いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ケンタッキーのセルフオーダーシステムの前で立ち尽くす老人」を笑うな


僕自身は、パソコンを40年くらい使ってきていて、セルフ○○みたいなタッチパネル操作で困ったことはほとんどありません。

これまでなんとか細々と仕事を続けてこられたのは、コンピュータのキーボードに触るのが苦にならない(むしろ楽しい)のと、書類仕事が面倒だけど比較的得意、というのが大きかったのではないかと思うくらいです。
この時代に生まれてきたおかげで、なんとか生きられている。

憂鬱ないろんな予約も今は電話せずにネットでできるものが多くなったし、買いたいものはネット通販で買える。

10代の「何を買うのか値踏みされるのがイヤでレジに並びたくなかった自意識過剰すぎる自分」に、しばらく辛抱すればだいぶラクになるから、と教えてあげたかったくらいです。

マイコン少年からインターネット、パソコン成人になって、いまや老害ブログの番人となってしまったわけですが。

いろんな面で、世の中の製品、商品は、使いやすく、安全性が高くなったのは間違いないと思います。
車とか、昔はけっこう寒い日にフロントガラスに氷が張ってしまって、やかんに沸かしたお湯をかけていた記憶があるのですが、今の車はそんなことはないし、カーナビがあれば、ほとんど地図を見る必要もなくなった。僕のような激烈方向オンチにとってはありがたいかぎりです。昔は「お前、どっちに行く?」と尋ねられて、僕が指したのと反対の道を行くのがデフォルトになっていたくらいだから。

テレビの設定やビデオ録画も、昔は「電気製品が得意な子どもの仕事」で、僕はずっとそれを任されていました。ビデオ録画とか、チャンネルやテープの録画開始位置、録画設定時間が合ってないと失敗する、かなり気を遣う作業だったんですよ。野球中継の延長で、肝心のドラマや映画の録画が途中で終わることもよくあったなあ。当時の映画なんて「テレビ放映待ち」だったから、今みたいに、見逃したらレンタルや配信でみればいい、ってわけにはいかなかったし。

いまや、本当にテレビの設定もハードディスクへの録画も「ほぼワンタッチ」ですからね。スポーツ中継や緊急ニュースでの放送時間変更にもきちんと対応してくれますし。そんなに便利になったのに、今は地上波をほとんど観なくなってしまったのはちょっと残念ではあります。

しかし、こんな「デジタル社会の進化とともに生きてきた」はずの僕でも、自分の子どもたちの「デジタルネイティブ」っぷりを前にすると、全くもって自分が骨を持って踊っている猿になってしまったような気分になるのです。

僕が「学んできた」ことは、彼らにとっては「気がつけばそこにあった」もので、高齢者のITリテラシーが足りないのは、それが必要ない環境で生きてきたから、なんですよね。

僕は必要だからパソコンをいじっていたわけじゃなくて、楽しかったから趣味でやっていただけです。

親にパソコンを買ってもらうときには「将来はコンピュータの時代!」「勉強にも使えるから!」と言っていました。

先見の明があった、というよりは、正直なところ「もっとマイナーなままで、『ホビー』でいてくれてもよかったのに」という感傷もあります。いちばん楽しかったのは、シャープX1とかX68000とかでプログラムを打ち込んでいたり、『ログイン』の新作ゲームの記事をみていたときだったんだよな。

英語ネイティブのアメリカ人に、「日本人が英語を使えないのは、勉強不足だからだ」って言われたら、「あなたたちの母語が英語だった、それだけのことじゃないですか」と思うのと同じくらい、コンピュータやインターネットへの親和性には、世代間格差があるのです。
そして、個々の家庭環境や趣味嗜好によっても、けっこう違う。

もう10数年くらい前の話になりますが、職場の同僚の若い女性と話していたときに「それ、Amazonで買えますよ」と言ったら、「え?あまぞん?南米の?」と言われて驚いた記憶があります。

こちらはつい先日のことなのですが、ニンテンドースイッチで、『スーパーマリオ』の久しぶりの2D新作が出るのが楽しみ、という話のなかで、「今日発売ですよね。仕事が終わったら子どもたちと買いに行きます」「ダウンロード版だったら、今日の0時から遊べたのに」というやりとりがあったんですよ。

そのとき「そうなんですか、でも、ニンテンドーeショップって使ったことなくて、よくわかんないんですよね」と言われて、ほぼ毎週売上げランキングをチェックし、基本的にはダウンロード版を買う(ソフトの入れ換えすら、すでにめんどくさい)僕は内心驚いていたのです。
パッケージ版って、よっぽど安いか、欲しい特典があるときにだけ買うものだと思っていたのに……って。

クレジットカードを持たない主義とか、セキュリティが心配とか、そもそもオンラインに加入していない、とか、いろんな可能性はあるのでしょうけど、世の中の「ネットとかセルフ○○のタッチパネルへの信頼感や親和性」には、まだかなりの格差があるのです。

僕などは、こうやってネットにどっぷり浸かっているし、人と接するよりネット経由のほうが気楽で助かるので、かなり「ネット側」の人間であり、世の中は、こんなにパソコンやスマホに触っている人ばかりではない、ということなのでしょう。

やったことがない新しいものは、よほどの理由か事情がないとやらない、という人は結構多い。

廃課金者がいる一方で、スマホでは絶対に課金しない、という人もいます。

実際、ヤフーニュースとLINEとAmazon、ときどきモンスト、というくらいのネットとの付き合い方をしている人は、けっこう多いのではないでしょうか。

とはいえ、アナログ世代は高齢者が多く、どんどん退場していって、国の政策をあれこれ考えているあいだに、デジタルネイティブの時代がやってくるだろうし、究極的には、「デジタルの力で生き残っているアナログ世代を包摂する」世界になるのかもしれません。

ここで問題になっているセルフのタッチパネルは、ユーザーインターフェースが「使い方を知っている人」によって作られたもので、「わからない人」の状況がわかっていない、というのと、今の世の中、商品が多彩なうえに割引クーポンとか○○セットとか、注文が終わるまでの分岐が多くなりすぎて使いにくくなっている、という問題の象徴なのだと思います。

「○○カード」とか「××ポイント」とか多すぎるよね本当に。何円かしか得にならないのに。
でも使えるとなるとポイントもらわないともったいない気がして慌てて探してしまう。

おそらく、政策が変わったり人々が親切になったりする前に、よりわかりやすくなったタッチパネルや対話型接客ロボットが世界を変えていくはずです。

まあ、常に自分には世界の一部しか見えていないし、自分ができることは、みんなができて当然、だと考えがちではありますよね。
それと同時に、自分ができること、好きなものを過大評価してしまう傾向もあります。


これは余談ですが、今のネットでの他人を騙して稼ごうとしている人や組織の数、認知症高齢者の通販・生命保険トラブルの多さを思うと、ITへの適応が難しそうな高齢者は無理に使おうとしない、させないほうが良いのではなかろうか。


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