いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

BTS(防弾少年団)の事務所の「謝罪力」と「原爆のことなんて、もう昔の話」という若者たちの現実について


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この記事を読むと、BTSのこれって、たしかに「言及」はしているけれど、少なくとも「謝罪」や「説明」じゃないよな……と感じました。
ファン相手なら、このくらいで良いのかもしれないけれど、現状を鑑みるに、こんな他人事みたいな言及しかしないのであれば、スルーしたほうが、まだマシだったのでは……というところで、BTSの事務所から、「謝罪文」が発表されました。


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 僕の感覚としては、本人たちが一言も直接謝罪や説明することのないまま、事務所側から「そういう意図ではなかったし、多忙なスケジュールのなか、がんばっているアーティストの誤解を招くような行為をチェックできていなかった事務所の管理不行き届きであり、われわれの責任です。傷つけた人たちには謝罪します」で幕引きがはかられるのは、過保護すぎるというか、当人たちにも肉声で語ってほしい、のです。
 でも、こう言われてしまうと、「原爆によるジェノサイドを肯定しているんだろう!」「そんなつもりはなかった」「そんなつもりはなくても、そう受け取れるだろ!」というような「内心の問題」になってしまうんですよね。
 こうなると、水掛け論にしかなりません。


 それにしても、韓国の芸能事務所って、やることが徹底していますよね。

日本被団協によると、11月13日にBTS所属事務所の代表者が訪れ、状況の説明と謝罪を受けたという。
ネット上では、被団協に対してBTSに抗議するよう求める声が出ているが、被団協としては抗議声明を出す予定はない。
被団協の木戸季市事務局長は「私たちの目標は、人類は核兵器と共存できないという理解を広げ、世界から核兵器を廃絶することだ。この願いに反する各国指導者の言動や核実験などには、抗議活動を続けてきた」と語る。
そのうえで「こうした表現を巡る問題では、対決や分断を煽るのではなく、対話を通じてお互いの理解を深める方が望ましい。核兵器とはどういうものなのか、何が問題なのかといった点を巡り、話し合いをしていきたい。BTS側にもそう説明し、一致した」という。


 関係団体に事前に謝罪し、その結果を持っての「説明と謝罪文」の発表ということで、こうなるともう、僕が被団協の人たち以上に噴き上がるのもおかしな話になってしまいます。
 それにしても、BTSの事務所けっこう有能だなあ。
 日本の組織の謝罪って、責任逃れというか、事件を起こした当人、あるいはもっと末端の人を切り捨てたり、「本人の責任であり、組織としてはどうしようもなかった」というような切り捨て型の対応がなされる、あるいは、偉い人が出てきて、何秒間頭を深く下げたか、みたいな話になってしまいがちなのですが、ここまで徹底的に「会社の責任」とアピールして(正直、アーティストは子ども扱いなのか、とも、ちょっと思いますが)、それと同時に、謝罪まで済ませて事後報告にしてしまう、という手際には感心してしまいます。

「〇〇に謝れ!」
「もう謝っていて、先方からも受け入れるというコメントをいただいています」

 もちろん、BTSが大きな金を生む存在だからこそ、ではあるのでしょうけど、事務所がここまでやってくれるとは。
 
 個人的には、エンターテインメントとしてのBTSのパフォーマンスは今後も受け入れがたいし、今後もテレビに出ていたらチャンネルを替えるくらいのことはやりますが、逆に、そのくらいのことしかできないかな、とも思っています。


 ところで、今回の件に関して、僕が言及しておきたいのは、「原爆(核兵器)に対して、ネガティブなイメージを持っている国ばかりではない」ということなのです。
 BTSの件で、韓国のことがクローズアップされましたが、加害国であるアメリカは、「原爆使用はやむをえなかった」というのが、多数派の見解なのです。


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「全米原子力実験ミュージアム」には、こんなアトラクション(?)があるそうです。

 このようにミュージアムネバダ州の実験場での核兵器開発が、戦後世界の安全と繁栄に不可欠なものであったことを示そうとする。そこには核兵器の開発に対するためらいや異論はない。
 その姿勢は数々の体験型展示に顕著に現れている。たとえば核爆弾を炸裂させるという、日本の感覚からするといささか信じ難い体験コーナーがある。「実験の責任者になって核爆弾を爆発させよう」という表示があり、「大きな声でカウントダウンをして、ボタンを押してみよう」という指示とともに、赤いボタンが用意されている。来館者が実際にカウントダウンをしてボタンの核爆弾を爆発させ、セダン・クレーターを作りました」という表示が出る。セダン・クレーターとは、浅深度核実験の衝撃で生み出された直径390メートル、深さ98メートルほどにもなる巨大な穴だ。子供たちを含め、数多くの来館者がこのボタンを押して、強大な破壊力を持つ核兵器を使用する快感を味わうのだ。


 被爆国・日本で生まれ育った僕の感覚からすれば、「とんでもない体験コーナー」だとしか言いようがありません。
 しかしながら、アメリカにとって、第二次世界大戦は「正義の戦い」であり、核開発もまた「必要不可欠だったこと」なのです。
 ただし、著者は、「長崎の原爆の日」である8月9日に、このミュージアムの前で核兵器反対を訴えていたアメリカ人の団体がいたことも紹介しています。
 彼らはミュージアム側と衝突するわけでもなく、反核のアピールをしながらも、警備の人たちと談笑していたそうです。
 著者は、その光景に「イデオロギーの違いが有りながらも、彼らは『アメリカという国』を信頼していることで、繋がっている」のではないかと述べています。
 オバマ大統領の広島訪問が、在任期間の終わりに行われたのは、その行為が必ずしもアメリカの世論にプラスになるとはかぎらない、という判断だったからだと言われています。
 日本からすれば、もうほとんど抗戦能力がなくなって、爆撃に対して何もできなくなった状況で、一般市民を無差別に殺戮するような原爆の使用は、人体実験であり、重大な戦争犯罪なのだけれど、アメリカ側からすれば、それによって、通常兵器で日本が降伏するまで戦争を続けるよりも、アメリカ人の血が流れる量を減らすことができた、とも考えられるんですよね。
 自国のために命をかけて戦った、上官の命令に従って爆弾を落とした兵士たちを責めるというのは、どこの国にとっても難しいことです。


 そして、核兵器というのは、抑止力として、とくに大国に抗おうとする小国にとっては「もっとも効果的・効率的な兵器」でもあるのです。
 核実験の成功に喜ぶ、パキスタンの一般市民の映像をみて、僕は「正気か?」と驚いたのですが、「自分たちが使う側」として考えれば「これがあれば、隣の大国もやすやすと攻めてはこられまい」ということになる。
 北朝鮮も、「核」を持っているからこそ、周辺国にとっては怖れの対象になっています。

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 今回のBTSの件に関しては受け入れがたいし、朝鮮半島から連れてこられた人たちも原爆の犠牲になっているにもかかわらず、あまりにも歴史を知らないのではないか、と言いたくなりますが、実際のところ、日本人は僕のイメージよりずっと、歴史に関心が薄いのです。


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この本には、1985年生まれの社会学者である古市憲寿さんが、広島、パールハーバー、南京、アウシュビッツ、香港、瀋陽、沖縄、シンガポール朝鮮半島38度線、ローマ、関ヶ原、東京など、世界各地の戦争博物館や史跡を巡り、考えたことが書かれています。
日本で1970年代前半に生まれ、「平和教育」を受けてきた僕にとって「戦争博物館」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、広島の原爆資料館で、はじめて行ったときの衝撃は、いまでも忘れられません。
当時の僕にとっては「自分の親も、原爆で死んでいたかもしれない」という、けっこう身近で現実的な恐怖でもあったんですよね。
いまから35年くらい前は、それを実際に体験し、生き延びた人たちが、街で普通に生活していたのですから。

僕にとっての日清・日露戦争第一次世界大戦が、現実に起こったことというよりは、「歴史上の物語のひとつ」であるかのように感じられるのと同じように、いまの若者たちにとってはの太平洋戦争は「物語」になってしまっているのかな、とも思うのです。
それが良いとか悪いとか不謹慎とかそういうのではなくて、人類は、そうやっていろんなことを忘却しながら続いてきたのだろうな、と。

とはいえ、それは「世代」だけの問題なのか?という疑問も、著者は呈しているのです。

 この本の冒頭で、若者たちの間で戦争体験が風化していると書いた。しかし若者に限らず日本人は、実はそもそも戦争についてあまり興味のない可能性がある。
 2000年にNHKが実施した嫌らしい世論調査がある。16歳以上の男女にアジア・太平洋戦争において「最も長く戦った相手国」「同盟関係にあった国」「真珠湾攻撃を行った日」「終戦を迎えた日」がいつかを答えてもらったのだ。
 結果、1959年生まれ以降の「戦無派」では69%が「最も長く戦った国」を知らず、53%が「同盟関係にあった国」を知らず、78%が「真珠湾攻撃を行った日」を知らず、「終戦を迎えた日」を知らない人も16%いた。全問正解した人はわずか10%だった。
 ここまではまあいいだろう。「戦争を知らない若者(と中年)ということで理解可能だ。しかし1939年から1958年に生まれた「戦後派」、それ以前に生まれた「戦中・戦前派」でも決して正答率は高くなかった。たとえば「最も長く戦った相手国」を知らない「戦中・戦前派」は57%、「真珠湾攻撃の日」を知らない「戦後派」は65%。
 実は序章で「広島に原爆が落とされた日を知っている若者はたった25%」と書いたが、全年齢平均でも数値は27%。長崎原爆の日にいたっては、若年層のほうが正解率が高く、60代以上は19%しか正解していない。
 若者だけじゃなくて、僕たちはみんな戦争に興味がなかったのである。


 正直、「これ、本当に真っ当な世論調査なの?」って言いたくなります。
 20年前でこれなのですから、今はもっと「風化」しているはず。
 BTSのファンの若い日本人たちが、「原爆のことなんて、もう昔の話」って言うのは、「彼ら、彼女らにとっての現実」なのです。
 それは、必ずしも悪いことばかりじゃなくて、そうやって風化していくからこそ築かれる新しい関係というのもありうるのかもしれません。
 残念ながら、少なくとも韓国の側は、なかなかそういうわけにはいかないみたいですけど。
 まあ、何にしても、「やった側は忘れても、やられた側は忘れない」よね。
 そして、「日本が戦争をしたことを知らない若者たち」が糾弾されがちですが、それを責めている側も「オレだって、聞かれたら答えられないけどね」って内心ドキドキしている、というのが現実なのです。
 

fujipon.hatenadiary.com

 僕は広島という土地に縁があるので、「差別され続けてきた広島の人々」についての話も聞いてきました。
 原発事故後のいわゆる「フクシマ」の事例からみても、「歴史上、被爆者をいちばん差別してきたのは、日本人だった」とも言えます。
 それはもう、同じ日本人がいちばん身近に接してきたのだから当たり前ではあるのかもしれないけれど。
 


奇妙なアメリカ―神と正義のミュージアム―(新潮選書)

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誰も戦争を教えてくれなかった

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