こういうのをここで書くのもどうか、とは思ったのだが、そもそもここは「そういうこと」を書く場所ではあるので、吐き出しておく。
ただし、直接リンクを張ったり、具体名をあげたりするのは、なるべくやめておく。わかる人にはわかるだろうし、わからない人は、わからないまま、関わらないままにしておいた方がいいと思うから。僕自身も関わりたくない、というのと、どうしても言及しておきたい、という両方の気持ちが入り乱れているのだ。
某(自称)超有名女性ブロガーが8月の後半に離婚記事を書いて、その1カ月半後くらいに再婚がアナウンスされた。
本人によると、「実は今年の1月に離婚していたが、6月くらいまでは家族として一緒に仲良くやっていて、やり直す道を模索していたが、夏に再婚相手との出会いがあって『少しずつ距離を縮め』、再婚に至った」らしい。子どもは「顎の手術で1ヶ月くらい入院しなければならいので、家を空けることになり、手術の不安で自暴自棄になったこともあり、家事・育児能力が高く、環境を変えなくてすむ夫が親権をもち、一緒に生活することになった」と。
検証記事もいくつかあがっているのだが、そもそも時系列がおかしいというか、本人が書いていた「わかりやすく説明した時系列の表」をみて、僕は笑ってしまった。何これ、西村京太郎のトラベルミステリーかよ! とにかく「自分は不倫はしていませんよ」という体裁をなんとか整えようとしたのが、切実に伝わってくる。
おかげで、「なんとか辻褄は合わせましたが、人間の行動として考えると、きわめてリアリティに欠けるストーリー」ができあがった。
その「仲良くなった夏」の前に、再婚相手と親密にしているツイートがたくさん出てくるし、夏ごろまでやりなおせないかと真剣に模索していたのであれば、そんなに急に「再婚」する心境に至るとは考え難い。
日本で離婚する場合、8割は母親に親権がいく。これはこれで問題にもなっているのだが(共同親権が認められるべきだと僕は思っている)、現状では、母親の不倫が原因の場合でさえ、裁判をすれば、母親のほうに親権がいくことが少なくない。「有責者を問うより、どちらと一緒に暮らしたほうが、子供の生活にとって良いか」で判断されるためだ。
このケースでいえば、父親が親権を取り、一緒に生活することになったのは、話し合いで母親側が親権を諦めるか、調停・あるいは裁判で、「父親と一緒に暮らすほうが子供たちのために良い」と判断されたかのいずれかが考えられる。
日本の離婚の場合、親権に関しては母親が有利なので、本当に「子どもたちのことが最優先」であるのなら、まず、父親のほうに親権がいくことはないのだ。
顎の手術の件にしても、それが「たいしたことのない手術」かどうかは主観の問題で、当事者にとって「たいしたことのない手術」などというものは存在しないと思うけれど、この手術は絶対にこの時期にやらなければならない、というものではないし、一般的には命にかかわる、というものでもない。
逆に、不安なときに家族に傍にいてほしい、とか、子供を手放したくない、と考える人のほうが多数派ではなかろうか。
1か月間なら、子供は家事能力が高くて仲良しの元夫にみてもらえばいいし、離婚の時期か手術の時期をずらすことだって難しくなかったはずだ。
この人はただ「自分自身が、いま、やりたいようにやっただけで、インターネットの世界でちやほやされることや新しい恋人との生活のほうが、これまでの家族よりも優先順位が高くなっただけ」なのだ。
それは、良いとか悪いとか、他者が口をはさむことではあるまい。
多くの現代人が声高に叫んでいる、「集団や組織より、個人を重んじる」「自分らしく生きる」とは、こういう生き方を認める、認めざるをえない、ということでもあるのだ。
ひとつ明確にしておきたいのは、僕はこのケースで、「浮気や不倫や離婚は悪いことだ」とか「子どもがかわいそう」だと言う気はない、ということだ。
もちろん、浮気や不倫や離婚が良いことだなんて思ってはいないけれど、人間というのは、どうしようもない感情に流されてしまったり、一緒に生活をしていて、うまくかみ合わなくなってしまうこともあるだろう、とは想像できる。正しくも望ましくもないけれど、仕方のないことなのだろう。本当は書けない、いろんなことだって、あったのかもしれない。
子どもの立場を外野が代弁することにも、あまり意味はない。家で喧嘩ばかりしている両親をみているより、状況は改善されているのかもしれないし。
そもそも、こういうタイプの人に「子どものために、自分を抑えて、仲良し夫婦、良き母親を演じ続けろ」というほうが無理筋だろう。その抑圧は、子供にかえって悪い方向に発散されるのではないか。
この人をみていると、「自分を美化するためなら、どんな嘘や脚色も呼吸をするようにやってしまう人」というのがいるのだなあ、と考えずにはいられない。それは、ものすごく怖いことだ。
率直なところ、僕はこの人の離婚や再婚に関しては「モヤモヤはするけれど、赤の他人のことだからな」というのが実感だ。
許すとか許さないとか、そういうふうに他人が判断すべきことではなかろう。
本来、そういうプライベートなことをブログに書く義務はない。
ただし、この人の場合には「円満な夫婦」「仲良し家族」をセールスポイントにして商売してきたのだから、立場が変わったことは明確にしておいたほうが誠実だろう。
だが、離婚や再婚については、「離婚しました」「再婚しました」というアナウンスだけにとどめて、家庭内のこと、子供のことについては、「家庭内の事情もあり、詳しくは書けません」で良いというか、そうするべきではないのか。
大部分の大人は「まあ、人生いろいろだからね」と、受け止め、それ以上詮索しないはずだ。
もちろん、僕だってこんなエントリは書かない。
自分を美化しようとしすぎて、かえってウソのミルフィーユ状態になっているのって、自分ではわからないのだろうか。
大事なのは、この人は「自分の置かれている状況を売り物にして、商売をしている」ということなんだよね。
もし野球選手なら、家庭に多少問題があっても、バッターボックスで打ちまくればいいし、研究者ならすぐれた論文を書けばいい。
家族のことは、家族のなかでの問題だ。
でも、こんなふうにプライベートを切り売りして、「どうです、私はこんなに幸せで、家族がうまくいき、お金も稼げるノウハウを持っているんですよ。うらやましいでしょう。私のようになってみたいと思いませんか?ならこれを買いましょうよ、このセミナー受講しましょうよ!」という「商売」をしている人が、事実を隠し、自分を美化して「憧れ」や「成功体験」を売るのは、詐欺だと言われても仕方ないはずだ。
私は根っからウソをつく事は嫌いですが、読者の方達を裏切っていくことはもっと大嫌いです!
ショーンKさんが、「私はウソが嫌いです。視聴者を裏切るのはもっと嫌いです!」って「謝罪会見」で言ったら、みんな唖然とするよね。
人を見るときには、言葉ではなく、行動で判断するべきだ。
そもそも、離婚のきっかけは「自分のほうが稼げるようになったため、夫は仕事にやる気をなくした」って前のエントリに書かれているけれど、先に「不倫」があって、あるいは、パートナーが家庭を顧みなくなってしまったせいで夫婦関係がぎくしゃくしたのだとしたら、そんなふうに「配偶者の稼ぎに嫉妬してやる気をなくす狭量な人間」として描かれてしまうのは、すごくつらいだろうと思う。
しかも、「夫側の公式コメント」まで、晒してしまうわけですよ。
本当のところはどうだかわからないけれど、離婚の条件として 夫側には、「夫婦関係に関しては外部で語らない」という条項があるのかもしれないし、もう、あれこれ言って、関わり合いになりたくない、ということも考えられる。
今回のエントリを読むと、夫は「自分を美化し、お金を稼ぐためには、平気でウソをつける、みんなが読んでいる超有名ブロガ-」に、こんな風評をまき散らされて、本当にかわいそうだと思う。
僕が男だから、父親だから、夫側の心情を忖度しすぎているだけかもしれないが。
こんなふうに、自分を美化するためなら、「円満に離婚した夫」をダメ人間として踏み台にすることを厭わない人間が、「読者の方達を裏切っていくことはもっと大嫌い」なわけがない。
読者のことなど「自分という神輿をかついでくれる人」か、「ネギをしょってきた鴨」だとしか思っていないはずだ。
以前、北条かやさんが、「夫婦関係がうまくいっていなかったときに、恋愛がうまくいくコツ、みたいな文章を書かなければならなくて、とてもつらかった」という話をしていた。
僕も、それはつらかっただろう、とは思うよ。
でも、そこには「彼女自身がつらかったこと」しか書かれていなかったことに、すごく違和感があった。
北条さんは、その文章を売って、お金を稼いでいたのだから。
それって、「ウソの体験談で、健康食品を売りさばく」のと同じじゃないか。
でも、北条さんは、読者への不誠実な行為には言及せず、自分のつらさだけを訴え続けていた。
自分の人生を売って商売をすることそのものは「悪」ではない。
だが、人生が商品であるのならば、それを偽装するのは、まぎれもなく「悪いこと」だろう。それは詐欺だ。
離婚とか子供と別れることは、ものすごくつらいだろうと思う。もちろん、情の濃淡はあるにせよ。
離婚や再婚や家族の問題については、それぞれが前向きに生きる、ということに何の異存もない。幸せになっていただきたい。
しかしながら、自分もつらい、苦しんだ、からといって、他人に嘘をつくことが許されるわけではない。
嘘だけで、実害がなければまだいいよ。でも、その嘘で、さんざんお金を稼いでおいて、罪悪感も反省も補償もなく、ただ「私はつらかった」「これからも前を向いて歩いていきます!」って、それはさすがにおかしい。
自分が幸せになるためなら、お金を稼ぐためなら、平気でうそをつき、他人を踏み台にして自分を美化する人がいる。
もちろんネット上だけでなく、身の回りにも少なからずいるのだが、ネット上では、「カモ」をピンポイントで釣り上げやすいし、裏の顔を隠しやすい。
あの人を擁護し、励ましている人のプロフィールをTwitterで一定数追跡してみたが、同じようなアフィリエイトビジネスをやっている人がものすごく多かった。
事情はどうあれ、離婚・再婚した友人・知人を励ましたいのはわかる。
だが、人生を切り売りしているブログが、自らの経歴や物事の経緯を詐称して、顧客に商品を売り続けていることに苦言を呈している人は、「お仲間」には、ほとんどいなかった。
(そういうまともな人は関わらない存在だった、ということなのかもしれないけど)
あなたたちは、そんな「覚悟」で、他人に何かを買わせたり、転職させたり、危ない人と出会うリスクを負わせようとしているのかね。
いざとなったら、「ご利用は自己責任で」か?
某超有名プロブロガーが、ツイートで、
記事(というか離婚)に対して批判があるみたいだけど、神経を疑うな。ここまで書く上では相応の配慮と覚悟があるわけで、外野が何を言う必要もない。大変なこともあると思うので、ぼくは超応援したくなりました。
と仰っていましたが、こういう「プロブロガー」のなかには「覚悟至上主義」みたいな人がいて、「覚悟しているんだから許してやれよ」とか言うんですよ。
覚悟の有無が問題なんじゃない、離婚や再婚が悪いのでもない。子どもにとってどうなのかも、僕にはわからない。
インターネットを通じて、不特定多数を相手に、不誠実で人を欺くような商売をしていることが問題なんだ。
僕は、覚悟して新しいことに挑戦する人や他人がやりたがらないことをやる人は応援したい。
でも、「覚悟至上主義者」って、「覚悟してやる」ことが詐欺とか犯罪でも、応援するのかね?
おかしいだろそんなの。
そもそも、周囲に配慮しているんだったら、自分を美化せずに、本当のことを書くか、沈黙を貫くべきだろう(僕はこれを読んでいる皆様には、後者を強くすすめます)。
こういう事例をみるたびに、「自分の都合の良いようにしか考えられない人」というのが、世の中に存在するのだ、ということをあらためて思い知らされる。
僕はあの人は、もうこういう生き方しかできないのだろうな、と思うし、プライベートなことをあれこれ言うつもりはない。
たぶん、ああいう人を今まで信じてきた人も、これまで費やしたものを自己否定する「人生の損切り」は、なかなか難しいだろう(でも、損切り大事だよ、僕もなかなかできないけど)
だから僕は、これを読んでいる「まだ、踊らされていない人」に伝えておきたい。
ネットにも「平気でうそをつく人たち」がいる。
彼ら、彼女らは、誠実そう、礼儀正しそうにみえ、自分に役立つ相手には、すごく優しく接してくれる。
だが、実際は、あなたを自分の人生というドレスを彩る、ビーズのひと玉くらい(いや、ネギをしょってくる鴨)だとしかみていない。
それは、その人たちの言葉ではなく、行動をよく確認してみれば、わかるはずだ。
エサになっちゃ、ダメだ。
人生を切り売りすることを否定するつもりはない。
いまは、そういう時代だから。
だからこそ、その「商品である人生」を嘘で塗り固めるのは不誠実どころか、経歴詐称や産地偽装と同じだということを、知っておいたほうがいい。
そもそも、そんなきれいごとばかりの人生なんて、世の中に存在するとは思えないし、「私を見習え」という人で、本当に見習うべき人に、僕は会ったことがない。
もう、反省させようとしなくても、批判しなくてもいいよ。
インターネットの「平気でうそをつく人たち」に対しては、「読まない、買わない、関わらない」それが最良のスタンスだと僕は思います。

- 作者: M・スコット・ペック
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2016/03/03
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る

- 作者: ジョージサイモン,Jr.,George K. Simon,秋山勝
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2014/10/02
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (5件) を見る

- 作者: サンディホチキス,江口泰子
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2009/04/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 8人 クリック: 109回
- この商品を含むブログ (19件) を見る