いつか電池がきれるまで

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「佐藤天彦九段、マスク不着用で反則負け」で考えたこと


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 この話、最初に読んだときには、反則負けになった佐藤天彦九段の不注意は気にはなるものの、対戦相手だった永瀬拓矢王座は勝負に厳しいというか、気になるんだったら、直接(あるいは、記録係などを通じて間接的にでも)指摘すればいいのに、と思いました。

 名人への挑戦者を決める、名人戦のA級順位戦って、まさに将棋界の最高峰の勝負であり、「A級棋士」であることそのものがステータスなのです。
 昨年、あの羽生善治さんが、長年維持していたA級から「陥落」したことが、大きな話題にもなりました。

 将棋ファンとしては、「せっかくの対局に、こんな形で決着がついてしまうのは残念」ではあるし、「佐藤天彦九段も思考に集中していて忘れていただけの可能性が高そうだから、この裁定は厳しすぎるのではないか」とは思うのです。
 ただし、「事前に周知されていたルール通り」であるのもまた事実ではあります。

 あれこれ勝手に想像してはいけないな、という気はするのですが、佐藤九段が「これまではそういう『一発アウト』はなかった」と仰っているということは、熟考しているときには、マスクを外しているのを忘れてしまっていたことが、これまでにもあったのかもしれませんね。

 そんなの何十分も忘れるものだろうか、と言いたくもなるけれど、プロ棋士というのは一手を指すのに何時間も熟考することは珍しくはない「超人」たちであり、僕は「わざとじゃなくても、こういうことはありうるだろうな」と思ったのです。

 ただ、永瀬王座の立場になってみると、「目の前にマスクを外し続けている人がいる」というのは、心穏やかならぬものがあったのかもしれません。
 マスクをし直すのを忘れるくらいの集中力があるのが棋士なら、目の前の人がマスクをしていない、という状況では、気になって、将棋に100%集中することができず、それに不公平さを感じるのも棋士、という可能性もあります。


 思えば、もう2年半以上も「マスク生活」をしてきて、僕自身も、エレベーターなどで「マスクをしていない人」と居合わせると、「えっ?」という気持ちになるんですよ。
 政府の方針としては、屋外や会話がない状況では、マスクを外して生活するのを許容してきているのですが、僕はまだ、「マスクをしていない人」を見かけると「あの人、だいじょうぶかな」「話が通じない人なんじゃないか」と少し不安になるのです。

 
 この「佐藤天彦九段の反則負け」には、なんだかスッキリしないところはあるのですが、現時点ではこれがルールである以上、それに従うのは致し方ない。そして、マスクに関するルールは、これをきっかけに、見直していくべきだと思います。

 
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 歴史に残る「強い棋士」のひとりである大山康晴十五世名人は、勝負に厳しく、「番外戦」を駆使したと言われています。

「番外戦」とは、Wikipediaによると、

盤外戦(ばんがいせん)とは、ボードゲームにおいて、盤上の勝負とは別に、対局前や対局中に行われる心理戦のことを指す。

主として、対局中の行動によって相手の集中力を妨げたり、心理的なプレッシャーを与えたり、対局の前に苦手意識や劣等感を植え付けたりして、勝負で優位に立つ手法がある。このような心理戦は、軍事や外交、ビジネスでの交渉でみられるものと類似している。


 というものなのですが、佐藤天彦九段の「マスク外し」は、永瀬王座にとっては「集中を乱される行為」であり、「番外戦」のように感じたのではないか、とも思うのです。

 だからこそ、今回の「30分待って、一発退場を狙った告発」に踏み切ったのかもしれません。
 あるいは、「相手がそれでこちらの集中力を削ごうとするのであれば、こちらも勝つためには容赦しない」と判断したのか。


 将棋や囲碁、チェスのようなプロがいるボードゲームの世界や、プロスポーツの世界では、「フェアプレー」が推奨される一方で、「お互いに勝つために死力を尽くすからこそ面白い」という面もあります。
 もちろん、ルールの範囲内で、ということにはなりますが。

 「勝たなければ上に行けない、未来は開けない」勝負の世界であり、弱かったら見向きもされない。
 にも関わらず、観客、あるいはプレイヤーには、「じゃあ、ルールの範囲内であれば、勝つために何をやってもいいのか?」と問いかけたくなる場面も少なからずあるのです。
 スポンサーやファンがいるからこそ成り立っている「興行」でもあります。


 現在、2022年の時点では、「人間の名人でも、コンピュータ将棋に勝つのは難しい」というのがコンセンサスになっているのですが、2010年代半ばには、「人間vsコンピュータ」の『電王戦』が、大きな盛り上がりを見せていました。


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 第3回までの通算対戦成績は、人間側(プロ棋士)の2勝8敗1引き分けと、コンピュータが人間を圧倒しているのです。
 ところが、最後の開催となった『FINAL』では、斎藤慎太郎五段がApery、永瀬拓矢六段(当時)がSeleneという強豪コンピュータ将棋ソフトを連破し、人間側の意地を見せています。
 2015年に行われた『電王戦FINAL』では、「人間側が対戦相手のコンピュータ将棋を研究し尽くして、その弱点をついていく」という、「人間対人間」のタイトル戦のようなやりかたで、プロ棋士たちは「勝ちにいった」のです。


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 ちなみに、この第2局は、『電王戦』の中で唯一、人間が後手で勝った将棋でした。
 永瀬王座の「反則勝ち」ではありましたが、すでに永瀬六段の勝ちで大勢が決していた状況で、事前の対局トレーニング時に見つけていたSeleneのバグを引き出してみせて反則負けに追い込んだ、という容赦ない勝ちっぷりでした。
 
 今回の佐藤天彦九段との対局においても、「勝負に対して、決して妥協しない姿勢」は貫かれていた、とも言えるでしょう。

 厳しすぎるのではないか、楽しみに見ていた人たちはがっかりしたのではないか、とは思うのだけれど、こういう個性的な勝負師の存在が、人間がやる将棋を面白くしてもいるのです。
 そのくらいの厳しさがないと、生き残っていけない世界でもあるのでしょう。

 「強さ」だけではコンピュータには、もう敵わない。
 そうなれば「人間ドラマ」を見せるのが「人間プロ棋士」たちの強みにならざるを得ない。

 A級の順位戦は、棋士なら誰しも勝ちたいはずです。
 A級にいなければ名人には挑戦できないし、棋士としての格付けに直結する棋戦ですから。
 とはいえ、狭い将棋サークルの中で、こんな毅然とした(あるいは容赦ない)姿勢でルール遵守を主張した永瀬王座と、中途半端に仲裁せず、「佐藤天彦九段の反則負け」を宣告した将棋連盟のブレなさには、支持した差が半分、もうちょっと丸く収めることができなかったのか、という残念さが半分、といった感じでした。


 逆に、このケースはあらかじめ決められた「ルール」があっただけ救われている、とも僕は思うのです。
 これから、新型コロナウイルスがどんどん「風邪やインフルエンザのような存在」になっていくなかで、「マスクをめぐるトラブル」は、増えていくだろうから。
 そして、その大部分は、落とし所もなく、お互いに不満を積もらせていくだけ、になっていく可能性が高いのです。
 それはいつか、歪な形で「暴発」するかもしれない。
 過剰なまでに「自粛」してしまったところから、どうやって「コロナ以前」に戻っていくのか、あるいは、もう戻れない(戻らない)のか。
 
 今から100年後の日本人もみんなマスクをしているとは考えがたいのだけれど、「マスクをしていない人への違和感」が薄れていくには、まだまだ時間がかかりそうです。


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