本当に信仰だけが理由で起こった大きな戦争というのはなかなか思いつかなくて、世俗的な欲望や不満が基盤にあって、それを満たすための大義名分として「信仰」が使われているようにも思えるのですが。


 この宮川選手のケースのような「ロクなものじゃないどうし」のハルマゲドンというのは、対消滅するまでやってくれ、とか、つい考えてしまうのですが、どうしたら良いものか。こうなっては、塚原夫妻の指導を受け入れられるわけもなく、速見コーチの下でオリンピックに出るのはいろんな意味で難しくなったと思います(もし宮川選手が速見コーチの下で出場したら、海外からは「暴力的な指導を容認した日本スポーツ界」という批判が巻き起こること請け合いです)。
 これはもう、第三者に指導してもらうしかないのだけれども、事ここに至っては、それが簡単にできるとも思えない。
 DVカップルであっても、本人たちが「愛し合っている」と主張し、納得しているかぎりは、第三者が無理やり引き離すことは難しい。
 原因や理由がどうあれ、生まれてしまったものはそう簡単には消せない、ということは、世の中にたくさんあるんですよね。

 暴行によって妊娠し、生まれた子どもでも、生を受けたかぎりは、なかったことにはできない。
 悪意の科学者がクローン人間をつくり、それが「人間そのもの」であったら、望まれない存在だからといって、「処分」はできないはずです。
 
 いやまあしかし、どうするんだこれ。
 内村航平選手の活躍で、日本の体操界はかなりイメージアップしたと思うのですが、こんな映像をみせられると、やりたくなる子どももやらせたくなる親も激減するよね。
 それに、体操というのは、身体が成長することが競技には不利になる、という問題もあって、勝つためには魔改造みたいなことになってしまう事例もあるのです。
「やるからには、どうしても勝ちたい」というのが、アスリート、なのかもしれないけど。


fujipon.hatenadiary.com

 体操で五輪出場を経験したある20代のトップ選手は、女性としての発育の不順をひそかに気にしている。初潮が訪れたのは、はたちになってから。
「そこからまたずっとなくて、しばらくしてからまたあって。(月経周期も)なんだか五輪みたいな感じ。内面は子どもなんですよ、まだ」
 疲労骨折も経験しており、不安な様子も見え隠れする。
 月経が不順な原因として考えられるのは、ジュニア時代からの厳しい体重管理だ。体重は日に10回近くチェックする。300グラム増えただけでも、つかめるはずだった段違い平行棒のバーがつかめなくなるからだ。「(約40キロとベストの)体重が決まっているので、そのためには食事を抜かなければならない。高校生の時は、1日1食というのは、しょっちゅうだった」。1日合計で500キロ・カロリーを切っていた日もあっただろうという。
 仮定の話として「五輪のメダルと将来の自分の子どもと、どちらかを選ぶとしたら」と聞いてみた。
「うーん、どっちだろう。変な話だけど、子どもって養子をもらえば、どうにかなるでしょう。だったら、子どもを産めなくなるか、金メダルを取るかって言われたら、金メダルを取ります」
 迷った末に答えた。

 
 もともと、「他の人ができないこと」をいかにやってのけるか、で勝負しているわけで、そこに周囲が「常識」を求めることがおかしいような気分にさえなってきます。
 トップアスリートというのは、こういう世界で生きている人たちなんですよね。
 だからといって、パワハラやDV指導が必要不可欠とは思えないし、日本でも海外でもそんな方法に頼らず、成果をおさめている選手は大勢います。ただ、自分自身が「ドーピングしなければ三流、ドーピングすれば金メダル」というレベルの選手だったら、そして、「バレない方法がありますよ」と言われたり、指導者から「やれ」と求められたりしたらと想像すると、綺麗に負けを許容できる人のほうが少ないのではないか、とも思うんですよ。
 暴力を受けたから良い選手になれたわけじゃないけど、信頼しきっている相手だと「暴力も愛情表現のひとつ」「私のことを思って厳しく指導してくれている」と解釈してしまう。
 本当は、コーチの側も「もどかしさや苛立ちを暴力でしか解消できなくなっている」だけなのに。
 

 それにしても、こういうロクでもない選択肢しかない状況って、きついよなあ。
 本人にとっては、「速見コーチ一択」なんだろうけど。


 世の中の争いごとの多くって、実は「自分が正しいと信じている、あるいは、自分が間違っていると認めたくない、ロクでもない人たち」どうしによるものなんですよね。
 そのことを、あらためて思い知らされるような今回の騒動なのですが、こうなってしまうと、どっちに転んでもバッドエンドになりそうです。
 争いごとって、大概そんな結末になるのだけれど、それでもやっぱり、避けられないこともあるんだよなあ。


女性アスリートの教科書

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ツール・ド・フランス (講談社現代新書)

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永遠の出口 (集英社文庫)

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