いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「言ってくれなきゃ分からない人」として生きるということ


anond.hatelabo.jp


 こういうのって、しんどいよね本当に。
 しんどい、とネットに書き込んでみると、いろんなリアクションがあって、自分だけじゃないんだな、と安心できることもあれば、そこまで言われなくても……と落ち込むこともある。
 
b.hatena.ne.jp

 他人の本当のところなんてよくわからないはずなのに、なんでこんなに相手に対して「別れたほうがいい」とか踏み込んだ言及ができるのだろうか、とも思うのだ。インターネットには「本音」とか「正論」が書かれやすいとは言うけれど、僕はさまざまな意見のなかの「極論」だけが切り取られやすい、という印象を持っている。
いま溺れてもがいている人に「なんでお前は泳ぐ練習をしてなかったんだよ、バーカ」というような「アドバイス」が目立ちやすい世界なのだ。
 #MeToo運動でも、「自分もセクハラやパワハラをやっていたにもかかわらず、他者のそのような行為に対して、『正しさ』を語る人たち」の存在が指摘されている。
彼らは気づいていないのか、過去の自分の行為を忘れているのか、それとも、自分に火の粉が降りかかることはない、と考えているのか。
コメントの中には「こんなことを他人に言えるなんて、どんなに素晴らしい人生を送っているんだ?」と言いたくなるような「正しい人」もいる。
 これまでの世の中なら、自分自身で、「まあ、みんなこのくらいの不満やすれ違いはあるなかで、生きているんだから」と飲み込んでいたところが、ネットでの「なんてひどいやつだ」「そんなの別れてしまえ」で、負の感情が増幅していくことだってあるのではなかろうか。
ネットに示されているだけの情報に対して、強い言葉で誰かを罵ったり、決定的な解決法をすすめてくるような人は、あまり信用しないほうがいい。
 ちょっとした愚痴でも、周りに煽られることによって、後戻りができなくなることもあるし、個人的には、もう、ネットを捌け口にする時代ではなくなったと思っている。それこそ「チラシの裏に書くべき」だ。
 ネットに放流したあなたの言葉は、読んでほしい人には届かないし、そういう形で「ネットに自分の悪口を書いた」というだけで、相手の心証を悪くすることは少なくないから。


fujipon.hatenablog.com


 冒頭のエントリのこの部分に、僕は共感しました。

女性がよく言う、
「言ってくれなきゃ分からないというのは地雷ワード。そんな意識でいるから駄目なんだ、父親失格」
この言葉にたくさんの人が共感する。
本当に言ってくれなきゃ分からないんだ、という反論は叩き潰される。
私は、言われなければ分からない側の人間なので、それがとても辛い。


 僕も「本当に言ってくれなきゃわからない」人間なんですよね、それは発達障害的なものを抱えているからなのかもしれないし、単に気が利かない人だからかもしれない。
 「察する」ことがあまり得意ではなくて、「なんで言われたことしかやってくれないの!」という状況は、とてもつらいのです。
悪気があってやらないのではないし、自分にできることならやりたい。そんなふうに言うのであれば、やってほしいことを最初から全部言ってくれれば良いのに……
 なんか、自分がBASICのプログラムのような気がしてきましたが、本当にそんな感じなんですよ。
 僕はプログラム通りに動いただけなのに、なんでわかってもらえないんだ、って。
 まあでも、そういうのは半分言い訳でしかなくて、家事とかにあまり興味がない、という態度を見透かされているだけなのかもしれませんね。


 こういう「察する力」に対する認識の違いに苦しんでいる人たちに、僕はこの本をおすすめしたいのです。
fujipon.hatenadiary.com


 著者の鈴木大介さんは、自らの病気(脳梗塞)を契機に、発達障害をもち、家事がうまくできない妻に対して、発想の転換をはかります。
 「できないことをがんばってやらせようとする」のではなく、「できること、得意なことをやってもらう」「一度に多くのことを頼むのではなく、シンプルなお願いをひとつひとつ積み重ねるようにする」「集中しやすいような環境を整えておく」
 お妻様は、元気なときの著者が音を上げてしまうような単純作業をずっと集中して続けられるのだそうです。
 料理でも、一種類のおかずを作る、というような、切って、測って、煮て、焼いて、などの手順があるものは得意ではないけれど、著者が料理をしながら、食材を冷蔵庫から出してきて、皮をむき、解凍して……と、ひとつひとつ指示を出すと、その通りに動いてくれるのだとか。それによって、他の食材や器に触るために手を洗ったり、移動したり、というのが省けるだけで、家事はかなり楽になった、と著者は仰っています。
 お妻様も、家事をやるのが嫌なわけではなくて、うまくできないのと、それで責められるのがつらいだけだったのです。

 もちろん我が家の形がベストだとは思わない。けれど、2年以上をかけて家庭の環境や夫婦の役割を改革してきた中で、改めてたどり着いた視座がある。
 それが、「不自由を障害にするのは環境」だということだ。


(中略)


 それにしても「脳が不自由」というのは、周囲から見てその不自由がわかりづらい。
「なんで早歩きしないの? 足がないとか怪我しているならまだしも、あなた両足ついてて普通に歩けてるじゃない。不自由には見えないよ?」
 見えない不自由を抱えた人たちに、やろうとしてもできないことを強いる。そんな周囲の無理解が、一層当事者の不自由を苦しみ=障害にしてしまうのは、あまりに残酷なことだ。
 環境が不自由を障害にする。これは様々な障害支援の現場では普遍的に言及されている考え方だが、僕は自身が当事者になって、ようやく心底その意味を理解することができた。
 我が家の場合は、僕自身が不自由を抱えることで、僕がかつてお妻様がやりたくてもできなかったことを叱責し続け、お妻様の抱えた不自由を障害にしてしまっていた過去にようやく気づいた。そして「不自由の先輩」であるお妻様は、僕が抱えた不自由によって大きくつまづく前に支え、障害よりは受容の境地にソフトランディングさせてくれたのだ。


 この本を読む前は、「とはいえ、特殊なカップルの例なんだろうけどさ」と思っていたんですよ。
 でも、読んでいるうちに、むしろ、「普通のはずなのに、うまくいかない人々」にこそ、この本は読まれるべきなのではないか、と感じたのです。
 この本には、人と人が支えあっていくための「糸口」みたいなものが詰まっている。
 「できるはずなのに、なぜやらないのか、できないのか」というプレッシャーをかけあって生きている人は、本当に大勢いるから。


 あと、ネットでは「超人的な工夫をして、ちゃんとやっている人たち」がもてはやされがちなのですが、そういう「身近にありそうで、実際はレアケースな理想像」に踊らされすぎないことも大事だと思います。
 芸能人の不倫に憤っているコメンテーターが自分も不倫していたり、教育評論家の子供がグレたりしていることだってある。
 むしろ、「そういうもの」だと思っておいたほうがいい。

 
 僕は、「自分自身の人間関係に関してだけは、自分で直接見たり聞いたり、あるいは話したりしたことしか信じない」ようにしています。
 世の中には、他人の噂話や面白半分で書かれたネットのコメントは信じるのに、目の前にいる人の言葉を信じることができない人が多い。
 もちろん、人は嘘をつく。それでも、直接本人に確認してみることが、最優先であるべきだと思う。
 多くの人は「直接取材をしないマスメディア」に批判的なのに、自分のこととなると、面倒なことから、目をそむけたくなってしまう。
 いや、「多くの人」って書いたけれど、僕もそうなんだ。心底、面倒ごとは避けたい。ただ、これまでの経験上、面倒ごとを避けようとして選ぶ安易な手段は、かえって物事をこじらせて、面倒を大きくする結果にしかならない。


 いろんなことを書きすぎましたが、僕が増田さんに言いたいのは「ポンコツである自分を受け入れられる人は立派だし、無理に克服しようとするより、ポンコツであることを前提にして、生活しやすい環境を整えていくほうがラクですよ」ということです。
 お互いに、少しでもラクに、楽しく生きられるように。「自分なりにがんばっているのに、なんでうまく伝わらないんだ」という泥沼から少しでも抜け出せるように。


 個人的な話なのですが、僕は自分のスケジュールを小さなことでもほとんどすべて(毎週のルーチンであっても)スマートフォンのスケジュール帳に入れておくことで、だいぶ自己管理がラクになりました。スケジュールがすっぽり頭の中から抜けていて困ることがなくなったのです。紙の手帳よりも、スマートフォンは、ずっと身近なところにあるものだから。どんなに僕が忘れても、スケジュールを嫌がりもせずに表示しつづけてくれるから。
 いまは、けっして、悪いことばっかりの時代じゃない、というか、便利なものもたくさんあるのです。
 

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