いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

見城徹さんの「圧倒的努力は必ず報われます」という言葉の真実と嘘


togetter.com


 ああ、見城徹さんのツイートか……と思いつつ確認したら、やっぱりそうだった、っていう。
 この「圧倒的努力は必ず報われる」という言葉に対して、「必ずしもそうとは限らないんじゃないの?」「生存者バイアスだろ?」と感じる人は多いはずです。 

 でも、この言葉そのものは「正しい」のです。というか「どう転んでも正当化できる」のですよね。
 うまくいけば「圧倒的努力のおかげ」であり、努力してもうまくいかなかった場合には「その努力が『圧倒的』ではなかったからだ」と言われてしまう。
 こういう論法を駆使する成功者というのは、少なくないのです。


 ただ、僕個人としては、見城徹さんは、たしかに「すごい人」であり、「圧倒的努力の人」だとも思うんですよ。
 このくらいやれば、まず「成功」できるのだろうな、と、見城さんの仕事ぶりをみていると感じます。
 それと同時に、この人は「仕事中毒」であり、仕事をすることが「快楽」なんでしょうね。
 

 僕はこれまで、見城さんの著書や対談本をけっこう読んできたので、そのなかからいくつかご紹介します。


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 尾崎豊の場合は、彼と抜き差しならないほどやりあわなければならないときがよくあった。逃げ道もなくなり、「もうこれ以上無理だ、死ぬしかない」と、何度自殺しようと思ったか分からないよ。彼は、気分が滅入るとスタジオで暴れるわ、外に出て自動販売機に殴りかかるわ。『月刊カドカワ』の編集部に来て、突然机の上に飛び乗って叫びはじめたことがあった。「お前らみたいにのうのうと生きてるやつに原稿を書いてるかと思うと、腹が立つんだーっ」と、絶叫すると持ってきた原稿を破って空にバラまいてしまう。
 僕は、そんな尾崎を、羽交い絞めにして会議室に押し込み、背中をさすってやる。「尾崎、何してるんだ、しっかりしろよーっ」と。毎日、それを繰り返していた時期もあったんですよ。



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 僕は、あるミュージシャンと深い関係になり、しばしば会っているのに、十年以上何の仕事の依頼もしなかったことがある。その人の本を出せばどんなテーマでも確実に売れる。しかし、僕はあえて仕事の話をしなかった。ありきたりの仕事はしなくなかったからだ。
 適当な仕事でお茶を濁せば、その後、いい関係にはなり得ない。
 ある時、その人は、僕に人生に一度きりの重大な悩みを打ち明けてきた。僕は親身になって相談に乗り、最後にそのことを書くべきだと言った。逡巡した挙げ句、その人は承諾してくれ、その本は、発売5日にしてミリオンセラーになった。その人の一番出したくないものを出させるのが、編集者の仕事なのだ。それが大きな結果につながる。
 その人の名前は郷ひろみ。本は『ダディ』という。
 離婚届提出日に本は発売され、離婚の事実と経緯を人々はその本によって知ったのだ。



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見城徹この40年近く、365日毎日会食だからね。例外なく。


林真理子うちでお茶漬けなんて……。


見城:ない。3ヵ月先まで会食が全部決まっている。急に会食しなければいけなくなると、しょうがないから土日に入れて、土日も入れようがなくなると、会食がランチになるわけ。ランチだけは気楽に食べたいんだけど、週に2回ぐらいはビジネスランチになっちゃう。それが政治家だったり、スポーツ選手だったり、作家だったり、芸能人だったり、テレビ局の人間だったり、ミュージシャンだったり、いろいろ。


林:すごい人脈……


見城:表面的なつき合いは絶対にしない。つき合うからにはちゃんとつき合う。20代のころ、夜の11時ごろ村上龍から電話が来て、「今、こんなの書いている」とか1時間くらいああでもないこうでもないと話して、やっと終わると今度は宮本輝から電話がかかる。またああでもないこうでもないと話して、終わると今度は中上健次やつかこうへいが酔っぱらって家に来ちゃうんだよ。俺、独身だったし。それでいて、坂本龍一尾崎豊と毎晩のように飲んでいて、君や山田詠美森瑶子など、女性作家たちとも会っていたから、どうやって寝ていたんだろうなと思う。


林:ほんとですね。


見城:それはとりもなおさず自分が擦り切れていく作業なんだけどね。



fujipon.hatenadiary.com

 僕はいつも、「売れるコンテンツの条件は、オリジナリティーがあること、極端であること、明解であること、癒着(必ずそのコンテンツについてきてくれる、という固定ファンがある程度いる)があること」と言っている。
 とはいえ、これはあくまでも結果的に導き出した法則にすぎない。この4条件を知っているからといって、それだけでヒットが出せるわけではまったくない。
 作家をパートナーとする編集者が本を作ろうとすれば、自分が魅力的な人間であることによってしか仕事は進行しない。つまり、どれほど相手に突き刺さる刺激的な言葉を放ち、相手の奥底から本当に面白いものを引き出すか。ただそれだけなのである。
 これは、テクニックでなんとかなるものではない。問われているのは、今までの自分の生き方そのものだ。生きてきた人生のなかで培った言葉が、相手の胸を打つかどうかだ。僕の場合はたまたま廣済堂出版の新入社員だったころから、無意識にできていたが、それはまぎれもなく、学生時代からの膨大な読書体験と、「革命闘争からの逃避」という挫折体験がもたらしたものだ。
 僕は人と会うときは、常に刺激的で新しい発見のある話、相手が思わず引き込まれるような話をしなければいけないと思っている。たとえ30分でも僕と会った人には、「見城さんって、何度でも会いたくなる面白い人だね」と言われなければ絶対に嫌なのだ。
 これは僕の病気なのだ。「編集者という病い」である。



 見城徹さんという人そのものも、僕にとっては大変興味深いコンテンツである、といっては失礼なのですが、圧倒的努力の人、というか、「こういうふうにしか生きられない人」なんだろうな、と思うのです。
 僕はこの年齢になって、結局のところ、人間というのはみんな、こういうふうにしか生きられない人生を、そのスケジュールに従って生きているものなのかもしれないな、とか、考えることもあるんですよね。自分の圧倒的に中途半端な半生を振り返りつつ。
 その一方で、努力や運によって人生は変えられるのかもしれないし、そんな「運命論」的なものに傾いていくのは、災害や犯罪被害といった「受け入れがたい不運」に直面したことがないからなのか、とも思うのです。これは、そういうものに遭ってしまったからこそ、運命なのだと考える人もいるのでしょうけど。


 見城さんに関しては、「このくらいのことをやれば、たしかに『成功』する確率は極めて高いだろうな」と思うのです。
 それは、「努力」というより「強迫観念」のようにもみえるし、自らを壊して(あるいは壊れて)しまうことと紙一重、なのかもしれません。
 そして、世の中には、「こんなスピードで走ったら、クラッシュしてしまうかもしれないけれど、それでもベストタイムをたたき出すためにアクセルを踏む」という人生を選ぶ人もいる。
 傍からみれば、無謀な感じしかしないのだけれども、そういう人が、世の中を良くも悪くも引っ張ってきたのではなかろうか。
 他人にも自分と同じことを強要するのでなければ、あるいは、それが酷い迷惑運転になっていなければ、「お好きにどうぞ」と言うしかない。
 見城さんという人がいなければ、尾崎豊の著書も、郷ひろみの『ダディ』も、石原慎太郎の『弟』も世に出ることはなかっただろうし。
 これらの作品が世に出たことに、どのくらいの意義があったかはさておき、ものすごく売れて、多くの人に読まれたことは間違いない。
 「読まれること」は、少なくとも著作物にとって、大きな価値ではあるのです。


 見城さんという人を著書越しにみてきた僕にとっては、「圧倒的努力!」って、見城さんの持ちネタというかキャッチフレーズみたいなもので、『カイジ』の「圧倒的至福!」と同じようなものだとも思うんですけどね。
 見城さんとその人生を知っていると、「まあ、この人なら、こういう発言もアリかな」という気分にもなります。


 高橋みなみさんの「どりょくはかならずむくわれるー!」も、「そりゃAKBで売れた人だからね、はいはい」と思いつつも、あの総選挙の舞台で高らかに宣言されると、それはそれで説得力があるような無いような感じなので、結局、こういう言葉って、「誰が言うか」「発言者に好感を抱いているか」が大きいんでしょうけど。
 それでも、あの高橋さんの言葉には、観客もちょっと微妙な反応だったものなあ。
 だからこそ、「見城徹という人」について、ちょっと書いてみたのです。
 「努力しないと生きている実感がわかない人生」というのも、それはそれで苦しいのではなかろうか。


 ただ、最近のネットでは、「努力なんてしてもムダ」みたいな考えがけっこう支持されているみたいで、僕はそれに対しても、「それはそれで極論でしかない」と感じています。
 努力は成功を約束するわけではないけれど、基本的に、がんばったり、自分から行動を起こしたほうが、「うまくいく確率」は上がるのだから。
 森高千里さんが昔歌っていたように、「勉強は、しないより、しておいたほうがいい」。もちろん、それも、それぞれ人の「選択」ではあるけれど。
 まあでも、「努力することが苦痛な人」と「努力することが快楽の人」が同じ土俵で戦わなければならないのだから、人生というのはハンディキャップマッチだよな、とは思います。


編集者という病い

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たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

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