いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『いつも「ここにいちゃいけない」気がする』人間として、50年間生きてみました。

anond.hatelabo.jp


 『はてな匿名ダイアリー』をみていると、ときどき、「これは僕が書いたのではないか」と思う記事があります。
 この『いつも「ここにいちゃいけない」気がする』は、まさにそのなかのひとつです。

 僕自身、親の仕事の都合で子供の頃は何度も転向しましたし、高校も大学も昔からの知り合いとは切り離される場所に行くことになりました。
 仕事をはじめてからも、医局人事で数年ごとの転勤を繰り返したり、研究生として臨床を離れたり、仕事を休んでいた時期があったりして、思えば、2~3年周期でリセットし続けているんですよね。
 実際にそういう生活をしていると「居場所がない」「地元や長年の友人・知人がほとんどいない」ことへの寂しさはあります。
 この年齢になっても、転校先の小学校で「地元のお祭り」で盛り上がっている同級生たちに「のれなかった」ときのことを思い出します。

 その一方で、僕にはリセット癖があって、あまり長く同じところにいると、自分に対する周囲の期待や嫌悪感が蓄積していくのがとてもつらいのです。大事な人で、嫌われたくないから、ちゃんと接していたい。それがどんどん、プレッシャーになってくる。
 

 冒頭の『はてな匿名ダイアリー』を書いている増田さん(『匿名ダイアリー』の筆者)には、「僕もそんな感じで50年くらい生きているし、人生というやつを俯瞰してみれば『絶対的な居場所がある人間』なんていなくて、『居場所がある』と本人や周囲が信じているかどうかだけではないか」と思うんですよ。

 もう50歳のオッサンにもなって、今更なにを言っているんだ、という感じですし、実際のところ、年を重ねていくにつれ、こういう「どこにも自分の居場所がない」という感情は薄れてきたように思います。
 それは、克服した、というより、もうどうでもよくなった、というか、どうせそんなに遠くないうちに死んじゃうし、というのも大きい。

 昭和天皇崩御されたとき、誰かが高校の寮で「天皇が死んだぞ!」と叫んでいたのを思い出します。
 世界、というより世間はいろんなものを「自粛」していて、これから日本はどうなるんだろうな、と思いながら、ずっと「昭和の思い出番組」がテレビで放送されているのにくたびれていました。

 実際は、昭和天皇崩御されても、安倍元総理があんな形で落命されても、世界はそれなりの形で続いています。
 ましていわんや、あなたや私をや。

 大概の人は「嫌われている」どころか、「どうでもいいと思われている」だけですし、それはそれで救いでもある。


 これを読んでいて、僕はこの本のことを思い出しました。

fujipon.hatenadiary.com


 タイトルにもあるように、V・E・フランクルさんは、この講演のなかで、「生きることを肯定する」という立場を貫いておられます。
 強制収容所という「絶望」のなかで過ごし、奥様をはじめとする多くの家族を失ってもなお、「生きること」の素晴らしさを訴えかける人がいる。
 それだけでも、僕などは圧倒されてしまいます。
 この本のタイトルが、単に『人生にイエスと言う』ではなく、「それでも」という言葉がついていること、そしてこの「それでも」の「それ」が指すものは、とても「重い」のです。

 あるとき、生きることに疲れた二人の人が、たまたま同時に、私の前に座っていました。それは男性と女性でした。二人は、声をそろえていいました、自分の人生には意味がない、「人生にもうなにも期待できないから」。二人のいうところはある意味では正しかったのです。けれども、すぐに、二人のほうには期待するものがなにもなくても、二人を待っているものがあることがわかりました。その男性を待っていたのは、未完のままになっている学問上の著作です。その女性を待っていたのは、子どもです。彼女の子どもは、当時遠く離れた外国で暮らしていましたが、ひたすら母親を待ちこがれていたのです。そこで大切だったのは、カントにならっていうと「コペルニクス的」ともいえる転換を遂行することでした。それは、ものごとの考えかたを180度転換することです。その転換を遂行してからはもう、「私は人生にまだ何を期待できるか」と問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。

 ここでまたおわかりいただけたでしょう。私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。


 この「生きる意味」を「居場所」に置き換えてみてください(というか、もともとこの「生きる意味」=「居場所」みたいなものですよね)。

 「自分には居場所がない」ことを嘆いてもしょうがないんですよ、たぶん。だって、「ないものはない」。それが「ある」と言う人もいるけれど、それはもう信仰みたいなものです。「居場所免許」「居場所保証」なんてどこにもないし、これまで自分の居場所だと思っていた人や場所が、ちょっとしたきっかけで失われていくことは、珍しくもなんともないことです。

 結局のところ、「自分の居場所なんて、誰も与えてはくれないから、自分で無理矢理つくるしかない」のです。
 あるいは、何か自分がやりたいことをやっているうちに、自然に「できたように感じる」こともある。
 毎週競馬場でハズレ馬券をまき散らしたり(撒いたあとは片付けよう)、サウナで「整える」ことを趣味にしたり、何か「やっているときに楽しく感じる時間」があれば、それでまあ良いのかもしれません。

 そういう意味では、僕にとってのブログは数少ない「居場所」であり、人生でもっとも長く続いている趣味のひとつでもあるんですよね(あとは読書とゲーム、その次に競馬。われながら「アビリティ:現実逃避+3」くらいだな。書いていて悲しくなってきた)
 これはこれで、それなりの数のアンチと、勝手に期待しておいて「あなたには失望しました。そんな人とは思わなかった」と強アンチ化する人々に接してきたので、めんどくさいものではありますし、ときどき休んだり辞めたりして持前の「リセット癖」を発揮しているわけですが。


 「あなたは医者だから」と言われることもあるのですが、少なくとも、誰かに「あなたは癌ですよ」と告知したり、夜中に起こされて血まみれになって内視鏡で出血源を探したりしているときは、楽しくはないですよ。人によっては、そういう瞬間に「自分が必要とされているという承認欲求」が満たされて脳内麻薬が出るのかもしれませんが、僕は「自分より、こういうことに向いている人や、もっと腕のいい医者もいるのに、お互いにとって不幸だよなあ……」と内心やさぐれながら淡々と仕事をするだけです。


 僕は自分に何ができるかわからず、せめて「役に立つ」人間であることを証明できればと医学部に入ったものの、医学というものの重さやタフさ、めんどくささにずっと苦しんできました。「もっと自分には向いた仕事があったのではないか」と今でも思います。
 ただ、職業なんて付き合う相手みたいなもので、それがお互いにとって「絶対的なベスト」であるとは限らないというか、そうでないことのほうが多いだろうけど、自分が引いたカードで勝負するしかないし、向き不向きはともかく、経済的な不安はないし、とりあえず人から侮られることはない仕事だった、というものすごく後ろ向きな理由でいまでもそれを続けているのです。

 不安だったり、つらかったりすることでも、なんとかギリギリ続けられる能力・状況にあるというのは、果たして幸運なことなのか。
 僕にとっても、増田さんにとっても。


 40代半ばで医局をやめて、自分で就職先を探すのは大変だったけれど、一度それを経験してみたら、「まあ、いざとなったら、また自分で探せばいいし、なんとかなるだろう」と思えるようになりました。
 増田さんや僕のような属性の人間は、本当に「疲れた」というときには、一度リセットするのも良いのかもしれません。

 ぶっちゃけ、「自己評価低い属性」って、一見さんには「謙虚」とか「優しそう」という解釈をされやすいので中途採用の面接でうまくいきやすかったりもするのです。そうやって「高評価」されることがプレッシャーになり、それが蓄積してまたリセット……という、いつまでも『ウィザードリー』のキャラメイクが終わらない……みたいな人生にもなりがちですが。

 あくまで個人的な経験則ですが「自信がない」人ほど、一人旅をしてみたり、転職活動をしてみたりして、「ああ、自分の力でも、やってみればできるものだな」と自分を認められる「伸びしろ」が大きいような気もします。



 先日、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』という本を読んだんですよ。


 ローマ帝国五賢帝のひとりとして知られる著者による哲学書というか、自らの行動規範を書いたものなのですが、僕は読みながら、「結局、この本には、『自分がやりたいことじゃなくて、自分がやるべきことをやれ』ということが繰り返し書かれているだけではないか」と思ったのです。もちろん、本の解釈のしかたにはいろいろあるのでしょうけど。

 そのこと自体は「ああ、そうだよね……人生は短いし……」なのですが、読んでいくうちに、僕はなんだかせつなくなってきました。
 歴史に残る「賢帝」であるマルクス・アウレリウス・アントニヌスでさえ、こんなふうに自分に言い聞かせ続けなければ、「やるべきことをやり続ける」ことが辛かったのだろうか、と。


 増田さんには、手塚治虫の『ブッダ』もオススメしたい。

 人生って、結局のところ「苦」なのだ、とブッダは悟り、そこから解脱することを目指すのです。
 僕は手塚治虫という「マンガの歴史をつくった人」が、その後半生においても、「人気マンガ家として、作品を生み出し続けること」にこだわり続け、ものすごい仕事量をこなしていたことを知っています。他人事としてみれば、「もう印税でのんびり暮らしても良かったのに」と思うのですが、手塚先生には、そんな「晩年」は想像もつかなかった(60歳の若さで亡くなられてもいますし)。


 自分の「居場所」が欲しい、それを失いたくない、というのは、人間の宿痾みたいなものなのかもしれません。
 手塚先生が、『ブッダ』をテーマにしたことの意味を、僕は考えずにはいられないのです。


 あとひとつ、この本も。
fujipon.hatenadiary.com

 鹿野靖明。40歳。「進行性筋ジストロフィー」という病気を患っている。全身の筋力が徐々に衰えてゆく難病である。効果的な治療法はまだ解明されていない。
 筋ジスだと医師に告げられたのは小学校6年生のときだった。以来、中学・高校を養護学校(現在の特別支援学校)で過ごし、18歳のとき脚の筋力の低下により、車いす生活となった。32歳のとき心臓の筋力低下により、拡張型心筋症と診断された。
 1年ほど前から首の筋力低下により、ほとんど寝たきりの生活になっていた。動くのは両手の指がほんの少し、という第1種1級の重度身体障害者である。

  できないといえば、この人には、すべてのことができない。
 かゆいところをかくことができない。自分のお尻を自分で拭くことができない。眠っていても寝返りがうてない。すべてのことに、人の手を借りなければ生きていけない。
 さらに大きな問題があった。
 35歳のとき、呼吸筋の衰えによって自発呼吸が難しくなり、ノドに穴を開ける「気管切開」の手術をして、「人工呼吸器」という機械を装着した。筋ジスという病気が恐ろしいのは、腕や脚、首といった筋肉だけでなく、内臓の筋肉をも徐々にむしばんでゆくことだ。
 以来、1日24時間、誰かが付き添って、呼吸器や気管内にたまる痰を吸引しなければならない。放置すると痰をつまらせ窒息してしまうのである。
「なんでコイツ、24時間介助されてて狂わないんだろうって、みんなが不思議がるわけさ。そこでいろいろと発見が始まる。――不思議発見だね」
 身動きできないベッドの上で、鹿野はそういって愉快そうに鼻を鳴らす。
「なぜなんですか」
「それは自分をさらけ出すことによって……だって、さらけ出さないと他人の中で生きていけないわけでしょ。できないことはしょうがない。できる人にやってもらうしかない」


 鹿野さんは難病を患っていて、「できないといえば、この人には、すべてのことができない」のです。
 それでも、他者に対してエゴイスティックにさえみえる態度で、他者の「サポート」を求めて生きていこうとした。
「自分の居場所をつくる」というのは大変なことだし、他人に気を遣ってばかりいては「自分」を殺してしまうと考えていたのです。


 50年生きてきて、「居場所のなさ」はあんまり変わっていません。
 ただ、「どこにも絶対的な居場所はないのだから、せめて、僕自身にとって少しでも居心地がマシなところを探したい、ストレスが少ない時間を過ごしたい」と思うようになったし、それはそれで良いのではないか、と思えるようになりました。
(悟りきれないから、こうしてまだブログを書いたり休んだりしているのですが)

 僕がミニレトロゲーム機を遊ばないけれども買っているおかげで、そういう市場が成り立つ一助になり、メガドライブミニ2も出るし、僕がパンを買って食べることで、パンを作っている人たちに少しはお金が入る。とりあえず、生きて、何かを消費するだけでも、社会貢献だと言えなくもない。

 世界には人間が80億人もいるわけで、そのうちのひとりなんて、所詮、その程度の存在ではあります。
 それがどうしてもイヤなら、「居場所を強引に自分でつくる」しかない。


 ちなみに、僕はこの年齢になっても、すべてを投げ出したくなってしまったときには、心の中で自分を『ソーサリー』や『火吹山の魔法使い』の主人公にしています。

 さて、君はさんざん憂鬱になり、夜も眠れなくなりながら、今の仕事を続けてもいい。あるいは、いまの生活を捨てて、放浪の旅に出ることもできる。
 今の仕事を続けるのであれば、魅力値-3、体力ー1として、33ページへ。今の仕事をやめてYouTuberを目指すのであれば、魅力値+2、SAN値-10で、55ページへ進め。

 所詮、”GAME OVER”になるまでの人生だから。


fujipon.hatenablog.com
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