いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

誰にも投票する気がしない」と「自分が出馬する」の距離が、あまりにも遠すぎる

 今度の日曜日は衆議院選挙の投票日。
 選挙権は国民の大事な権利であり、「民意」を反映させるための唯一無二の武器だということは頭ではわかっている、つもりだ。
 でも、今回も、どこに、誰に投票しようかと迷っている。
 絶対に投票したくない人は、けっこういるんだけどねえ。
 毎回、迷った末に、その場の勢いというか、いままで権力を握ってきた人たちに思い知らせてやろう、みたいな感じで投票して、何年後かに後悔する、の繰り返しなので、もう投票しないほうが良いのではないか、とさえ思う。
 安倍さんはあまりにも長く総理の座に居すぎたし、小池さんの希望の党や維新の会には権力欲しか感じない。共産主義者でもないし、社民党って、まだありますよね……
 公明党には、まあ、僕は入れる義理がない人間なので……
 枝野さんの立憲民主党には、少しだけ期待している。とはいっても、「総自民党化」している日本の政治の歯止めとして、なのだが。
 格差の是正や社会保障の再整備に、もう少し目を向けてほしい、と思っている人は、けっして少なくないはず。
 枝野さんは好きだし、頑張って欲しいのだけれど、枝野さんのもとに「仲間」が集まってくるたびに、「うーむ」という感じになってしまうのだよなあ。
 枝野さんがいちばん右寄り、みたいなメンバーで、辻元さんとか菅さんとかがやってきて、あの山尾さんを応援してもいるし。
 面白いネットサービスだと思ったら、早速イケダハヤトさんやはあちゅうさんや堀江貴文さんが参加してきて仕切るようになり、がっかりする、というのと同じような感じだな。
 枝野さんが本当にやりたいことをできる環境なら良いのだろうけど。
 

 政治と野球の話をすると、喧嘩の元になるので、せめて政治の話はなるべく避けるようにしている。
 「投票したい政党や候補者がいない」と呟くと「それでもお前は投票しなければならない。それが民主主義だ」とか、「そんなに言うのなら、お前が立候補しろ」と言われてしまうのは、けっこうつらい。
 入れたくもない人に入れては後悔し、投票しなくても後悔する。
「失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した」(5回で挫折)
 とはいえ、自分が出馬するというのは、あまりにもハードルが高すぎる。


 最近思うのは、この「誰にも投票する気がしない」と「自分が出馬する」の距離が、あまりにも遠すぎる、ということなんですよ。
 あえて言えば、応援したい人の選挙活動に関わる、ということなのかもしれないけれど、その人に投票すらしたいと思わないのに、応援するというのは難しい。
 向いていそうな友だちを擁立する、という手もあるのかもしれないけれど、正直、僕は「選挙に出ようとするような人」は、苦手なので、そういう友だちはいないのだよね。
 もし誰か出れば、それなりに応援するとは思うけど。
 政治家が嫌いなのか、と言われると、彼らはそれなりに魅力的な人で、だからこそ苦手なのかもしれない。
 以前、友人が選挙活動中の鳩山由紀夫さんに握手してもらったことがあり、当時まだ与党になる前の民主党所属議員だった鳩山さんは「なんかすごくオーラが出ていて、いいにおいがした」のだそうだ。
 きっと、目の当たりにすれば、それぞれ魅力的な人なのだろうな。
 こういう「政治家になるような人は苦手」というのは、昔から僕を苦しめてきた「僕のことを好きになるようなヤツはロクな人間じゃない理論」とともに、僕を権力や幸福から遠ざけてきたように思う。


 いやほんと、「今回は棄権しようぜ」って言ってる人の気持ちはわかるんだよね。
 他人に呼びかけるようなものじゃないとは思うけどさ。
 自民党社民党共産党のあいだに、立憲民主党がうまくハマっている(と思う)ように、「投票したい候補がいない」と「自分が出馬する」のあいだにハマってくれる、何か良い落としどころがないものだろうか。
 この2つの間隔が、あまりにも広すぎる。
 せめて、どうしても当選してほしくない人に、マイナス票を投じられる、とかにならないかな……


 個人的には、あと20〜30年くらいで、「AI(人工知能)」が政治をやるようになるのではないか、と思っている。というか、それが良いのではないか、と考えている。
 すべての政策を数値化して、将棋ソフトのような「評価値」で、優先順位を決めていくのだ。
 ただ、AIはスキャンダルも揉め事も起こさない、というのが、いちばんの「欠点」かもしれないな。


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