いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『緩募:「煮詰まった中年男性」の気分転換の方法』その後の話


fujipon.hatenablog.com


 このエントリを公開したのが2022年9月27日。あれから20日くらい経って、季節はすっかり秋になってしまいました。
 僕自身はどんな感じかというと、なんだかあまりスッキリしないというか、好調とは言い難いけれど(しかし、これまで50年生きてきて、「今日は調子がいい!」と思ったことは一度もないような気がする)、なんとか生きて、働いている。自分の年齢を考えると、時間を大切にしなければ、と焦りながらも、次の給料日まで、なんとか俺の身体と心よ頑張ってくれ!と昔テレビで観た『キャプテン翼』の三杉くんのような心境にもなっています。あらためて考えると、小学生の三杉くんにあんなに無理させるなよまわりの大人。


 さて、冒頭のエントリには、僕が書いたものとしては珍しく、少なからぬ反応をいただいたので、ご紹介しておきたいと思います。
 なんのかんの言っても、こういう「中年の焦燥」みたいなものは、僕だけに訪れるものではない、はずだから。
 ちなみに、ネットに公開された時期が早いものから順番に並べています。


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 皆様、本当にありがとうございます。
 こうして反応してくださる方のなかには、僕にとっては長年の「ネットを通じての盟友」もいて、ホームページビルダーで個人サイトをつくり、Read Me!の順位に一喜一憂していた頃のことをちょっと思い出しました。あの頃は、少しでも画面に表示できる情報量が多くなるように、細かい字が表示できるディスプレイのパソコンを選んでいたけれど、いまはすっかり老眼で本を読むのもつらいことがあります。パリとバリがわからなくて(というか、地名であれば文脈的にわかるけど、人名とかはやっぱり眼鏡を外さなきゃならない)、あーなんかめんどくさいなあ、と思ってしまう。どっちでもいいことをどっちでもいいと思えないのが、僕という人間のめんどくささであり、ある種の個性でもあったような気もします。

 こうしてご紹介させていただいたエントリを読んでありがたかったのは、「ほらもっと元気出せよ!お前はまだ生きてるんだから!」という松岡修造さん系の励ましの言葉ではなく、それぞれの方が「共感」してくれて、その人なりの切り口で語ってくださったことでした。
 僕の人生は良いことばかりではないけれど、悪いことばかりでもない。
 そして、人生に喜びとか悲しみのような起伏をつけるために、プロ野球チームを応援したり、馬券を買ったり、株に投資したりしているけれど、結局のところ、自分の人生のアクセントを「自分の力ではどうしようもないところがあるもの」にアウトソーシングしている、とも言えるんですよね。
 最近は、季節の変わり目を過ぎたおかげか、少し精神的にも落ち着いてきているのですが、それは僕自身が何かをしたり、考え方を変えたからというよりは、新井さんがカープの監督になったり、秋華賞が案外順当な結果におさまったり、ソシオネクストの株価が予想外に上がったりしたおかげ、でもあります。なんかもっと「自分がやるべきことをやれ」って感じですよね。『自省録』を読み直せ、と。でもまあ、あれほどの哲人皇マルクス・アウレリウスでさえ、あんなふうに同じことを何度も自分に言い聞かせなければならなかったのか、と僕はあの本を読むたびに、「人間の根源的な弱さ」みたいなものにちょっとホッとするところもあるのです。

 id:inujinさんのエントリを読んでいて、締め切り前にホテルに缶詰めになって(閉じ込められて書いて)いた筒井康隆さんを編集者が訪ねたら、どうしても筆が進まなかった筒井さんが「ホテルの風呂を一生懸命に磨いていた」という話を読んだのを思い出しました。
 焦燥感にさいなまれているけれど、どこから手をつけていいのかわからない、というときには、「とりあえず他人に迷惑がかかりにくくて、達成感がある単純作業に没頭する」というのはひとつの手なのかもしれません。


fujipon.hatenablog.com


 これは2年半前に書いたものなのですが(結局、僕はずっと同じようなことをグダグダ言っている、というのもよくわかりますね)、「お金を稼ぐため、積みゲーを増やすためだけに生きている」というのは、「本人にとっては不本意ではあるが、社会におけるひとりの人間の生き方としては、少なくとも反社会的な行為に奔るよりもずっとマシというか健全」ではあるのでしょう。

 あと、僕自身、最近「ネット疲れ」というか、あまりにも多くの人の「自分の正しさ」に触れることに飽きてきた、というのがあって、こうしてネットに書く量も極力減らしているのです。
 でも、僕はこうして書くことが好きで、おそらく自分にとって人生で数少ない「やっていて楽しくて、他人への迷惑度が低いこと」なので、あんまり自分で「ネット断ち」とか「あまり書かないように」とか意識せずに、書きたいときには書けばいいか、というのがいまの心境です。プロスポーツの結果とかギャンブルとかネット上の他者同士の諍いは僕にはコントロールできないけれど、自分が書くものは、とりあえず自分で決められる。いや、自分で決められないからこそ興奮するし、気分転換になる、という面もあるんですけどね。まあ、何事もバランスなのか。

 一周回って、結局、とりあえずこれまでと同じことをできる範囲でやっていく、という、どうでもいいところにいまは着地しているわけですが、こういうのが凡人の思考、というものなんでしょうね。最近つくづく思うのは、僕は「どういう状態や成功が自分にとっての幸せなのか?」を自分で定義できないまま、この年齢まで「幸せになりたい」と漠然と願うだけだった、ということです。ゲームクリアの条件がわからないまま、あるいは、それを決められないまま、ただ、レベルを上げ、目の前のクエストをクリアしようとしていた。そしていま、物語が完結しそうもないまま、「サ終(サービス終了)」が運営から発表されて、途方に暮れている。
 
 まだまだ、が半分、所詮こんなものだよな、が半分。
 正直なところ、抑肝散と補中益気湯とベルソムラには感謝すべきなのでしょう。人間って、悲しいほど有機物だし、化学物質の効果には抗えない。悩むより、薬に頼ったほうがラクなことも多いよ。若い頃はそういうのは邪道のような気がしていたけれど。

 そうそう、先日、3年ぶりくらいに舞台を観にいきました。阿部寛さん主演の『ヘンリー8世』。何年か前にコロナで延期になった公演の再演だったんですが、スターの存在感って凄いねやっぱり。そして、シェイクスピアって、こんなモヤモヤする戯曲を書く人だったのか、と、シェイクスピアに興味がわいてきました。まだまだ、僕の好奇心も枯れ果ててはいないし、やりたいことも、なくはない。どうで死ぬ身の一踊り。


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