いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

我が家が「ミニレトロゲーム機」の墓場になっている。


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 おお、ニンテンドー64メガドライブか……懐かしいなあ。
 『メガドライブミニ』は持っているけれど、これは追加料金払ってでも加入しなきゃな……
 
 と思ったあと、僕は家にあるさまざまなレトロゲーム機の状況を思い浮かべていたのです。
 『ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ』を皮切りに、昔の名作ゲームをたくさん収録して、コンパクトサイズで安く発売されたレトロゲーム機って、たくさん出ていますよね。



パッと思いつくだけでも、これだけあります。というか、これ、全部僕の家にあります。

しかしながら、開封したのは、『ファミコンミニ』と『スーパーファミコンミニ』くらいで、どっちも収録ソフトを子どもと一緒に何本か遊び、「じゃ、そういうことで」みたいな感じで、その後はほとんど触っていない状態です。
残りのレトロミニゲーム機は嬉々として購入したものの、未開封で仕舞い込まれているのです。ああもったいない。

もともと僕がアクションゲームよりもシミュレーションやアドベンチャーゲームを好む、ということもあるのでしょうけど、あんなにワクワクしながら買ったのに、昔からゲームは大好きだったのに、実際に「レトロゲームが遊べる環境」になっても、やり込むことはほとんどない、というか、皆無なのが実情なのです。
こういうのは、とりあえず所有しておくことそのものが喜びなのだ、という面はあるとは思うのですが、実際のところ、ミニレトロゲーム機の稼働状況というのは、どんなものなのだろうか?

思えば、僕がパソコン(マイコン)でテレビゲームに触れてから、ファミコンブームの始まりくらいの時期(1980年代前半くらい)は、とにかく、新しいゲームが発売されることが楽しみだったし、新作情報や延期報道に一喜一憂していた記憶があります。
学校でいちばんの不良(とされていた子)が、「あいつはファミコンのゲームを全種類買ってもらっている」という噂を聞いて、心底羨ましかった記憶もあるのです。
あの頃は、「ファミコンゲーム全種類コンプリート」も、お金があれば不可能ではなかった(まあ、レアもの、なんらかの景品や商品の限定金カセットみたいなものは別として)。

しかしながら、今、こんなにいろんなゲームが、ものすごく安く買える、あるいは、サブスクで定額で遊び放題になっているのに、増えているのは「積みゲー」ばかりという悲しい現実があるのです。積みゲー増やして半世紀、みたいな感じです。

昔の名作ゲーム、遊んでみたい、という気持ちはあるし、遊べば面白いであろうことは予想できるのですが、限られた時間のなかで、何かやろうと思うと、どうしても新作ゲームを優先してしまう。

……とか言いながら、先日はスイッチで『ファミコン探偵俱楽部』のスイッチ版を2作続けてプレイし、おお、なかなかボリュームがあるじゃないか、と思っていたら、最後はあっけなく終わってしまったのですが。『うしろに立つ少女』のクライマックスって、この年齢になってもけっこう怖かった。「リメイク」され、新作ソフトとして発売されると、けっこう遊べるものなのかもしれません。『逆転裁判』シリーズとか、何度もやっているし……って、単にミステリー系アドベンチャーが大好きなだけなのか……?

ファミコンミニ』『スーパーファミコンミニ』のような、シンプルなゲームは、幼稚園に行っている次男には楽しいのではないか、と思いきや、やっぱり、スイッチの最新ゲームのほうが面白いみたいなんですよ。
「古いゲーム」=シンプル、単純、というわけではなくて、新しいゲームにも、低年齢層向けのものはたくさんあって、いまの子どもたちは、そちらに惹かれてしまう。

僕だって、「懐かしさ補正」がなければ(あってさえも)、新しいゲームばかりやっている。

冒頭のニンテンドーオンラインに関しては、実際には、「新しい、いつも使っているハードで遊べるのなら、古いゲームもちょこちょこやっている」面もあるんですよね。ハードをつけかえるほんのひと手間、みたいなものって、意外とハードルが高いものではあります。フィットネスソフトなんて、すぐに起動できるのに、なんかめんどうでなかなかやらないものなあ。

ニンテンドー64には名作ゲームも多いのですが、任天堂というゲームメーカーの特徴なのか、名作ゲームはその後に正統な進化を遂げ、後のシリーズ作品で、より遊びやすく、楽しくなっているものが多いので、マリオカートスターフォックスも、あえて64版じゃなくてもいいかなあ……とも思ってしまうのです。「原点」はファミコンスーパーファミコンにあって、「いまの到達点」はスイッチでも遊べるものが多い。
時のオカリナ』は超名作なのですが、超名作すぎて、ニンテンドー3DSでも遊べるしなあ(今はニンテンドー3DSもすっかり斜陽ハードなので、スイッチで遊べることに意味がある、とは言えそうですが)。でも、先に『ブレスオブワイルド』をやってしまうと、『時オカ』も、ちょっと厳しいかもしれない。

いや、「みんなやらないんだから、古いゲームなんて発売するな」なんて言うつもりは毛頭なくて、むしろ、遊べるようになることにはすごく喜んでいるのです。正直、持っているだけで、コレクター的な幸せはある。いつでも遊べる、リタイアして時間ができたらやろう、と思いながら死んでいくのも一興でしょう。

ただ、これだけいろんなレトロゲームが手軽に遊べるようになったり、Steamではちょっと古いだけの大作ゲームが激安で買えるようになっていたりする時代に子どもであるというのはうらやましいなあ、と思うのと同時に、これを「やりこんでいる」人って、どのくらいいるのだろうなあ、とも感じています。

ゲーム実況動画もたくさんあるように、「他人がプレイしているのを観ているだけ」とか「持っているだけ」というのも「ゲーマー」のひとつの在り方、という時代なのだろうか。「乗り鉄」「撮り鉄」「時刻表鉄」みたいに。


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