いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

椎名誠さんの時代だったのだ。

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 挙がっている作家さんたちの名前がすごく懐かしくて、思わずこれを書いています。
 昭和の終わりくらいから、平成のはじめくらいは、僕がもっともエッセイを読んでいた時代だと思います。
 さくらももこさんの『もものかんづめ』が大ベストセラーになったとき、「また有名人エッセイが知名度だけで売れてるのか……」なんて斜に構えていたのですが、読んでみたらものすごく面白かったので驚いた記憶があります。


もものかんづめ (集英社文庫)

もものかんづめ (集英社文庫)


 この本が出たのが、1991年。まさにバブルの終焉と同じくして、だったのですが、当時はまだこれが「長い終わりの始まり」だとは誰も思っていなかったんだよなあ。
 ちなみに、僕がこのエッセイでいちばん記憶に残っているのは、さくらさんが「飲尿療法」について熱く語っておられるところで、うえーーっ、と目を見張りつつ、そんなに効くものなのだろうか、と試してみたい衝動にも駆られたものです。
 結局、試しませんでしたが。
 あらためて考えてみると、さくらももこさんの「ぶっちゃけぶり」ってすごいよね、あの時代だったからなのかな、と疑問になり、最近読み返してみたのですが、今読んでもけっこう楽しめます。
 さくらさんのエッセイも、あまりに売れすぎたためか、次第に粗製濫造気味になってしまったのは残念でした。


 この時代、僕が先輩にすすめられてハマっていたのが、椎名誠さんをはじめとする『本の雑誌』軍団だったのです。


哀愁の町に霧が降るのだ(上)

哀愁の町に霧が降るのだ(上)


 『哀愁の町に霧が降るのだ』は、僕も大学時代に読んだこともあり、親近感を持って読んでいました。
 椎名誠沢野ひとし木村晋介イサオの四人の「克美荘」の六畳の部屋での共同貧乏生活。椎名さん、沢野さん、木村弁護士に、椎名さんと会社で知り合った目黒考二さんが加わって(というか、内容的には目黒さんが主筆と言うべきなのでしょうが)、『本の雑誌』が生まれ、「ドレイ」と呼ばれた大学生の配本バイトたちを秘書のお姉さん(のちの群ようこさん)が率いていたのです。





 思えば、椎名誠さんは、僕にとって、自分の身内以外で、もっともその人生をよく知っている人かもしれません。
 幼少期から、学生時代、社会人時代から晩年まで、ずっと自分自身のことも書き続けておられるので。
 当時、1990年代の椎名さんは、本当に「カッコいい大人の男」でした。
 僕自身、もし他人に生まれ変われるのなら、筒井康隆さんになってみたいと常々思っていたのですが、次点はずっと椎名誠さんだったんですよね。
 すごい読書家で、小説や面白エッセイを生み出し続け、自主製作した映画が高く評価され、写真家としても知られ、世界各地に冒険に出かけ、家族のことを書いた作品もベストセラー、喧嘩にも強いし、仲間たちと「怪しい探検隊」で「男だけの焚き火パーティ」で盛り上がる。


アド・バード (集英社文庫)

アド・バード (集英社文庫)


 椎名さんは、女性ファンも多かったと思うのですが、「男が惚れる男」でもあったんですよね。
 僕にとっては、あまりにも自分とは正反対の完璧超人みたいな人で、憧れつつも、「ずるいよなあ」なんて思ってもいたのです。
 僕にも椎名さんの才能のうちのひとつくらい分けてくれてもよかったんじゃないか、神様。
 沢野さんや目黒さんや木村さんといった学生時代や若い頃の「仲間」たちとずっと付き合い、みんなで遊びに出かけつづけていたのもすごい。
 いくら仕事絡みだったとはいえ、大人というのは、なかなかそういうわけにはいかないもの。
 今になって考えてみれば『東ケト会』は、パーティ・ピープルとか、マイルドヤンキーの先駆者だったのかもしれません。
 

 椎名誠さんは1944年生まれですから、僕が椎名さんの作品に最ものめりこんでいた時代(1990年代)には、ちょうど今の僕と同じくらいの年齢だったんですよね。
 逆に、今の僕の年齢には、椎名さんはあれだけの仕事をしていたのか、と嘆息せざるをえません。
 その後も、椎名さんは、カッコいい大人の男であり、カッコいいおじいちゃんでありつづけています。
 でも、その一方で、明るくてみんなに囲まれてワシワシかつおのたたきを食べていた椎名さんも、けっして、100%の幸福にばかり浸っていたわけではない、ということも、その後、少しずつわかってきました。


岳物語 (集英社文庫)

岳物語 (集英社文庫)


 『岳物語』で語られていた息子さんは、みんなに「あの岳くん」と言われることに疲れ果て、「とうちゃん、もう俺のことは書かないでくれよう」と懇願し、逆に、あえて書かないようにしていた娘さんとも難しい時期があったようです。旅行家・エッセイストである妻の渡辺一枝さんは頻繁にチベットなどに出かけていて、すれ違いの生活も長かった。


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 椎名さんは、35年間も不眠に悩んでいた(いる)ことを、数年前に明かしておられます。鬱で精神科の中沢正夫先生の診察をうけていたことも書いておられました。
 椎名さんの「不眠」のはじまりは、業界紙のサラリーマン編集長から、物書きとして独立した30代なかばくらいから、なのだそうです。
 それまでは、とくに意識することもなく、よく働き、よく飲み、よく寝ていた、とのこと。
 フリーランスになった当時の不安であるとか、メディア業界での時間感覚の異常さ(午前3時とかに「普通に」電話がかかってくる、というのだから!)、ストーカー被害にあったことなど、生活の変化が、大きなきっかけになったのかもしれません。
 それにしても、35年間、ですからね……


 椎名さんは、ある意味「老い」、とくに「男の老いのプロセス」みたいなものを、僕に見せてくれているような気もするんですよ。
 僕の父親と同世代の椎名さんが、ちょっと愚痴っぽくなったり、説教くさくなったり、昔話を繰り返すようになったり、家族関係に悩んでいたりするのを読むたびに、還暦を迎える前に亡くなった僕の父親が生きていたら、こんなふうになっていたのかな、と思うのです。
 もちろん、椎名誠のようなカッコいい父親ではなかったけれど。
 大学生時代に僕が仰ぎ見ていた、ブレーキのこわれたブルドーザーのような「シーナマコト」から、人間としての「裏」も「陰」もある「椎名誠」へ。
 
 完璧な人間なんていない。
 でも、今あらためて感じるのは、完璧じゃないことや老いと向き合い、読者に晒しながら生きている椎名誠は、やっぱりカッコいい、ということです。

 
 この時代のエッセイの話、まだまだたくさんしたいのだけれど、ちょっと長くなってきたので、今日はこれでひとまず畳みます。
 

 余談というか、蛇足なんですが、僕は一時期、これだけネットで書評が読め、無料レビューサイトもある時代なのだから、紙の『本の雑誌』はもうダメなんじゃないか、と思っていました。経営危機も伝えられていたそうです。
 しかしながら、後発の『ダ・ヴィンチ』が、カタログ雑誌みたいになってしまうなかで、愚直なまでに「本が好きな人が、みんなに読んでもらいた本を自分の言葉で紹介する」という『本の雑誌』の価値は、この時代になって、かえって高まっているように思います。
 ネットの書評は、紹介しやすいビジネス書や自己啓発本ばかりになりがちだし、そもそも、「小説」をネタバレしないように、ちゃんと紹介するのって、ものすごく難しいんですよね。
 


ぼくがいま、死について思うこと (新潮文庫)

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さらば新宿赤マント (文春文庫)

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