1番ショート・高橋慶彦、2番セカンド・木下、3番ライト・ライトル、4番センター・山本浩二、5番ファースト・水谷、6番サード・衣笠、7番レフト・ギャレット、8番キャッチャー・水沼。
あれから40年近く経っているのに、僕はあの「200発打線」の強かったカープの打順を、ソラで言えるのです。
僕は当時、広島県内の小学校に通っていましたが、周囲はみんなカープファン。
学校の先生が、終業式に山本浩二の応援歌(チャンステーマ)をトランペットで吹き鳴らしても、誰もとがめないというか、ほんとうに、あの先生、カープ好きだよなあ!ってみんなでニコニコしている、そんな雰囲気の学校でした。
そんな中にいて、カープがものすごく強ければ、カープファンになるのが自然なわけで。
当時の僕にとってのカープは、「昔のつらい時代を乗り越えて、ようやく花開いた雑草軍団」だったんですよね。
「赤ヘル」は、今となってはカープの象徴なのですが、最初のチームカラーは赤ではなかったそうです(僕の物心がついたときには「赤」でした)。
衣笠祥雄選手は、カープが「赤」になったときのことを、こう振り返っています。
1974年には、もうひとつ大きな出来事があった。インディアンスのコーチをしていたジョー・ルーツが打撃コーチに就任したのだ。翌75年、監督に就任したルーツは驚くべき改革を断行する。帽子の色を紺から赤に変えたのだ。
「赤は戦いの色、今季は闘争心を前面に出す」
それがルーツの狙いだった。
しかし、現場は冷ややかだった。もちろん衣笠も、である。
「正直言って照れ臭かった。ルーツから“帽子の色を赤にする”と言われたときは“うわぁ、えらいことになった”と頭を抱えましたよ。
だって、赤の帽子なんて小学校の運動会以来、被ったことがない。ほら、だいたい、男の子って白、黒、紺と決まっているじゃない。案の定、シーズンが始まったら“ちんどん屋か!?”とからかわれましたよ(笑)」
1980年の広島は、いま以上に東京と「格差」があって、あるいは、あるような気がしていて、テレビではいつも巨人戦を中継しているのを、カープの試合経過をみるためだけに観戦していました。ラジオもよく聴いていたなあ。
その後、引っ越しとともに、カープファンがほとんどいない九州にやってきて、異端者として弾圧されつづけ、四半世紀もBクラスの憂き目をみるとは、あのころは思わなかった。
鉄人・衣笠祥雄、逝く。
ちょっと待ってくれ、これは何の冗談なんだ? 骨折しても試合に出ていた衣笠が、こんなにあっさり死んでしまうものなのか?
僕の周りのカープファンには口が悪いヤツが多くて、衣笠が不調のときは、「衣笠、顔で打て!」なんてヤジを飛ばしていました。ひどいこと言うなあ、なんて思っていたのだけれど、今あらためて思い出してみると、衣笠の勝負に臨むときの顔は、本当にカッコ良かった。なんというか、逆境でも諦めない、食らいついてくる選手だった。アマチュア時代に注目されていたわけではなく、這い上がってきた衣笠は、まさにカープらしい存在だったと思います。
強靭な鋼の肉体を持つ衣笠は、まさに“鉄人”の名にふさわしい選手だった。
しかし、その愛称はそもそも、衣笠がかつて着けていた背番号に由来する。
人々の記憶に残る衣笠の背番号「3」は、プロ11年目に一塁手から三塁手へコンバートされた時から背負った番号だった。
それまで衣笠は、入団から10年もの間、背番号「28」を着けていた。
鉄人という愛称も、元々は横山光輝の漫画『鉄人28号』にちなんで呼ばれたものだった。無類の強さを備えた選手の背番号と、有名漫画のタイトルが結びつき、鉄人という愛称で呼ばれるようになったのだ。
衣笠選手の「鉄人」という愛称は、連続試合出場を成し遂げた頑健な身体に対してつけられたのではなく、以前の背番号に由来していたんですね。
僕が物心ついたときには、背番号「3」だったこともあり、この話は知りませんでした。
「鉄人・衣笠」は、僕の記憶のなかでは、ずっと背番号「3」で、多くの野球ファンにとっての「3」は長嶋茂雄さんの番号なのだろうけれど、カープファンにとっての「3」は、鉄人・衣笠の番号でした。「8」は山本浩二。
ふたりは、長年低迷していたカープを初のリーグ優勝、日本一に導いた立役者で、僕にとっても、子どもの頃からのスーパーヒーローだったのです。
浩二さんが日本代表チームの監督として罵声をあびても、バラエティ番組でいじられても、僕は浩二さんが元気で生きているだけで、とりあえず安心していました。
そして、衣笠さんは、目立つこともないかわりに姿を消すこともなく、いつも、穏やかな口調で野球を語り続けていました。
浩二さんは二度も監督になったのに、衣笠さんは引退後コーチとして呼ばれることもなかった。そこには、カープの経営陣との確執とか、出自についての差別とか、いろんなことが巷間噂されてきたけれど、本当のところは知りません。
ただ、あれほど野球が好きで、人柄も良さそうだったのになあ、と、残念な気持ちは、ずっと持っていたのです。
この本のなかで、山本浩二さんが、最大のライバルであり、頼りになる盟友でもあった衣笠さんのことを語っています。
神田:さて、浩二さんといえば、もう1人の大選手の存在も忘れてはいけません。続いて衣笠さんのことを伺いたいのですが、やはり、あの年(1975年)のオールスターのアベックホームランが忘れられないですね。あの瞬間こそ、日本中に赤ヘル旋風が巻き起こり、赤ヘル軍団が世間に認知された瞬間ですよ。ようやく赤のユニフォームが似合った瞬間だったと思うんですけども。
山本:だね。あのオールスターでキヌとアベックホームラン打って、それで「赤ヘル旋風」って言われ始めたからね。それで勢いがついたっていうのはあるね。
神田:そうですよね。衣笠さんとは仲間でありライバルだったんですよね。
山本:もう、最初からライバルだね。同級生だから。カープに入団したときは、お互いに「負けたくない」って気持ちだけだったと思うよ。腹を割って話をするっていうのは、そんなになかったから。私生活でもほとんどつき合いはなかったよ。でも初優勝のときのことを思い出すと、真っ先に頭に浮かぶのはロッカーで抱き合ったキヌのことなんだよな。
神田:そのときはお互いに泣いていた。
山本:お互いがね。それからもライバル。でも優勝したことで初めて、腹を割って話せるような仲になったね。お互いに「お前には負けんぞ」と思っていたのが、やっぱり優勝の味がすごく感動的だったから、「もう一度優勝するために、お互いに頑張ろう」となったわけ。だって、もう一回優勝したいじゃない。我々も中堅からベテランになってくる頃だから、「チームが勝つにはどうする?」っていう話をするようになる。それから家族同士でつき合うような間柄になったからね。本当によきライバルよ。
二回も監督になった山本浩二さんに対して、コーチにすらなっていない衣笠祥雄さん。
長年のカープファンの僕には、正直腑に落ちないし、巷間、いろいろ言われてはいるのですが、山本浩二さんに、直接衣笠さんのことをぶつけられるのは、神田さんだから、なんですよね、きっと。
そして、山本浩二さんも、その質問に対して、(たぶん、答えられる範囲で)ちゃんと答えているし、お互いに信頼しあっていたということも語られています。
そうか、僕が思い込んでいたような険悪な関係ではなくて、切磋琢磨し、優勝を味わったことで、二人はお互いを認めあう「真友」になったのだなあ。
この山本浩二さんの話を読んでいて感じたのは「チームワークが良いから勝てる」というよりは、個人が実力をつけ、勝ちが見えてきたからこそ、「チームワーク」に目覚める、というものなのかな、ということでした。
そして、「勝つことの感動」を実際に体験したからこそ、またそれを味わうために、「そのために必要な協力」を考えるようになるのです。
「常勝チーム」というのは、こういう経験をみんなが活かしているからこそ、その強さを維持できる。
四半世紀も優勝できなかったにもかかわらず、連覇を達成した一昨年、昨年(2016年、2017年)のカープをみていると、「一度勝つ経験をするというのは、本当に大きなことなのだな」と思います。
もちろん、そこで満足してしまって、それ以降はサッパリ、というケースも少なくないのですけど。
四半世紀におよぶ低迷期から、リーグ連覇を達成した姿を衣笠さんに見せられてよかった、と、ひとりのカープファンとしては思うのです。ただ、衣笠さんは「リーグ優勝したときも、日本一になれないと、何か足りない気がしていた」とずっと仰っていましたから、内心、「まだまだ」と思っておられたのかもしれませんね。
71歳、最近までお元気そうな姿をみて、声を聴いていただけに、信じられないし、「鉄人」がこんなにあっさり逝ってしまうなんて……とも思うのです。
でも、こうして苦しんでいる姿を周囲には見せずに退場していくのも、鉄人・衣笠の美学なのでしょう。
プロ野球で昔から観ていた選手のことを思い出すと、なんだか、自分が子どもの頃に戻ったような気分になります。
プロ野球を観ているときはいつも、僕はあの頃の、ボロボロの広島市民球場で声を枯らしていた屁理屈ばかりこねていたガキに戻ってしまう。
黒田さんとか、あらためて考えてみれば、僕より年下なのに、やっぱり、「黒田さん」なんだよなあ。
「新井さん」には、またちょっと別の、親しみのニュアンスもあるのだけれど。
ありがとう、鉄人・衣笠祥雄。僕らの背番号「3」。
選手生活の晩年、以前のように打てなくなったあなたをみて、僕は「連続試合出場を続けるために、打てもしないのにいつまでやってるつもりなんだ……」と内心毒づいていました。
でも、今はわかるような気がします。
打てなくても試合に出続けることが一番つらかったのは、衣笠選手自身だったはず。
それでも、どんなにボロボロでも、求められ、出られるかぎりは出て、全力を尽くす。
難しいことは何もなくて、ただ、それだけのこと。
それが、いま、生きている、そこにいる人間の「務め」なんだ。

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