いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「自分が住む場所を、ちゃんと選ぶ」ということ


 今週の2つの出来事。
 月曜日に職場の病院に出勤してきたら、こんな話があったのです。

「福岡県(たぶん全体、だよね)で、新型コロナウイルスに関する医療に従事している人たちに、5万円の特別手当を出すので、この書類にサインをしてください。職場の病院経由で後日振り込まれます」

 いやまあ、正直言って、いろんなリスクや感染予防のための煩雑さ、不安などもひっくるめたら、そのくらいの金額じゃ安い!

 ……と言いたいところではあったのですが、もっと率直に言うと、それでも、貰えないよりは貰えて嬉しい(金額的にも)し、こうして、「あなたたちの働きを評価していますよ」というのを拍手とかじゃなくてお金で示してもらえたことに、けっこう感動と感謝もしたのです。

 そして、こんなことも考えました。

 たしかにこの新型コロナウイルスというのは、世界的な非常事態ではあるけれど、これまで長年僕が働いてきた、「お金に余裕がない県」だったら、こんなふうに慰労金がもらえただろうか?
 福岡県(福岡市)は、「夜の店」の休業補償にも自治体として積極的に取り組んでいて、全国的にも高く評価されていたのです。

 ただ、貧乏県に長く住み、働いてきた僕の感覚からすれば、なんのかんの言っても、「人口が多くて産業が盛んで、お金がある地方自治体」だからではあるのだよなあ、とも考えてしまいます。


 その翌日、今度は、意外なところから「プレゼント」が届きました。

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 ソフトバンクホークスから、医療従事者の皆様へのユニフォームとメッセージ。

 僕がどうしようもないくらいのカープファンじゃなかったら、2018年の日本シリーズで完膚無きまでに打ちのめされた、あのホークスに「転んで」しまったかもしれない……
 
 というか、ソフトバンク、どれだけ太っ腹なんだ(けっこう株価下がってるのに……)

 こういうのを「美談」として拡散させようと思っているんだろ、その手に乗るか……と身構えつつも、乗ってしまいました。
 ああ、でもこういうことって、我らがカープは、やろうとしてもできないよね、無い袖は振れないもの……
 カープの場合、むしろ、「コロナに負けずに医療者と一緒に頑張ろうTシャツ」とかを売り出しそうだ……


 僕はこれまでの人生で、「転勤に合わせて住むところを決めて(あるいは、決めてもらって)」生きてきましたし、子どもの頃から転勤族で、「故郷」と呼べるような土地を持ってはいません。
 それは、寂しいことだけれど、どこで生活するのも自由、ではあるわけです。

 正直、半世紀くらい生きていて、「職場に近くて、便利なところに住めればいいや」というくらいの意識しかなかったのだけれど、立て続けに起こったこれらの出来事で、県境のこちら側とあちら側で、同じ仕事をしていても報われ方が違うことがある、というのを痛感したのです。
 
「もし自分が長年住んでいた『お金に不自由している県』で働いていたら、同じ仕事をしていたとしても、この5万円はもらえなかっただろうな」「ユニフォームをもらうこともなかったはず(こちらは一民間企業の「裁量」ですが)」

 もちろん、都会や発展している地域では、生活費や家賃も高くなりがちですし、渋滞や混雑にも耐えなければなりません。 
 でも、子どもの医療費へのサポートなど、行政のサービスというのは、「住民票がある場所」によって、本当に大きな違いがあるのです。
 
 そんなこと、みんな知ってるよ!
 そんな声が聞こえてくる……ごめん、本当に申し訳ない。僕は流されて生きてきた世間知らずなので、御容赦願いたい。

 でも、そういうことをあまり意識したことがなかったかもしれない、ごく一部の人たちにだけでも、「ほとんどの人は、どこに住むか自分で選ぶことができるし、行政サービスの手厚さは、隣接した地域でも、大きな差があることが少なくない」ということを伝えたいのです。

 仕事とか学校とか配偶者とかいうのは「自分の実力と相手の都合」がそう簡単にマッチングしないものだけれど、それに比べたら「住む場所を選ぶ」のは、かなりこちら側に強い選択権があるのだから。


住みたいまちランキングの罠 (光文社新書)

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  • 作者:大原 瞠
  • 発売日: 2018/03/15
  • メディア: 新書

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