いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

JAXAの岡田さんと共同通信社の記者のやりとりが「失敗」した理由

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 あの打ち上げが「失敗」かどうか、ということよりも、この「失敗」という言葉にこだわった共同通信の記者の態度が悪く、捨て台詞が不快だったので、この記者が批判されている、というが実際のところだと思います。

 少なくとも、予定どおりの打ち上げができなかったのだから、今回の打ち上げに関しては「成功」ではないのは確かです。
 JAXAの岡田さんも、今回の中止に関して、「申し訳ないと思っているし、われわれもものすごく悔しい。一緒に頑張ってきた人に残念な思いをさせてしまった」と仰っているわけですし。


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 この映画のなかに、「日本のロケットの父」と呼ばれる、糸川英夫さんの、こんなエピソードが出てきます。

 糸川さんは、うまくいかなかった事は「失敗」じゃなくて「成果」なんだと常に言っていた。


 「成功」のためには試行錯誤していかざるをえないし、「失敗をおそれて挑戦しない」のならば、科学や技術は前には進まない。
 もちろん、多くの人命が失われた、スペースシャトルの事故を「成果」だとは言えないでしょう。
 あんなことは、誰も起こってほしくはなかったはず。
 その一方で、あの事故から得た教訓や新たな課題もたくさんあったのです。
 あの事故の経験で、もしかしたら、将来起こっていたかもしれない、大勢のお客さんを載せたシャトルの事故が未然に防げたのかもしれません。

 まあ、そういうのは「原爆の威力のおかげで戦争が早く終わって、太平洋戦争の犠牲者は結果的に減った」という主張と同じで、あくまでも仮定の話でしかありませんし、じゃあそれをシャトル事故や原爆の犠牲者や遺族の目の前で言えるのか?僕には言えそうもありません。

 糸川さんの言葉には、研究者として失敗を恐れずに挑戦していこう、という姿勢があらわれているのですが、偉大な「日本のロケットの父」の言葉は、JAXAに「失敗という言葉を口にしづらい文化」を生んでしまったのではないか、とも思うのです。

 あくまでも仮定の話ですが、「そうですね。今回は予定どおりの打ち上げができず、失敗してしまいましたが、原因をしっかり精査して、次に備えていきます」と、この記者に答えていれば、この話はそれまで、だったような気がします。
 実際に起こったことは何も変わらないし、打ち上げが延期されたことに関しては、ほとんどの人は自分がスポンサーでも関係者でもないし、犠牲者が出たわけでもなく、「ちゃんと安全装置が働いてくれたのは良いことだし、今回はしかたがない」くらいの感想でしょう。

 この記者は、岡田さんに対して、「『失敗』という言葉を避けて責任逃れをしている政治家」のように感じ、ヒートアップしてしまったのではなかろうか。
 こういう会見で質問をする記者ですから、それなりにJAXAや日本の宇宙開発の歴史や姿勢、ロケット打ち上げのリスクや中止の頻度などについて知っているはず、だとは思うのですが。
 
 僕はこのやりとりを読みながら、「それは『失敗』ではないのですか?」というところまでは、やや不躾ではあるけれど、一般的な視聴者の感情を代弁し、わかりやすい答えや反応を引き出す記者会見での質問としては、問題視するほどのものではないと感じました。
 
 NHKの記者だった池上彰さんが書いておられたのですが、記者会見での質問というのは、その記者自身はわかっていることでも、「多くの人が疑問に感じていたり、知りたいと思っている(であろう)こと」を、自分も知らないふりをしてぶつけることも多いのです。
 
 「これは『失敗』ではないんですか?」という質問に対して、「宇宙開発の現場にとって、うまくいかなかった事は『失敗』じゃなくて『成果』なんだ」と定跡どおりに受けて、大団円、なら想定通りだったのでしょうけど、この記者は、「相手が言い逃れをしようとしている」と感じたのか、自分の正しさをアピールしようと思ったのか。
 誰が、とまでは言いませんが、記者会見の場を「その記者自身の存在アピールの場」だと思っている人っていますよね。


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 ひろゆきさんがこう言っていて、「ネット上では『伝家の宝刀』出た!」と喜んでいる人もいるらしいのですが、この「失敗」という言葉にこだわる記者の態度こそ、僕には「ひろゆきチルドレン」に見えました。
 せっかく記者会見に出ているのだから、自分の爪痕を残してやろう、とか、わかりやすく「論破」してやろう、という傲慢さ。
 相手の話をまともに聴こうとせず、議論の「勝ち負け」を観客に印象付けることだけを目的とした粘着。

 ひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね」の、「それ」って、実際は千差万別だし、ワンフレーズの心地よさや流行に引きずられて、大事なことを見落とす要因になっている、と僕は思っています。
 
 岡田さんは、ちゃんと「説明」しているわけです。
 正直、「今回は失敗ですが、原因を精査して、次また頑張ります!」みたいな、打たれた先発投手の降板コメントみたいなので済ませようとすれば、こんな面倒なことにはならなかったのかもしれません。

 この記者は勉強不足のフリをして、専門家からわかりやすい説明を引き出そうとしているのかと思いきや、本当に過剰な自己アピールと読解力不足なだけの人だった、というオチになってしまいました。

 ただ、「失敗」という言葉へのJAXAの伝統的な忌避、というのを知らず、「まわりくどく責任回避しやがって」と苛立ち、「ひろゆき的評価」を得ようという野心に駆られた記者の気持ちも想像はできるのです。
 そして、こういう態度が人々から酷評されるという世界は、健全に近いとも思うのです。

 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

 このやりとりをきっかけにして、「ロケット打ち上げの『成功』と『失敗』とは?」について、詳しい人が解説してくれてもいるわけですし、多くの人が「成功」と「失敗」について考えたはずです。

 1938年にドイツで行われたミュンヘン会談(イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの四国会談)で、当時はチェコスロバキア領であったズデーテン地方ナチス・ドイツに割譲されました。
 その後の歴史を知っている僕は、その「融和政策」が結果的に大失敗に終わったと判断しています。
 しかしながら、当時のイギリスでは、これによって戦争の危機が回避された、と当時のチェンバレン政権への評価が上がったといわれています。
 マンハッタン計画原子爆弾の開発のように、ひとつの研究としては「成功」だけれど、その後の人類にとっては、その功罪の評価が難しいものもたくさんあるのです。

 スティーブ・ジョブズ松下幸之助も「失敗」を糧にして、大きな成功をおさめました。
 彼らにとっての「失敗の経験」は、結果的には「成功の要因」になったのです。

 先進的な移植手術を試みて、結果的に亡くなった患者さんもいます。
 そういう「失敗の経験」を積み重ねることによって、医療や技術が進歩し、より多くの人が助かるようになった。
 それは大局的にみた「成功」である一方で、進化のプロセスで亡くなった人がそれで生き返る、というものではありません。


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 『失敗の本質』という本は2023年に読んでも十分に参考になると思うので、おすすめしておきます。


 この共同通信社の記者も、批判にさらされているわけですが、これを今後の仕事や人生に活かせれば、この経験も「成果」として語れる日が来るはずです。

 失敗しない最良の方法は、何もしないこと。
 でも、年を重ねてきて後悔してしまうのは「やって失敗したこと」じゃなくて、「やらずに諦めてしまったこと」ばかりなんですよ。


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