いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「就活女子大生、乳児殺害遺棄」として語られている事件と、「どうしてそんなことをするのか理解できない人々」のこと


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 なんてひどい話だ……と思いつつも、僕はこの人の行動をどう解釈していいのか、わからなかったのです。

 法廷では、犯行時の詳細な行動が再現された。北井被告は、トイレットペーパー「3巻分」をちぎって3回、赤ちゃんの口に突っ込み、さらに首を絞めて殺害。遺体を持ったまま空港内のカフェに入り、アップルパイとチョコレートスムージーを頼み、写真まで撮っていた。その後、予約していたホテルにチェックイン。スマートフォンで検索して見つけたイタリア公園に向かっていた。

「パニックになって頭が真っ白になった」。被告人質問で犯行動機についてこう答えた北井被告。彼女がもっとも気にかけていたのは、翌日に控えていた航空関連会社の面接試験だった。

「一人では子供を育てていく経済的な余裕がない。就職活動の邪魔になると思った」


 なんて無責任な人間!
 子どもを殺害したあとに、カフェでアップルパイなんて……
 これだけ突飛というか短絡的な犯行でも、1年間かけて監視カメラを辿っていき、この被告にたどり着いた今の警察の捜査能力の凄さに驚かされます。

 しかしながら、この記事を最後まで読んで、僕は考え込んでしまったのです。

弁護側は最終弁論で、北井被告が就職活動で企業に提出したエントリーシートを取り上げた。名前と経歴だけが書かれ、自己PRと志望動機の欄が空白になっているお粗末なものだ。結局、遺棄翌日に受けたという空港内のホールスタッフのほか、大手航空会社子会社の空港グランドスタッフなど、片っ端から航空関連企業を受けたがすべて不採用で、地元の衣料品店でアルバイトをしていたという。

「弁護人は、このエントリーシートをもとに、彼女は知的能力が低く、周囲に相談する相手も少なかったと情状酌量を訴え、執行猶予付きの判決を求めた。一方、検察側は、『自己中心的で極めて身勝手な動機』として、懲役7年を求刑していた」(前出・記者)

 判決で裁判長は「強い殺意に基づく執拗かつ惨たらしい犯行」「身勝手で短絡的な動機」と指摘し、5年の実刑判決を言い渡した。


 記事には「CA(キャビンアテンダント)志望」だったと書かれていますが、いくらコロナ禍で航空業界が厳しいとはいえ、自己PRや志望動機が真っ白のエントリーシートで合格できると思っていたのだろうか?
 そもそも、「航空関連企業」とは言うけれど、CAと空港のホールスタッフでは、仕事の内容も全く違うはずで、本当に「航空関連企業なら、なんでもよかった」のか?


 僕はこの記事を読んで、『最貧困女子』という本に書かれていたことを思い出したのです。

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 この本のなかに、売春をして、なんとか生活費を稼いでいるというシングルマザーのこんな話が出てきます。

 ショックだった。よくよく考えれば当たり前のことなのだが、シングルマザーで子供を抱え、誰からも経済的な援助の手を差し伸べられず、自らも稼ぐことができなければ、誰しもが加奈さんのような状況に陥りかねない。シングルマザーというものが、これほど社会的、経済的に崖っぷちの不安定な中にあることを、それまで僕は真剣に考えてこなかったのだと知った。
 いや、ここまで追い込まれる前に、なんとか仕事は探せなかったのか。これほどの困窮に陥れば、さすがに公的な支援を受けることだってできるはずだ。この時点ではまだ僕もそんな甘い考えをもっていたが、加奈さんを前に話を聞いていると、そんな正論が何の意味ももたないことを痛感する。


 ここまでの「加奈さん」の話を読んでいて、著者が書いている「甘い考え」って、日本の福祉行政は、ここまで困窮している人にも、援助してくれないのか……?と疑問になりました。
 そして、その「理由」を読んで、僕は絶句してしまったのです。

 まず彼女はメンタルの問題以前に、いわゆる手続き事の一切を極端に苦手としていた。文字の読み書きができないわけではないが、行政の手続き上で出てくる言葉の意味がそもそも分からないし、説明しても理解ができない。劣悪な環境に育って教育を受けられなかったことに加え、彼女自身が「硬い文章」を数行読むだけで一杯一杯になってしまうようなのだ。
 そんなだから、離婚して籍を抜くにしても、健康保険やその他税金などの請求について市役所で事情を話して減免してもらうにしても、なんと「銀行で振込手続きをすること」すら、加奈さんにとっては大きなハードルだった。18歳で取得した自動車免許も、更新手続きを怠って失効している。子供の小学校入学の手続きにしても、実質的に地域の民生委員が代行してくれたようだった。
 通常こんな状況なら、消費者金融などでさぞや大借金しているのだろうと思ったら、なんと彼女は借金の手続きすら苦手の範疇。唯一の借金は、サイトで知り合った闇金業者を自称する男から借りた2万円だという。
闇金さんね。貸してほしいって泣きながら頼んだけど、2万が限度だって。でもそれも、そのあとに3回ぐらいタダマンされたから、チャラかな」
 滔々とその生い立ちと現在の苦境を語る彼女を前にして、僕自身が思考停止になってしまった。


 冒頭の事件の被告である女性のわが子を殺害した行為やその後の行動は、常軌を逸しています。
 ただ、それが「悪意」なのか、「無知」というか「物事の優先順位が一般的な感覚とは狂ってしまった人間の、本人にとっては合理的な行動」なのか、判断するのは難しい、とは思うのです。

 『自己中心的で極めて身勝手な動機』なのは間違いないけれど、それは「われわれの感覚」であって、彼女たちは「そういうふうにしか生きられない人間」だったのではないか。
 それでも、風俗などで働いて収入を得れば生活はできるし、それを「買う」人もいる。

 「書類で手続きをする能力がない人たち」の存在を知りながら、「この書類がないと、援助できません」と、本当に助けが必要な人たちを排除してしまう現実があるのです。
 それを「知的能力が低い」とか「愚か」と言ってしまうと、語弊があるのかもしれませんが。

 サポートする側も、けっして簡単な話ではないのです。
 生活保護を受けて、つつましく暮らすか、風俗で稼いで、贅沢をするか?
 自分で稼ぐ能力があれば「あなたは頭が悪いから」と、前者を強要することなんて、誰にもできないのです。

 
『最貧困女子』には、こんな記述もあります。

 一方で知的障害者の社会的自立をサポートするワークショップ(作業所)のスタッフは、忸怩たる思いを語った。
「うちの施設にも、まさに鈴木さんの言うような10代の女性が来たことあるよ。でも、実習初日で逃亡……。働きたくないんだって。楽してお金稼げる(=売春)方法を知ってしまったからね。そしてそのような方の親御さんは、やっぱり軽度の知的障害者で、お父さんは生活保護、お母さんは16歳で子供を産み、計7人兄弟だったり。でも、家に居場所が無くて、台所の机の下で寝てるって言ってた。ある利用者は逃亡から3日後、昔いた児童施設の近くで見つかりました。手はいつも差し伸べてるつもり。福祉の対象を選んでるつもりもない。ほんとは、手を振り払われても、無理矢理にても引っ張ってくるべきなのかもしれないし、ただ、実際自分の目の前にいる、利用者さんたちのことはおろそかにはできない」
 確かに、彼女たちは間違いなく即座に救済すべき存在なのだが、かといって安直に福祉の対象として想像するような「大人しくちょんと座って救済を待っている障害者」ではない。想像以上に粗暴だった(ただし極度に粗暴と思える言動は、それまで受けてきた暴力へのリアクションや防御の姿勢かもしれず、そこまで思いを及ぼすことが必要かとは思われる)。

 『ケーキの切れない非行少年たち』という本のなかで、著者は「忘れられた人々」(=軽度の知的障害を持つ人々)について、何度も言及しています。

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 2014年に神戸市で起きた、小学校1年生の女の子が下校後に殺害され、近くの雑木林で遺体がビニール袋に入れられた状態で発見された事件では、そのビニール袋のなかに、たばこの吸い殻と名前が書かれた診察券が入っていたのです。
 そんなものが入っていたら、何らかの偽装工作ではないか、と思いますよね、あからさますぎて。
 ところが、この事件の容疑者は、自分の診察券を入れていたのです。
 さらに、容疑者は、陸上自衛隊に勤務し、大型一種免許や特殊車両免許を持っていたそうです。

 しかし、あとになって彼が療育手帳(軽度知的障害の範囲)を所持していたことを知り、容疑者の奇異な行動の意味が理解できました。知的障害を持っている人は、後先のことを考えて行動するのが苦手です。これをやったらどうなるのか、あれをやったらどうなるのか、と想像するのが苦手なのです。特に急いで何かをしなければならないとき、後先を考えずにその場その場で判断してしまいがちです。診察券が入っていたら自分の素性がバレるのでは、と想像できなかったのでしょう。
 こうやってこうやったらこうなる、といった論理的思考は、「思索の深さ」とも呼ばれています。何ステップ先まで読めるかを予想する力といってもいいでしょう。知的にハンディのある人はこの思索が浅いと言われていて、先のことを見通す力が弱かったりするのです。
 しかし、ここで大きな誤解があります。もし知的障害を持っていたのなら、それまでに周囲に気付かれて、何らかの支援を受けられていたのではないか、と。
 しかし、軽度の知的障害者は、日常生活をする上では概して一般の人たちと何ら変わった特徴が見られないのです。軽度の知的障害でも陸上自衛隊に入隊したり、大型一種免許、特殊車両免許を取ったりすることは可能です。特に軽度の知的障害や境界知能の人たちは、周囲にはほとんど気づかれることなく生活していて、何か問題が起こったりすると、「どうしてそんなことをするのか理解できない人々」に映ってしまうこともあるのです。


 著者によると、このような「軽度知的障害者」をIQ70〜84の範囲と定義すると、人口の14%くらいを占めているそうです。ちなみに、IQ70以下は2%。もちろん、IQだけですべてが決まるわけではないのですが、傍目でみて、明らかに知的障害があるようには見えないけれど、周りとうまく噛み合わず、慢性的な生きづらさを抱えている人は、かなり多そうな気がします。
 そして、この人たちは、明らかに「異常」ではないだけに、かえって、「なんでそんなことができないんだ」「空気が読めないヤツだな」と阻害されやすい。仕事を選べば、ある程度普通に働ける。だからこそ、突発的にみえる異常な行動を周囲は理解できない。責任能力もあると見なされるのです。


 僕は冒頭の記事を読んで、「被告はこういう人の中の1人だったのではないか」と思ったのです。
 もちろん、冒頭の記事には精神鑑定等が行われたかも言及されていませんし、僕の勝手な推測である可能性も十分にあります。


 明らかな精神的な疾患があれば、量刑では配慮され、減刑されたり、無罪となったりするのです。
 しかしながら、「ギリギリで社会に適応している(ように見える)人たちが事件を起こすと「きわめて無責任」「どうしてそんなことをするのか、理解不能の凶行」として糾弾されてしまう。
 
 じゃあ、こういう人たちもみんな「減刑」「無罪」にすればいいのか?
 そもそも、「責任能力」とは何なのか?
 自分の子どもが「そういう人」に殺されたり、傷つけられたりしたら、「加害者がそういう人なら、仕方がないね」と思うことができるだろうか?


 「本人にとってはどうしようもない衝動」みたいなものを、すべて「障害」として認めてしまえば、「そもそも、人を殺めるような精神状態は、『異常』ではないのか?」とも考えてしまいます。

 日頃ちゃんと生活をしていて、知的能力も標準以上の人が、追い詰められて行った、みんなに動機が理解可能な犯罪だけが「責任能力あり」として裁かれるというのも、なんだか腑に落ちません。


 正直なところ、「人は、自分がやったことに対して、責任を取るしかないのだろうな。理由を考えすぎると、キリがなくなってしまうから」とは思うのです。
 さまざまな研究で、「発達障害的なもの」が知られるようになるにつれ、「本当に、この人に『責任能力』があるのだろうか?」という疑問と、それが「障害」であったとしても、「この人が『無罪』『執行猶予』になることに、僕は納得できるだろうか?」という感情がせめぎあうことが多くなりました。
 
 統計的には、凶悪犯罪の全体的な数は、どんどん減ってきてはいるのですけどね。

 そして、この人がどうなろうが、基本的に僕の人生には関係ないんだ。そのはずなんだ。
 でも、こういうことを書かずにはいられないのは、僕も自分自身に「危うさ」を感じ続けているから、ではあるのです。


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