いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『はてなダイアリー』の終わりと「ブログが消えない」世界


d.hatena.ne.jp


 2年くらい前に、『はてなダイアリー』から、『はてなブログ』への移行は済ませているのですが、それでも、『はてなダイアリー』が無くなってしまう、ということに対しては、感慨深いものがあります。
 βテストで『はてなダイアリー』をはじめたときは、「近頃ネットで流行っているらしい、ブログとかいうのを、ちょっと触ってみようかな」というくらいの軽い気持ちだったのに。
 『はてなダイアリー』についての思い出話は、またいつか語るとして、この発表で驚いたのは、『はてなダイアリー』終了後の、既存のダイアリーについての『はてな』の対応(予定)でした。

移行しなかったはてなダイアリーの投稿データについて
 はてなダイアリー終了までにユーザー様自身がはてなブログへの移行等を行わなかった場合でも、公開済みの投稿データについては引き続き閲覧できる状態を維持するように予定しています。詳細に関しては、後日あらためてご案内します。


 すごいなこれ。まさに「神対応」。
 ネットでけっこう長い間書き続けている僕は、これまで、さまざまなブログ(日記)の終焉をみてきました。
 昔は、「ネットに書いたものは、自分が死んだあとも、ずーっと残る」と思い込んでいたのだけれど、実際はそうでもないのです。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com


管理人が亡くなったあとのサイトを、『故人サイト』の著者は「お墓」にたとえています。
 著者の目に留まるくらいの人気・有名サイトでさえ、管理人がいなくなってしばらくすると、書かれていたブログのサービスが終了したり、使用料が払われなくなったりして、消えていくことが多いのです。
 その知名度を利用しようとする「出会い系業者」などの宣伝書き込みが掲示板にあふれてしまうことも多々あります。
 お墓がお参りをする人によって維持・管理されないとどんどん荒れていくように、デジタルの世界でも、誰かがメンテナンスしていないと、故人のサイトはどんどん荒廃していくのです。
 「お墓」なんて、「物質へのこだわり」の最たるもののはずなのに。
 人類が生み出した「バーチャルの世界」の故人サイトやホームページでも、同じように「遺された人のたゆまぬ努力」がないと、「墓地」はすぐに荒れ果ててしまう。
 「故人サイト」が見られる状態で公開され続けるためには、遺族やファン、友人など「目に見えない、生きている人の力」が必要なのです。

「消える」あるいは「突然更新が途絶えるサイト」というのは、必ずしも「管理人の死」を意味しているわけではなくて、飽きて更新しなくなったとか、もともと来訪者が少なかったので、告知なしで移転した、というようなケースも少なからずあるようです。

 そして、「消える」理由のひとつとして、「そのテキストが公開されていたプラットフォーム(日記やブログサービス)の終了」があるのです。

 多くの場合、いきなりサービスが終了して読めなくなる、ということはなくて、新しいサービスや他社への移行期間が設けられているのですが、これまでのブログ(日記)サービスでは「移行期間中にノーリアクションだった場合には、そのサイトは消えてしまう」というのがデフォルトでした。

 管理者が積極的に残すことを希望し、移行しないかぎり、そこに書かれていた文章は消えてしまっていたのです。

 管理者自身が「消えること」を望んだ場合もありそうですが、けっこう多くのサイトが「管理者がしばらく放置している間にプラットフォームが無くなってしまって、「404 Not Found」になってきたのだと思います。
 有料サービスの場合は、管理者が興味を失ってお金を払わなくなる、というケースもあれば、管理者が突然亡くなってしまって、有志がなんとか存続しようとしてもパスワードもわからず、どうしようもなくなってしまう、ということもありえるのです。


 『POPOI』や『腐女子の行く道、萌える道』など、テキストサイト全盛期のサイトには、すでに失われてしまったものが少なからずあるんですよね。

www.ituki-yu2.net



 昔のサイトって、こちらからすれば「なんで素晴らしい歴史的遺物が失われてしまったんだ……」と思うけれど、当事者にとっては、「黒歴史」だったり、「お金になるわけでもないし、これを移転するための作業をするのもめんどくさい」だったりすることもあるのでしょうね。
 ある意味「若気の至り」みたいな感じなのかもしれません。
 それでも、昔、テキストサイトをやっていた人たちは、本当に「書くことが好き」な人が多いみたいで、まだまだ現役でがんばっている場合も多いのですけど。


omocoro.jp


 デジタルデータって、「消えない」と思いがちですけど、実は、けっこうあっさり失われてしまうものなんですよ。
 昔のデジカメの写真とか、以前使っていたパソコンに保存していたデータとか、記憶媒体が変わったり、パソコンを買い替えたりしているうちに、いつのまにか手元から失われてしまうのです。
 「まあ、いつかデータを移せばいいや」とか思っているあいだに、そのパソコンは、いつのまにか動かなくなっている。
 デジタル時代、ネット時代だからこそ、「全部消すのも簡単」になっているのだよなあ。
 

 そんななかで、今回、『はてなダイアリー』が選んだ「既存のテキストは残すことを基本線にする」というのは、革命的なことだと思うんですよ。
 『はてな』にとっては、サーバーやメンテナンス(昔のブログでも、存在していれば、荒らしやトラブルの可能性はあるわけですし)に費用がかかり、「消えますよ」とアピールすることによって新しいサービスへの移行を促すという作戦を捨てて、「多くの人の爪痕を残す」というのですから、なんというか、「志の高い会社だなあ」と感動してしまいました。
 まあ、その『はてな』の志の高さ、ユーザーへの信頼が、ごく一部のユーザーの「やりすぎ」を生みやすいのも否定はできないのだけれど。

 
 とりあえず、『はてな』が潰れないかぎり、これまで『はてなダイアリー』に書かれてきたさまざまな文章は、ネットに遺りつづけるのです。いちばんの問題は『はてな』だって永遠のものではない、ということなのだとしても。


 僕はこの話をきいて、『はてな』すごい!立派!インターネットの良心!と思ったんですよ。
 ただ、しばらく経ってみると、考え込んでしまうところもあるのです。


 誰かが書いたブログというのは、「消えない、消さないのがデフォルト」で、本当に良いのだろうか?って。


 僕はいまのところ、自分が書いたものを消されたくはないけれど、長い目でみれば、僕の子どもたちが大きくなってこれを読むと、どんな気持ちになるのだろう、とも思うんですよ。
 椎名誠さんの『岳物語』はすぐれた作品だけれど、モデルになった息子さんは、椎名さんに「もうオレのことを書くのはやめてくれ」と懇願したそうです。
 自分の話が出てこなくても、親や家族、友人の黒歴史みたいなものを見てしまうというのは、けっこうキツいかもしれない。
 自分が死んでしまったあとに、あれこれ槍玉にあげられるのもイヤでだし、自分が死んでもブログは遺したい、という人もいれば、ブログも一緒に消してしまいたい、という人もいるはずです。

 最近、いくつかの本で読んだのですが、人間の選択というのは、デフォルトの設定に影響されやすいんですよね。
 たとえば、臓器移植カードで、「臓器提供を希望する人はカードにその旨記入し、サインをしてください(「提供しない」がデフォルト)だと、臓器提供者は少なくなり、「希望しない人は意思表示をする」となっていると、臓器提供者は増えるそうです。
 人は、初期設定をあまり変えたがらない。それが、けっこう重要な選択であっても。
 差し迫ったものではなく、「いつかやればいい」ようなものであれば、なおさらです。


 僕はこの『はてな』の英断に感謝しているのだけれど、その一方で、「自ら消そうとしないかぎり、ブログに書いたものが残りつづける」というのがデフォルトで良いのだろうか?とも思うようになってきたのです。
 人には「忘れられる権利」があるし、ごく一部の「多くの人が読み継ぐであろうブログ」以外は、「ずっと遺ることが、必ずしも本人にとって、あるいは周囲の人にとって、プラスにはならない」。
 絲山秋子さんの小説に、亡くなった同僚のパソコンのハードディスクを壊しに行く話がありましたが、これからの「終活」は、遺産の整理のほかに、自分のパソコンのデータやSNS、ブログをどうするかを考えなければならないのです。
 それは、人に見られてもよいものなのかどうか。
 今は良くても、10年後に子どもや親戚、友人に見られても大丈夫か(まあ、大部分の人は、いちいち10年後に見ないんですけどね、みんなそんなに暇じゃないから)。

 現実的には、『はてな』がどんなに配慮してアーカイブを遺してくれても、大部分は誰にも顧みられることなく、ただ、そこにあるだけのもの、になる。誰もお参りにこないお墓みたいなものです。

 個人的には、『はてなダイアリー』で読んできたブログには思い入れもあって、「遺すという配慮は嬉しい」のだけれど、それはそれで、あれこれ考えるべきことはありそうです。
 というか、ブログに何かを書く、というのは、基本的に「責任を伴う」ことではあるのですよね。そんなに重く考えてしまっては何も書けなくなりそうだけれども。


fujipon.hatenadiary.com

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