いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『ファイナルファンタジー』のタイトルの由来と、失われていく「テレビゲーム黎明期」の記憶


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 この記事を読んで、昔の『ファイナルファンタジー(FF)』のことを思い出していたのですが、初代FFの名前の由来について、坂口博信さんのインタビュー記事を以前読んだのを思い出しました。

「CONTINUE Vol.22」(太田出版)のインタビュー記事「『ファイナルファンタジー』を創った男・坂口博信」より。

(「ファイナルファンタジー」のシリーズ最初の作品「ファイナルファンタジー1(当時のタイトルには「1」はついていないのですが、今回は便宜的につけさせてください)」の開発当時のことを振り返って)


インタビュアー:『FF1』のクレジットを見ると、坂口さんの名前はなくて、スクウェアAチームになっていますね。


坂口:当時のスクウェアはチーム制になっていて、僕らは古株だったので、スクウェアAチームと呼ばれていたんです。最初のAチームは4人しかいなくて、僕と、渋谷さんという女性デザイナーと、石井(浩一。現『FF11』ディレクター)。それにプログラマーのナーシー・ジベリだけ。ほかのチームは15人くらいいたのに、すごく哀しいチームで……(苦笑)。「Aチームは終わったな」とか言われていました。


インタビュアー:なるほど……なぜそんなに少人数だったんですか?


坂口:僕に人気がなかったから(笑)。ちょっと人に対して厳しすぎたんですね。それで、「もう大学を8年間も留年してるし、ファミコンの3Dゲームもうまくいかないし、次のゲームがダメだったら大学に戻ろう」と思っていました。それが『ファイナルファンタジー』というタイトルに。


インタビュアー:まさにファイナル!


坂口:当初は『ファイティングファンタジー』という案もありましたけど、「自分自身のファイナルなゲームにしよう」と思っていたんですね。「これでゲームの仕事は終わりになるかもしれないけど、がんばろう」って。その意図をナーシーに理解してもらって、RPGを作ることにしたんです。


インタビュアー:なるほど。まさしく坂口さんにとっての最後のファンタジーだったんですね!


 いまだ続編が作られ続け、『11』『14』はオンラインゲームの巨星となっている『ファイナルファンタジー』。
 いったい何回『ファイナル』なんだよ!というツッコミも、もはや誰もしなくなりました。

 その後、さまざまな大ヒットゲームを手掛けてきた坂口博信さんを知っている2022年のゲーマーからすれば、「1987年の坂口さんは、そんなギリギリのところでゲームを作っていたのか」と意外に感じるかもしれません。
 そういえば、カプコンが『魔界村』のファミコン版を発売した際、カセットを大量につくる資金が手元になくて、「これは絶対に売れるから!」と社運をかけて街金に高利で借りてカセットをつくった、という話も聞いたことがあります。

 いまや日本のレジェンドゲームデザイナー・堀井雄二さんも、『ドラゴンクエスト』以前はライターとして『月刊OUT』の読者コーナーをやっていたんだよなあ。
 堀井さんは、仕事に使おうと買ったマイコンでゲームにはまり、取材に行ったエニックスのコンテストで自分も応募してみた作品が入賞したのがきっかけで、プログラマー、ゲームデザイナーとしてのサクセスストーリーを歩んでいったのです。
 ジャンプの『ファミコン神拳』をやっていたのも思い出します。

 すぎやまこういち先生も、エニックスの将棋ソフトのアンケート葉書を出したのがきっかけで、ゲーム音楽を手掛けることになったんですよね。

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 誰かが偉大な存在になっていくにつれて、まだ何者でもなかった(というのは言い過ぎかな)時代のことは、忘れ去られ、記憶は書き替えられてしまう。
 ネット以前でも、テレビの普及以降くらいからは、さまざまな記録があるだろう、と思われがちなのですが、オウム真理教事件にしても、2022年の感覚としては「恐怖の殺人集団、カルト宗教」だと思うんですよ。
 でも、1990年代半ばに、テレビで毎日流されていた「オウム報道」は、興味本位というか「オウムシスターズ」とか「尊師マーチ」を茶化したようなものが多くて、オウム信者たちも「ああ言えば上祐」の上祐史浩さんをはじめ、メディアの寵児だったのです。
 もちろん、オウムを賛美していたわけではないけれど、みんな本気で怖がってはおらず、ネタにして面白がっていた。
 そういう「空気感」みたいなものは、時代とともに忘れられていき、今は「オウムは当時から危険視されていた」と思われがちです。

 半世紀生きてきて痛感するのは、僕自身も含めて、人間というのは、記憶を自分の都合のいいように改変しがちで、本人はそれを無意識にやっている、ということなのです。

 僕自身は、テレビゲームの歴史とともに生きてきた、と思っていて、それはとても面白い時代ではあったのですが、「まだテレビゲームやコンピュータがごく一部の好事家たちだけのもの」だった頃の記録や記憶が、どんどん失われ、後世の人々の感覚で改変されていくのが、寂しいのです。
 そうやって変えていくのが「今の時代を生きる人たちの権利」であり、僕自身もそうしてきたのは承知のうえなのですが。


 テレビゲーム業界の人たちの昔のことを思い出すと、人間っていうのは、「子供の頃、学生時代の自分にとっても予想外のこと」を仕事にして生きていくことが多いものだなあ、と考えずにはいられません。
 もちろん、大成功者たちの名前が挙がることは多いのですが、僕自身も「もっとこう、研究者として名を成すような医者になるつもりだったのに、若い頃に人手が足りないからと強引に覚えさせられた仕事で、いまは食べている」のです。
 「夢をかなえる」ことはできなくても、人はけっこう生きていけるし、やっているうちに、できること、やりたいことも変わっていく。
 あらためて考えてみると、こんなに面白い時代を生きてきたのに、僕の人生は物足りないなあ、なんかもっとやるべきことがあったのではないか、なんて、せつなくもなるんですけどね。
 
 僕は結局、「こうなったら自分は幸せなんだ」という人生のゴールを設定する勇気がないまま、「幸せになりたい」と足掻き続けていたような気がします。


 せっかくなので、初期の『FF』について坂口さんが直接語っている記事をもうひとつご紹介しておきます。
 こういう「肉声」って、案外、残らないものなので。
 長い引用になってしまって、大変申し訳ないのですが。


週刊ファミ通』(エンターブレイン)2007/12/21号の記事「坂口博信氏が語る『ファイナルファンタジー』」より。聞き手は浜村通信さんです。

浜村通信いまさらこれを聞くのは、ちょっと照れくさいのですが(笑)。改めて、『FF(ファイナルファンタジー)』を作ったきっかけを教えてください。


坂口博信長年つき合ってきた浜村さんの質問とは思えない(笑)。それは、何度もお話していますが、当時『ドラゴンクエスト』がビジネスとして成功を収めて、「ファミコンRPGが作れる」とみんな気づいたんです。僕もその中のひとりですが、当時は『ヘラクレスの栄光』や『星をみるひと』など、開発中のRPGが4本程度発表されており、『FF』もそうした『ドラクエ』に続く、チャレンジャーの中の1本でした。


浜村:でもファミ通では、『FF』をほかの作品よりも大きく扱っていましたよね?


坂口:ええ。いまなら言っても大丈夫でしょうが、当時、開発中のROMを持って”ファミリーコンピューターマガジン”の編集部へうかがったんです。そしたら、門前払いされて(苦笑)。


浜村:え!


坂口:そんなソフトは扱えないと。でも、ファミ通だけは大きく取り上げてくれたんです。そこは、いまでも本当に恩を感じていますね。


浜村:当時は何人で作られていたんですか?


坂口:僕と宣伝担当の竹村、企画の石井浩一(『聖剣伝説』シリーズの生みの親)と浅井、プログラムのナーシャ・ジベリ、ドット絵を描いた渋谷員子、そして音楽の植松伸夫(『FF』シリーズの作曲家)。立ち上げはこの7人ですね。当時、同じ社内で別のゲームを開発していた田中弘道(『FF11』プロデューサー)のチームは最初から20人くらいいましたから、人気のなさがわかりますよね(笑)。


浜村:不遇な状況から始まっているんですね。


坂口:本当に人気のない……(笑)。僕がついスタッフにきびしく当たってしまうので。でも石井は、竹村が「このチーム、ダメなんじゃない」って言ったことを聞いて、逆にがんばる気になったらしい(笑)。


浜村:それは、このチームではヒット作は作れないという意味だったのですか?


坂口:少人数でしたし、売れないと思ったんでしょう。『ファイナルファンタジー』というタイトルも、これが売れなかったら最後にしよう、籍を残していた大学へ戻ろうという気持ちの表れで、まさに最後のファンタジーという意味でつけていましたから。留年をくり返していたので、大学へ戻ったとしても友だちなどはいないという、本当にファイナルな状況だったんですが(苦笑)。


浜村:そんな”最後”と名づけた作品が、いきなり40万本近いヒットとなるわけですね。


坂口:それが、最初の出荷は20万本の予定だったんです。当時は、ROMの生産に2~3ヶ月かかっていたので、初期出荷イコールそのタイトルの販売本数という状態になる。だから社内でケンカして、「これだけのソフトは二度と作れないから、40万本作ってくれ」と言い張って。億単位の費用が発生するので、会社としてはものすごい冒険だったのに、当時は「金なんかなんとかしろよ」くらいにしか思っていませんでしたね(笑)。でも、あれだけのヒット作になったのは、当時の経営陣が体を張ってくれたおかげですので、いまは感謝していますよ。


(中略)


浜村:続編は『2』などの偶数を作るチームと、奇数を作るチームに分かれるという、ずいぶん変則的な方法にしていましたよね。


坂口:シリーズというのは、『2』で方向性が決まりますよね。その当時は大きく変えたいというのが自分たちの気持ちで、変えていくのが『FF』だ、ということにしたかった。とくに具体的な理由はありませんでしたが、以降にも受け継がれていきましたね。あとは『1』『2』『3』と、同じ機種でも技術の進歩でできることが増えていったので、それを使いこなさないとダメだという思いもありました。もし、技術の進化がなかったら、『FF』の進化もなかったかもしれません。


浜村:『FF』は、ハードの進化とともに、大作になっていくイメージがありましたね。


坂口:『3』のときに、少年ジャンプの鳥嶋さん(鳥嶋和彦氏。元週刊少年ジャンプ編集長で、『ドラゴンボール』などの編集担当も努めた。現集英社取締役)と初めてお会いしたとき、当時の『FF』の何がいけないのか、という話をされました。何でこんなこと言われなきゃいけないんだろうと思ったのですが(笑)、でもそれがひとつのきっかけで、『4』からまた大きく変わりましたね。マンガやアニメの世界で培われてきた表現方法を、スーパーファミコンというハードの性能のおかげで取り込めるようになり、よりキャラクターを立てる演出を使っていくようにしたんです。『4』は逆にキャラを立てすぎて自由度がない、とも言われましたが(苦笑)。そのおかげでハードの進化に合わせて、自分たちの意識も変えていかなくてはという想いが芽生えましたね。


(中略)


浜村:『FF』はつねにチャレンジをして、あとに続く道を、時代を作り続けてきましたよね。


坂口:あの、本当に格好つけるわけじゃありませんが、そのつどそのつど、集まってきたスタッフが優秀だったんです。


浜村:皆さん、いまでも仲がいいですよね。


坂口:そうですね、いち企画でスタートした『FF』だから、いま植松さんと会っても友だちのような感覚です。もともとのメンバーがそういう雰囲気を持っているので、作品にとっていい環境だったんでしょうね。


浜村:坂口さんと一緒に飲んでいると、周囲のスタッフが坂口さんに向かっていろいろ言い出しますもんね。


坂口:「坂口さん、それ間違ってますよ!」って当然のように言いますね(笑)。でも、作り手はどうしても自己満足で作ることに陥りがちなので、言ってくれるほうがいいんです。僕は『FF』のまえの作品で自己満足に陥って失敗したので、開発終盤にはゲームをテストプレイするモニターをチーム内に必ず入れるようにしました。とくに、やり込み系で、言いたい放題の子を選んで。彼らが言うんですよ。「坂口さん、この場所の宝箱、カネかよ」って。ハラ立ちますよねぇ。だから、「いいじゃん、カネで」と返すと、「ダメだ、わかってないこの人」って(笑)。でも、それを聞いて直すことが大切で。100万本売れたら50万人の人が、やっぱりそう感じるんです。そういう子たちってゲームに対してセンシティブなんですよ。いまその子たちは、開発スタッフに採用されて、がんばっていますね。


浜村:『FF』の中で人が育ったんですね。いまでは『FF』は、坂口さんのライバルになったわけですが、どう思われていますか?


坂口:戦国時代だったら、自分の前に現れた敵が息子だったというイメージですね。こいつを倒さないと先に進めないというような。……ライバルとは違って、むしろどんどん強くなっていってほしいです。商品として扱う以上に、作品であってほしいと思う。『FF』に込められた、そのときどきの最新技術で最高峰のものを、唯一無二のものとしてチャレンジして作る精神を貫いてほしいですね。


浜村:なるほど。では、最後に坂口さんにとっての『FF』とは何か。教えてください。


坂口:昔の精神としては、やはり商品ではなくて作品ですね。毎回魂を込めて、制作途中で浮かんだアイデアは決してつぎに取っておかず、すべて注ぎ込む。だから、終わったときは空っぽで、つぎに何を作ればいいのかわからない。でも、そうして自分を追い込むことで、また新しいモノが生まれるんです。そういう精神は、今後の『FF』にも引き継がれていくといいなぁと思いますね。


 こうして語られていることも「語り手にとっての事実」であって、ひとつのゲームができるまでには、いろんな葛藤や諍いもあったのだとは思います。結果を出せば、そのプロセスが美化されるのは、よくあることですし。


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