いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

タイキシャトルに救われた日のこと


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 タイキシャトル逝去。
 28歳というのは競走馬としては長生きだし(というか、「寿命」まで生きられる馬のほうが稀な世界だ)、最期も安らかなものだったとのことなので、寂しさとともに、なんだか穏やかな気持ちにもなっている。
 しかし、28歳というのは、僕よりもずっと若かったのだな、タイキシャトル。僕の子どもでもおかしくないくらいの年齢だ。
 ずっと競馬をみていると、人間よりもずっとパラダイムシフトというか、世代交代や流行の血統が早いことを思い知らされる。
 僕が競馬をはじめた30年くらい前は、『ダービースタリオン』でいちばん種付け料が高かったのは「ノーザンテースト」だったのだが、いまや、そのノーザンテーストの牡系はほとんど残っていない(正直、「ほとんど」なのか「まったく」なのかさえ自信がない)。
 サンデーサイレンスブライアンズタイムトニービンの時代があって、ディープ、キングカメハメハハーツクライ産駒が活躍し、今はまた種牡馬も戦国時代に突入している。トニービンの牡系はほぼ絶え、ブライアンズタイムの牡系も厳しい状況だ。ナリタブライアンがもう少し長生きしてくれていれば、とも思うが、ナリタブライアンが遺した子供たちの成績を考えると、それも、かなり可能性が低い「たられば」かもしれない。

 この馬が活躍していた1997年から98年というのは、僕が競馬をはじめてから、いろんな知識を得て、いちばん競馬に熱中していた時期でもあった。タイキシャトルは最初、ダートで活躍しており、「ダート馬が芝で通用するのか?と思っていたのだが、芝路線に向かってからも連戦連勝。3歳時に菩提樹Sでテンザンストームの2着に敗れてから、引退レースの4歳時(現在の馬齢基準で)のスプリンターズSで、まさかの3着に敗れるまで、本当に「無敵」だった。3歳秋にマイル路線で活躍していたときに、主戦の岡部騎手が先約があって乗れなかった際、代役で騎乗した横山典弘騎手が「岡部さんズルいよ。こんなに楽に勝てる馬に乗っているなんて」と勝ったレース後に言っていた、という伝説もある。真偽は不明だが、そのくらい圧倒的な強さを感じさせる馬だったのだ。スプリンターズSで3着に敗れるまでは、テンザンストームが「タイキシャトルに勝った唯一の馬」としてネタにされていたのを思い出す。

 「馬優先主義」で競馬界を席巻していた、藤澤和雄調教師、岡部幸雄騎手の最高傑作ともいえるタイキシャトル
 競馬に夢中になっていて、年齢が近い武豊騎手には「いい馬ばかりに乗って、みんなにちやほやされているいけ好かない天才ジョッキー」という偏見があった僕は、藤澤・岡部・タイキシャトルを心から応援していたのだ。
 今は、ずっと「競馬界の第一人者」という責任を背負いつつ、そのプレッシャーを外部には感じさせない武豊騎手の精神的・技術的な凄さに心底魅せられているし、応援し、馬券も買っているのだが。
 しかし、晩年の岡部さんといい、今の武豊さんといい、僕が応援したくなるようなベテランになってから好きになると、馬券的にはけっこうキツイことも多いのは事実ではある。それでも、先日のダービーのドウデュースのように、武さんが大きなレースに勝つと、なんだか競馬が華やぐ。


 僕にとって、タイキシャトルのレースのなかでいちばん記憶に残っているのは、1998年の安田記念だ。
 といっても、このレースはリアルタイムで観たわけではない。
 僕はまだ若手で、その日曜日は病院で日直にあたっていたのだ。
 その病院の休日当番や当直はとにかくきついことで有名で、急患は断らない、何科でもとりあえず診る、という方針だった。
 当直医は内科外科1人ずつだが、とりあえず内科の医者が呼ばれることが多いし、何かあれば各科のオンコール(電話で相談を受け、必要時には病院に来ることになっている医者)に連絡して良いことにはなっていたものの、よほどのことでなければ連絡しない、というのが慣習になっていた。ただでさえ医者が1人、という科もあったので、当直でも全部丸投げしたら、その科の医者は死んでしまう。

 ああ、今日は安田記念なのにな……と思いながら、僕は前日に場外馬券売り場で勝った馬券を横目に家を出た。
 当時はまだ、スマートフォンでリアルタイムにオッズを確認して締め切り直前に購入、などということはできなかったし、仕事中に電話投票というのもさすがにダメだろう、と判断していた(そもそも、そんな当番だから、馬券を買う時間もない可能性もある)。
 
 朝、天気予報をみたら、東京は雨だった。しかも、けっこう強い雨
 自分が住む地域よりも、東京(府中)、中山、京都、神戸の天気のほうが気になる競馬者。

 うわー雨か……荒れるかなこれは……
 雨が降って、馬場のコンディションが変わると、予想は難しくなるし、意外な結果になりやすい。
 でもなあ、タイキシャトルは、ダートでも走っていたし、なんとか……
 とはいえ、1番人気の馬から堅め(配当が低め)の人気どころの馬券を買っていた僕にとっては、不安要素ではある。


 その日の日直は、ひたすらハードだった。
 呪われているかのように搬送以来の電話がかかってきて、外来は患者さんで溢れていた。
 外科の日直の先生と2人で手分けして診察していったが、いつ終わるか見当もつかず、やっと少し途切れたかと思った瞬間に救急搬送依頼の電話がかかってきて打ちのめされた。
 MRIを撮影する部屋に患者さんを運び込んで時計をみて、「ああ、そろそろ安田記念の発走だな……」と思った記憶がある。
 当時はレースの結果をネットで検索したり、レース動画をJRA(日本中央競馬界)のホームページで見たりということはできず、仕事を終えて、家で録画を視るしかなかったのだ(結果だけならJRAのテレフォンサービスがあったのだけれど、それはさすがに味気ない)。

 結局、交代の時刻を3時間くらい過ぎて、なんとか一区切りつけ、ようやく家にたどり着いたのは、21時くらいだったと思う。
 明日も朝から仕事か……と、疲れ果て、投げ出したい気持ちになっていた。

 シャワーだけ浴びて、安田記念の録画を再生した。
 6時間くらい前の東京競馬場は雨模様、というか、かなりの雨量で、馬場はドロドロ。芝レースでも馬が走ると泥が跳ねあがる、そうそう見ないレベルの不良馬場だった。

 これは……いくらタイキシャトルでも、この馬場だと、何が起こってもおかしくないな……なんでこんなレースを買ってしまったんだ……

 いや、結局買うんですけどね、雨が降ろうが槍が降ろうが。
 それでも、「堅い馬券や本命に賭けるのはハイリスクローリターンなレース」であることは間違いない。


 そして、ゲートが開いた。


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 ずっとモヤがかかったような画面で、中段から競馬をすすめていたタイキシャトル
 いくら最強マイラーでも、この荒れた不良馬場で、いつもの強さを見せられるのか?
 うーん、いつもより行きっぷりが悪くないか?


 最後の200m、タイキシャトルが外から豪快に伸び、2着のオリエンタルエクスプレス以下を一気に突き放したのをみて、僕は身震いしました。
 「ああ、本当に強い馬は、ドロドロの不良馬場でも、こんなに強いんだ……」
 2着のオリエンタルエクスプレスとの馬券を持っていたことも幸運でした。この年の外国馬のなかであんまり人気なかったんですよね、オリエンタルエクスプレス。外国馬でこんなに人気ないんだったらタイキシャトルの相手に入れておくか、と買った最後の1頭がハマってくれた。
 

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 死ぬほどくたびれた日を、タイキシャトルが救ってくれたのです。
 あのドロドロ馬場での激走は、ずっと忘れられません。

 血統的にも、重い馬場は少なくとも苦手ではなかった可能性はあります。
 のちに日本調教馬としては2頭目の海外G1制覇も成し遂げていますし(ジャック・ル・マロワ賞)。
 でも、その直前に、武豊騎乗のシーキングザパールが、日本調教馬初の海外G1勝ちを成し遂げていて、「岡部さんもタイキシャトルも『一番乗り』しそこねたな……これも武豊か……」と思ったのです。

 結局、海外ではこの1戦だけで、帰国後、秋にマイルチャンピオンシップを圧勝し、圧倒的な人気で迎えたスプリンターズSで、この日の全レース終了後に引退式の予定だったのに、マイネルラヴシーキングザパールの3着に敗れてしまいました。スプリンターズSは、なんか太く見えたんだよなあ……でも、タイキシャトルだから大丈夫、だと思っていたので、ひどく落ち込んだ記憶があります。馬券的にも、せめて2着なら……という感じだったのですが。
 まあ、そんなオチも含めて、僕にとっては忘れられない馬でした(あの引退レースのスプリンターズSを視た日は絶句したけど)。


 タイキシャトルも、メイショウボーラーウインクリューガーというG1馬の父親となりましたが、種牡馬としては期待ほどではなかった、とも言えます。

 でも、この馬の強さの記憶というのは、あのドロドロ馬場での激走とともに、僕のなかではずっと活き続けています。
 僕が生きているかぎり、あの日の身震いは、忘れない。
 血を残せなくても、記憶を遺せるだけでも、すごいよね。


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ウマ娘』で、タイキシャトルのことを知り、現役時代のレースをはじめて観た、という人も多いのではないでしょうか。
僕が競馬をはじめたあとに、「伝説」として、TTG(トウショウボーイテンポイントグリーングラス)のレースを観たように。


タイキシャトルは、あの日、本当に強い馬というのを僕に見せてくれたと思っています。
まあ、そんな馬が引退の花道をみんなが期待したレースでアッサリ負けちゃうのも競馬、ではあるんですけどね。

岡部さんも藤澤先生も引退しちゃったし、僕ももう半世紀生きました。
それでも競馬は続くし、新しい人生もドラマも生み出され続けています。

競馬と一緒に、僕はまだ生きている。


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