病院で仕事をしていると、高齢者と接する機会が多いのです。人が病気をする、あるいは持病が増える年齢というのを考えれば、当たり前のことなのだけれど。
冒頭のエントリを読んでいて、飲食店のアルバイトというのはなかなか大変なものなのだなあ、と痛感しました。
世代間の常識とか経験というのは異なる、ということも。
ファミレスに僕が行くようになったのは、もう40年くらい前です。親に連れられていったのですが、ドリンクバーというシステムは斬新でお金がない学生時代には助かったし、飲み物って原価が安いんだな、と思った記憶があります。元を取るために3杯くらいは飲まなくては、と毎回頑張っていました。
ファミレスの、ドリンクバーの仕組みを理解していない、そして、店員さんの説明を聞こうともしない高齢者、というのは、世間的には、まさに頭が固くなった「老害像」そのものですよね。いくらなんでも、ドリンクバーの仕組みくらい簡単に理解できるはずだし、ドリンクバーが一般的になっている時期にファミレスに行ったことがないなんて、ちょっとありえないんじゃない?これ、ネットによくある「創作」なのでは、とも、ちょっと思いました。
あらためて考えてみれば、僕はこれまでの人生で結構外食産業のお世話になってきたけれど、世の中には、外食なんてめったにしない、という人も少なからずいるのです。僕の親世代、いま70代後半以上くらいになると、外で食べることそのものがイベントになる人もいます。ファミレスって、子どもは大勢見かけるけれど、高齢者ってあまり見ないし。
僕と僕の子どもたちに見えている世界が違うのと同じように、僕と親世代の高齢者に見えている世界も、たぶん違う。
「烏龍茶一杯の注文なのだから、目の前の店員さんにそう言えば済む話だろう!」
人生の長い時間をそういう世界で生きてきた人、しかも、高齢になった、新しいことを覚えたりやったりするハードルが上がっている人がそう言いたくなるのは、わからなくもない。
ただ、実際にそういう人を接客するのは大変なことなのだというのは、冒頭のエントリを読むと理解できます。
そういえば、けっこう最近、「ケンタッキーフライドチキンのセルフオーダーの前で立ちすくむ老人」について書きました。
僕は病院で外来をやってきて、「受診予定日に来てくれず、担当医が不在の時に薬切れで来院し、担当医じゃなくてもいいから、薬だけ出してくれ」とか、そもそも、短期記憶障害で薬を飲んだかどうかさえわからなくなっている、あるいは、毎日のように便秘を訴えて来院する(大腸検査済み)、というような高齢者を大勢みてきました。
もともとの病気よりも、認知機能低下で通院・薬の内服がグチャグチャになっているのだけれど、ひとり暮らしでなんとか自力で生活できていて、身寄りもおらず、とりあえず本人には困っている自覚がない。
周りにすごく親切な人がいれば、医療や行政への橋渡しをしてくれることもあるのだけれど、そこまで他人の人生を背負うのは重すぎるので、「まあ、なんとかやっているみたいだからいいか」ということで、問題は先送りにされ続けていくのです。
僕の若い頃はそれなりに理想に燃えていたので、「ちゃんと受診してください!」と本人に説明・説得していたのですが、今となっては、「説明してもすぐ忘れてしまい、同じことの繰り返し」になるから、少し話を聞いて診察して処方箋を出し、不安定な受診でもとりあえず病院との縁を繋いでおくことを意識しています。
あまりにも危険を感じる場合には、行政やソーシャルワーカー、家族に説明・相談するようにしています。精神科・心療内科に介入してもらうこともあります。
本人を責めたり、言うことを聞いてくれないことにがっかりしたりしても、しょうがないな、と思うので。
ある意味、僕が若い頃に追いかけていた「理想」とはかけ離れてしまっているし、これでいいのかな、これは絶対に「模範解答」ではないよな、というのはわかっているのだけれど。
冒頭のエントリでの先輩の対応というのは、まさに「至極現実的なその場しのぎ」であり、この老夫婦は、同じトラブルをファミレスに入るたびに繰り返すことになるはずです。
ファミレスの忙しい現場で、「現代のサービスについての説明」を認知機能が低下し、頑固になっている高齢者に理解してもらうのは、コストも店員さんの精神的負担も大きすぎます。
というか、理解できない状態の人は、何をどうやってもできない、あるいはすぐに忘れてしまう。
だから「老害」はダメなんだ、いや、個人差の範疇だろこれば、と、いろんな意見があると思うし、僕も全て年齢が理由なのか、認知症などの病気なのか、それとも性格(キャラクター)なのか、は、これを読んだだけではわかりません。
いや、本人を目の前にしても、たぶんわからないと思います。
老夫婦だったら、配偶者はわかるだろう、とか考えてしまいがちですが、夫婦は同じくらいの年齢であることが多いので、一緒に認知機能が低下していたり、昔からこういう人だった、なんて思っていることもよくあります。
僕自身は「コンピュータ以前」の、学会で発表するスライドをフィルムで作ってもらっていた時代に仕事をはじめ、数年後からパワーポイントでの発表可、になったくらいの世代なので、アナログ、デジタルをひととおり知っているつもりではいます。でも、「スマートフォンで長い文章なんて打てねえ」と嘆いては、隣で超高速フリック入力をしている息子に笑われているのです。
僕が20代の頃は、ブラインドタッチができるというだけで、レポートをワープロで書いているだけで、みんなが感心してしてくれた時代だったのに!
歳をとると「老害化」しがちなわけですが、別に若者の邪魔をしようとしているわけではなくて、今までの自分のやりかたと同じことをやっていたら、「常識」のほうが変わって、「それはおかしい」になっていくのだな、と実感しています。
僕はネットに魂を引かれてしまって、過剰に自分の思想を若作りしたがるオッサンになってしまったわけですが、あらためて周りをみると、いま、ネットにこんな長文を書いている人たちも、読んでいる人たちも、ほとんど中高年層になってしまいました。
前回のエントリで、いま、演劇を観にきているのは、何十年も前から観続けている有閑中高年だけで、若い人が入ってきていないのではないか、と書きましたが、ブログなどのネット長文の世界も、たぶん同じなのです。
実際のところ、おそらく普通に生活していて、ファミレスでドリンクバーを理解・納得できないくらいの高齢者に「認知症かもしれないから、病院に行け」なんて、ネットのコメントくらいでしか誰も言わないでしょうし、ある程度理解できている高齢者であれば、「もうああいうファミレスに行くのはやめよう」という解決策を取って、世の中は棲み分けができていくのでしょう。
あるいは、こういうときこそ、何度同じことを聞かれても気に病まない、怒声を浴びせられてもなんとも思わず、同じ説明を繰り返すことができる、AIやロボットの出番なのかもしれません。
これは8年くらい前に書かれた本なのですが、こんな記述があります。
僕が作ったロボットで、もっとも「気持ち悪い」と言われるのは、「テレノイド」である。こんな気持ち悪いものを作り、高齢者に抱かせて実験しようなどと考えた人間は、僕のほかにはいないだろう。
テレノイドは、人間としての必要最小限の「見かけ」と「動き」の要素のみを備えた通話用のロボットである。やわらかな形状をした端末を抱えながら、声を通して相手と話す。対話相手の姿を見ることはできない。一方で、テレノイドを操作している人間は、ロボットに附属するカメラで撮影され、向うからは姿が見えた状態で話をする。
(中略)
複数の施設の協力を得て実験したところ、高齢者はこのテレノイドでの通信を好み、「生身の人間以上(実の家族以上)に親しみやすい」と評価する傾向が、如実にあらわれた。もちろんそれでも「気持ち悪い」と言う人もいるが、大抵の人はテレノイドを使って通話し始めると、夢中になって話をするようになる。これは日本だけでなく、オーストリアやデンマークなど、さまざまな施設で行なったアンケート調査から明らかになっている。
70代〜80代の老人たちは、なぜ自分の息子たちとの対面のコミュニケーションより「テレノイド相手に息子と話すほうがいい」と言うのか。なぜ「かわいい孫やひ孫はまだいいが、50代〜60代になる自分の子どもには会いたくない、テレノイドのほうがいい」と言うのか。
テレノイドを通じての対話なら、家族が内心抱いている「親の世話をするのは面倒くさい」という雰囲気や、不安が表情に出ることもなく、それが親に直接的に伝わることもない。だから高齢者は「テレノイドと話すほうが快適だ」と言うのである。
高齢者には肉親のみならず、デイケアセンターのスタッフや医者、看護師との会話にも気後れする人が多い。「先生に迷惑をかけてしまうのではないか」といった後ろめたさが付きまとい、医者とあまりしゃべらない人も多いのだという。
「人と人とのふれあい」は美化されやすいけれど、実際は接客する側も、される側も、ストレスを感じることは多いのです。
僕も基本的に「ネット通販のほうが気楽」だし。
お客さんが他にいない店で服を選ぶのって、けっこうプレッシャーですよね。もちろん、そんなことない、店員さんの意見を聞きながら買うのが楽しいのだ、という人がいるのも理解はできるけれど。
これからの世の中では、人間の方がロボットよりも安上がりだから、単純労働を人間がやる社会になっていくのかもしれませんが。
あと、この高齢者の反応をみて考えたのが、いまの世の中って、他人をむやみに信用して、言うとおりにしたら騙されて、損をするのではないか、と不安な高齢者が多いのではないか、と言うことなんですよ。
それは、高齢者に限った話じゃないのだけど。
「オレオレ詐欺」(振り込め詐欺)や本人のメリットが乏しい保険や投資商品の契約、通販での異常な量の買い物に、効果が疑問な健康食品など、高齢者の認知機能低下を利用して、一儲けしてやろう、という人や企業は、グレーゾーンまで含めると、かなりたくさんあるのです。
僕だって、スマホに「投資用マンションを税金対策に」とか「インターネットがお得になります!」とか営業電話がかかってきたら、「誰がこの番号教えたんだよ!」とムカつきます。
(ちなみに、知らない番号からかかってきたら、受信せずに、その番号をGoogleで検索してみることをおすすめします)
高齢者となると、ああいうトラップが、もっと頻回に仕掛けられているのです。
ファミレスでも、「目の前の人の言いなりになると、損をさせられるのではないか」という警戒心が出てしまうのは、「今の世の中で、高齢者を狙っている人たち」がやっていることを思うと、当然なのかもしれません。
たぶん、高齢者の新しいシステムへの理解力が急に上がる、というのは期待薄だと思います。
「最適化」の名のもとに、「情報弱者」からお金を巻き上げようとするシステムの利用者が消えることもないでしょう。
高齢者が「まず反発する」のは、「なんでも受け入れる」より、合理的な反応でもあるのです。
ということは、サービスを行う側が、感情を抑制して、自分の心を「AI化」していくしかない。
だが、我が心は、ICにあらず。