いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「人生経験マウンティング」したがる人たちについての一考察


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この石田衣良さんの言葉を読んで、僕もなんだかすごく嫌な気分になったんですよね。
君の名は。』が気に入らないのなら、作品を批判すればいいのに、なんで監督の人生経験を(勝手に想像して)揶揄するのだろう?
でも、こういう手合いに、わざわざ新海誠監督が反応してしまっているのをみると、こういう「人生経験マウンティング」みたいなのは、やられたほうには、けっこう「効く」のも事実なんですよね。
少なくとも、僕はイヤだな、それが事実であろうがなかろうが。
記憶のなかに手を突っ込まれて、かき回されるだけで不快です。
そもそも、世の中の大部分の人は、一般的に「青春時代」と言われているような年代における自分の経験に、満足しているわけではないと思うし。


まあ、こういう「人生経験マウンティング」って、石田さんの「芸風」ではあるんですけどね。

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こういうのを読むたびに、ビスマルクの「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」なんて言葉を思い出したりするのですが、そういうことを言いたがることそのものが、「童貞っぽい」のだろうな、うーむ。


正直なところ、こういう「人生経験マウンティング」というのは、飲み会などでのネタとして、けっこう耳にすることがあるんですよね。


「でもアイツ、学生時代モテなかっただろうな〜」
「そうそう、友達いなさそう!」


こういう会話を聞いたことがない、という人は、あまりいないのではなかろうか。


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「恋愛」も「友達」も、本人の性格とか趣味嗜好だけでなく、環境とか運の要素が強いのですよね、基本的に。
もちろん、「恋人や友達をつくりやすい人」っていうのは存在するわけですが。


この石田衣良さんの新海誠さんに対する「楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか」というコメントって、まさに「人生経験マウンティング」ですよね。
「俺はしたけど」みたいな優越感が伝わってくる。
そして、新海さんが今、どんなに素晴らしい作品をつくって、商業的に成功していても、結婚していても、「高校時代の恋愛経験」を上書きすることはできない。
もう、いまさらどうしようもないのです。
過去は、いくらでも美化できる。
そして、そういうのって、けっこうコンプレックスを刺激されるものではある。
もちろん、「人による」のだろうけど。


まあ、これに対しては、「じゃあ、石田さん、いま、ベストセラー出してみてくださいよ」って言ってしまえばいいのに!とも思うのですが、それもまた「おとなげない」ですしね。
というか、石田さんのこの「人生経験マウンティング」って、「僕の周りにもたくさんいるオッサンの典型像」でしかない。
「俺も昔は悪かったんだぜ」みたいな。
それ自慢かよ!でも「すごいですね!」って言わなきゃいけないんだよ、こっちもそんな人といちいち喧嘩したくもないからさ。


そもそも、宮崎駿っていう、みんなが批判できないアイコンを比較対象にもってくるのが筋悪だよなあ。
宮崎監督も、「そんなにアウトドア派じゃないからこそ、自然に幻想を抱き、美化して作品に昇華している人」なのだと思うけど。
東映に入社してから、自分のすべてをアニメのために燃やしてきたような人なんだから。
本当に好きなものをつくったら、『紅の豚』とか『風立ちぬ』みたいな「戦闘機モノ」になってしまう人なのに。


押井守さんは、著書『立喰師、かく語りき。』のなかで、こんな辛辣な宮崎駿評を書いておられます。

押井:この間の『ハウルの動く城』だって、「CG使ってないんだ」って宮さん(宮崎監督)は言い張ってたけど、現場の人間は使いまくってるよ。あの人が知らないだけだよ。まるきり裸の王様じゃないか。それだったら、自分の手で(CGを)やったほうがよっぽどましだ。いや、わかりやすくて面白いから、つい、宮さんを例に出しちゃうんだけどさ(笑)。


 いかに中性洗剤使うのやめたって言ったところで、結局は同じことじゃない。宮さん、別荘に行くとペーパータオルを使ってるんだよ。そのペーパータオルを作るために、どれだけ石油燃やしてると思ってるんだ。やることなすこと、言ってることとやってることが違うだろう。そこは便利にできてるんだよね。自分の言ったことを信じられるってシステムになってるんだもん。


 その宮崎駿監督も、CGへの本格的な挑戦が伝えられているんですけどね。
 そして、「自分の言ったことを都合よく信じられるシステム」がないと、クリエイターっていうのは、何かを創る、というのは難しいのもわかるのだけれど。
 それは、石田衣良さんにも、新海誠さんにも、同じようなところはあるのだと思います。
 あちらもこちらも立てようとすれば、結局、みんな倒れてしまう。


 藤子・F・不二雄先生について、長年のパートナーだったA先生がこんな話をされていたことを思い出します。


fujipon.hatenablog.com


 このA先生の話、大変興味深いものなので、ぜひ読んでみていただければと思います。

 漫画は頭で考える部分と、自分の実体験をふくらませる部分とがあります。もちろん、最初から最後まで空想で描く場合もありますが、ある程度現実が基になっていると、読者もリアルに感じて納得してくれるわけです。


「途中下車」の主人公のおじさんなんて、僕が現実に見た顔を絵にして描いたから、何ともいえないリアルな感じが出てると思うんですよ。読者も、ああ、本当にこういうことがあるかも知れないと。漫画に気持ちが入るというか。


 藤本氏はおそらく、全部、彼の想像力で考えていた。これは天才にしかできないことなんです。僕も最初はそうでしたが、だんだんと体験の部分が大きくなっていきました。最初はまったく同じスタートで出発した二人でしたが、次第に路線が分かれていった。トシをとるにつれ、経験をつむにつれ、二人の個性がはっきりしてきて別々の”まんが道”を進むようになっていったのです。


 「童貞の妄想」って、よく使われる悪口なのですが、「妄想を作品にできる」というのは、「天才にしかできないこと」なんですよね。
 そういう意味では、石田さんは「経験で書く」タイプで、「想像力で作品をつくってしまう」作家のことが理解できないのでしょう。
 だから石田さんが悪い、というのではなくて、タイプが違う、というだけのことなのですけど。
 そして、この石田さんのコメントって、「経験からしか書けない人間のコンプレックス」の裏返しなのかもしれませんね。


 そういう「作家としてのタイプ」はさておき、「人生経験マウンティング」って、される側には不快なものなんですけどね。
 とくに「過去のこと」については、改善の余地がないからなおさら。
 ただ、正直なところ、そこまで自分の人生経験に自信が持てるって、うらやましいなあ、とも思うんですよね。
 僕は、これでよかったのかなあ、って考え込んでしまうことばかりだから。
 

 『読者ハ読ムナ(笑) ~いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか~』という本のなかで、藤田先生は、こう仰っています。

 もし「キミの描く女の子に魅力ないのは、女の子と付き合ったことがないからだよ」とかって言われたら、作品だけじゃなくておれの人生も人格も全部否定された、と思うかもしれない。でも、待て待て。そうじゃない。そこで質問するんだよ。「はあ……付き合ったコトないんですけど……どんなカンジなんですか?」とかね。そしたら、なにかが返ってくる。そのなにかが、編集の求めているものの片鱗かもしれない。編集者が漫画家に対して人生経験云々を持ち出すときに言わんとしていることは、キャラクターの掘り下げ、具体的なエピソードのあるある感なのだから、ほかの映画や小説で十分勉強できることしかないと言っていい。そう思ってな。キミが女と付き合ったことがないのなら、しかたがないでしょ? 体験したコトがないから描けない、なんて言ってたら、おれは妖怪退治なんかしたことないけど、妖怪退治漫画で20何年食ってんだから。「経験がないからダメ」というその理屈で言ったら、おれはアウトでしょ? ね?(笑)


 少なくとも、現時点でのクリエイターとしての勝負では、新海監督や藤田さんの「勝ち」だと僕は思います。


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